2025年8月5日火曜日

労働生産性向上策私案


 https://www.newprinet.co.jp/日本生産性本部 「労働生産性の国際比較2024」を

こちらの統計によると、日本の一人当たりの労働生産性は、1990年頃には13位だったところ、その後落ち込み、1998年から20位前後で推移していた。だが2018年から急速に落ち始め、2023年には32位と急激な下落を起こした。そもそも20位でも不名誉だとは思うが、今や30位というのは情けない限りである。

2018年はコロナ前であり、コロナのせいではない。2011年の東日本大震災前後でも落ち込まなかったものが急激に落ちたのには、何か理由があるに違いない。そう思って少し調べてみた。生成AIの助けを経て得られた結論は、以下のようなものだ。

順位 要因 相対的影響スコア 解説
1位 マークアップ率 -0.179 日本は停滞、米独は上昇 → 価格転嫁力の差が拡大
2位 為替レート(円安) +0.164 PPP換算での見かけの生産性が大きく低下
3位 DX投資額 -0.080 日本は緩やか、米独は急増 → 効率化の差が拡大
4位 高齢者就業率 +0.066 日本の増加幅が大きいが、影響度は相対的に小

マークアップ率とは、コストを価格に転嫁できているかどうか、である。物価は上がっているのだから、同じものを作るのにも原価は上昇している。これを価格に転嫁できないと、労働生産性は下がる。他国は順調にアークアップ率を上げているのに、日本は停滞したままだ。

為替は円安だ。日本は加工貿易で儲けている国なので、基本的に円安はダメージになる。DX投資はその名の通りで、DXによって生産性は著しく向上するが、日本はこれが停滞している。また、高齢者は一般的に労働生産性が低いため、労働者全体における高齢者の割合が増えると平均値は下がる。

これらを影響度順にランキングすると、見ての通り、DXや高齢者の影響は意外に小さく、マークアップ率と為替レートがその主要因である。

次に、マークアップ率が低い理由をAIに尋ねたところ、

指標 日本 米国 ドイツ
平均マークアップ率(製造業) 約1.13 約1.45 約1.38
無形資産投資比率(対売上) 約3〜5% 約10〜15% 約8〜12%
上位10%企業のマークアップ率 約1.31 約1.80 約1.65

無形資産投資比率が低いことが挙げられた。無形資産とは、例えばブランドイメージ、研究投資、人材開発などだ。つまり、ブランドイメージが高ければマークアップ率も高くなるのだが、日本はそれが低いのだ。特にGAFAのような強力なブランドイメージを持つ企業がトップにいるアメリカでは、それらが平均を引き上げる効果があるのだという。

日本は不景気だから、景気が悪ければ無形資産への投資が減るのは当たり前だろう、とAIに聞いてみると、そうではなく、世界ではむしろ増える傾向すらあるのだという。その理由として、国内では短期投資が重視される傾向があるのだそうだ。つまり銀行や株主が短期的視点になっているわけだ。これには研究による裏付けもあるらしい。また、日本は機関投資家の比率が高く、これも短期的視点を重視する傾向に拍車を掛けているのだそうだ。

これらから考えられる政治的施策は、要するに「株主が長期的視点で企業を評価してくれるように誘導すること」だ。AIの推奨を基に、以下四つを提案する。

  1. 長期的インセンティブ制度への優遇
    1. 例えば、5年以上株主であると、株主優待の額が向上する、といったものだ。この制度を利用する株主は、目先の利益よりも長期的な視点を重視してくれる。
  2. 株主との対話頻度向上に対する優遇
    1. 海外では年10回も対話があるというのが普通なのだそうだ。これにより会社からの情報開示が増え、株主はより会社を詳しく知った上で投資することができるようになる。それは必然的に、目に見えない投資=無形資産投資への情報開示が増やすので、その視点で見る投資家の比率が増える、というわけだ。
  3. 無形資産投資比率向上に対する優遇
    1. 例えば研究等に利益の15%以上を投資することで法人税が割り引かれる、といったものだ。
  4. 個人投資家の増大に対する優遇
    1. 個人投資家は機関投資家のような頻繁な売買は行わない傾向があり、必然的に長期的な投資が増えることになる。ただ、これはNISAで既に行われているので、別の視点での優遇が必要かもしれない。例えば個人投資家比率が高い企業が優遇される、あるいはクラウドファンディングへの優遇、などだ。

これらには何れも短期的効果はないが、長期と言ってもせいぜい5年程度である。これらの施策によって欧米並みに無形資産投資が高まれば、マークアップ率は向上し、労働生産性も向上するはずだ。

さて、これらの政策案は、無料版のCopilotを使って1時間程度で作成できた。自民党はおろか、弱小政党であっても簡単に立案できるばかりでなく、全て税優遇だけで実現できるので実現性も高い。細部を詰め、さっさと提案してほしいものである。

AIによる政策立案という話題性からすると、「チームみらい」が良いかもしれない。だがもちろん本稿は公開されているので、他党でも構わない。早い者勝ちでもない。好きにアレンジして使ってほしい。

2025年8月1日金曜日

津波の高さと遡上高

 2025年7月30日、ロシアのカムチャツカ半島沖で地震が発生し、日本の太平洋側の広い範囲で津波警報、津波注意報が発令された。最大予測は警報地域で3m、注意報地域で1mだった。

電車は止まったところもそうでなかったところもあったが、都心で避難した人は皆無だった。警報が出てから半日経っても海岸で遊んでいた人もいたし、海岸の道路の交通も普通にあった。

実際にはほとんどの地域で0.3〜0.6m程度、最大でも1.3mに留まった。そして自分としても、海抜3m以上の場所にいたため、特に警戒はしなかったのだが、その後調べていて肝を冷やした。その判断は間違っていたのだ。

その間違いとは、津波の高さと遡上高との違いだ。つまり、津波の高さが1mであれば標高2mのところには届かない、と思い込んでいたのだが、それは誤りであり、津波の高さ以上のところにまで津波は到達するのだ。それを遡上高と言う。そして実際に過去どの程度の遡上高があったのかを調べてみて、肝が冷えたのだ。以下は生成AIに聞いて得た、過去の遡上高の例である。

1. 東日本大震災(2011年)

  • 発表された津波の高さ:
    • 岩手県大船渡市で観測された津波の高さは、3.8mでした。
    • 宮城県石巻市鮎川で観測された津波の高さは、3.2mでした。
    • 気象庁は、最大で10m以上の津波が予想されると発表しました。
  • 実際の最大遡上高:
    • 岩手県大船渡市では、30.9mの遡上高が確認されました。
    • 岩手県宮古市田老地区では、40.1mという、観測史上最大級の遡上高が記録されました。
    • 宮城県女川町でも、34.7mの遡上高が確認されました。

この事例が示すように、発表された津波の高さが3m程度であっても、遡上高はそれを10倍以上も上回る地域がありました。


2. 日本海中部地震(1983年)

  • 発表された津波の高さ:
    • 秋田県男鹿市で観測された津波の高さは、1mでした。
  • 実際の最大遡上高:
    • 男鹿市加茂青砂地区では、観測値の1mをはるかに上回る14.9mの遡上高が記録されました。
    • この津波により、秋田県や青森県などで、多くの死者・行方不明者が出ました。

3. チリ地震津波(1960年)

  • 発表された津波の高さ:
    • 日本の太平洋沿岸各地で、津波の高さは1mから数メートルで観測されました。
  • 実際の最大遡上高:
    • 岩手県大船渡市では、観測された津波の高さが数メートルであったのに対し、最大で5.5mの遡上高が記録されました。
    • 特にリアス式海岸の地形が、津波のエネルギーを集約させ、被害を拡大させました。

どうだろう。実際の津波の高さの10から15倍の遡上高が、実績としてあったということだ。予想高から考えても数倍の差があったのだ。

ここから得られる教訓は、至極簡単だ。最大高さ予測の15倍まで見込んで避難すべき、というものだ。今回の場合、東京23区は湾岸の注意報が1mだったわけだが、この計算によると標高15m以下のところは避難すべきとなる。その面積は、おそらく23区の三分の一から二分の一という広大な面積になる。ここに住む人は200から300万人に上ると思われ、数時間で避難するのは困難な数である。

となれば選択肢は一つで、標高と高さを合わせて15m以上のビルに避難するしかない。幸いにも都心にはこの程度のビルは無数にあるので、そこに数時間退避させてもらえば良い。住民全体としては無理でも、個人としてその知識を持っていれば、次からは対処できる。

それにつけても、この情報は当然気象庁は知っていたはずなのに、なぜ発表されなかったのだろう。大いに疑問であり、かつ不満である。下手をすれば、今回300万人死んでもおかしくなかったほどの重大情報なのに。無知は命をも左右する。次からはぜひ発表してほしいと思う。もちろんこの記事を読んだ諸氏におかれては、ぜひ周りにこの知識を拡散して、命を守ってほしい。

2025年7月25日金曜日

国民生活補償制度


年金の制度を調べていて、なんと複雑で面倒なことかと辟易した。今ちょうど年金改革がされているけれども、現行のシステムを複雑にしているだけだ。年金に限らず、様々な社会保障制度が別の名前で呼ばれ、申請方法も異なり、審査も給付も別。ファイナンシャルプランナーや税理士、公認会計士などが必要な届け出というのは、国民を馬鹿にしている。

給付の条件を細かく決めるのは構わないのだが、そういうものは一覧で見られるようにすべきだし、届け出は一箇所にしてほしい。

そこで、以下のような改革を提案する。

  1. 全ての社会保障制度は一つに統合する。新た制度の名称は、とりあえず「国民生活補償制度」(生補)とする。
  2. 生補の財源は、税金とする。即ち、この制度によって既存の社会保険料は廃止され、税金が増額される。
  3. 過去、各々の特性について個別支給していた制度は廃止し、生補ではその事情を「点数制」にて加算する形式とする。
  4. 支給額は点数のみに依存する。たとえば既存の年金では、支払い済み年数に支給額が依存するが、新制度では財源が税金になるのでこの制度は廃止になる。(その代わり、税金滞納や税金支払い免除の状況などを点数に入れるというのはアリだろう。)
  5. 支給方法は、定期払い方式と一時金方式、控除方式の三種類とする。
    1. 定期払い方式は、マイナポータルに登録された公金受取口座への毎月の支払いを受ける形式であり、これは主に生活費補助目的に使う。
    2. 一時金方式は、イベントに合わせて支払いを受ける方式であり、これは主に出産などの一時的に発生する高額な費用の補助目的に使う。
    3. 控除方式は、掛かる費用を一定の割合で控除し、医療機関に残りの費用をこの制度から直接支給するものである。健康保険のように、不定期に使うが金額が高いものに適用する。
      1. 控除方式のバリエーションとして、疑似免税が考えられる。つまり、生活困窮者などで設定されていた免税の制度は、免税ではなく相殺的な支給として点数換算する。
  6. 自治体は、国の点数に加え、自治体独自の点数を付与できる。
  7. 点数表(元帳)は国と自治体が各々の部分を管理し、毎年更新する。
  8. 点数は、支払い方式毎に加算され、それを標準額にかけ合わせて算出される。またその標準額は、国が全国標準を決め、都道府県が各県の事情に合わせて調整する。
    1. 当然ながら、標準額は物価指数に合わせるのが妥当である。
  9. マイナポータルから自分の「点数」「標準額」「結果としての支払い額」が確認でき、異議がある場合はそこから問い合わせができる。

この仕掛けの特徴は、以下の通りである。

  1. この仕掛けを作ってしまえば、後は点数をどう配分するかの問題に集約できる。新たな視点で補助をすることを思いついたとしても、いちいち個別に法律を作る必要はない。
    1. 点数に年齢を入れれば年金、障害を入れれば障害年金、死別した家族を入れると遺族年金、医療を受けたことを入れれば健康保険、生活困窮の程度を入れれば生活保護、就学状況を入れれば児童手当・学業手当、リカレント教育を入れれば教育訓練給付制度、妊娠や出産の履歴を入れれば出産一時金、等など。
  2. 点数を弄ることによってベーシックインカムにもなる。直ぐに始める必要はないが、その布石としてシステムを作っておくことができる。
  3. 臨時の給付金(コロナや自然災害など)でも使える。
  4. 点数に年収や資産状況を含めれば、そのまま確定申告の情報として使える。
  5. 所得だけでなく現有資産の把握により点数計算できるため、高額所得者だけでなく資産家(不労所得者)を配慮した点数計算ができ、不公平感をなくすことができる。
  6. 会社負担の概念がなくなるため、特に中小企業には有利に働く。これは金額というよりは、手間が無くなる点が大きい。
  7. 制度がシンプルになることは、国民にとっても監督省庁にとっても自治体にとっても、省資源省コストになる。
    1. 特に自治体の恩恵は大きいと思われる。新たに定額給付金を作って配布事務は自治体に任せるといったような、いわゆる「末端への丸投げ」が無くなるからである。
  8. 給付の形式に控除式を加えることによって、たとえば生活保護世帯において水道光熱費を事実上無償にするといった施策が可能になる。従来は年金を貰ってそこから水道光熱費を払っていたが、先に控除することで確実に支払いができる。これは、水道光熱費の分までギャンブルに使ってしまう、あるいは借金返済を優先してしまう、といったトラブルを未然に防ぐものになる。

社会保険料28兆円がそのまま税金になるため、これには消費税と所得税・法人税に割り振って増やすのが良いだろう。これは結構大幅な上げ幅になる。消費税10%を15%にする、所得税法人税も5%づつ上げる、くらいの勢いである。だが社会保険料はゼロになるので、受け入れられるだろう。

また、公金受取口座への振込ではなく、マイナポイントとして振り込むことも考えられる。これはそこから電子マネー(SuicaやPayPayなど)に移行できるので、銀行口座を持っていない人でも使える便がある他、食料限定とするとフードチケットに早変わりするし、期限を付けることで消費を促すことも可能になる。これらは将来の拡張の布石として使える。

この用に処するためには、マイナンバーの概念は多少拡張しなければならない。つまり、マイナンバーは「日本に住民票がある人」が対象なので、ホームレスや無国籍者、違法滞在者などには支給されない。違法滞在者はまあ除くとしても、ホームレスを救えないのでは生活保護の代わりにはならないし、無国籍者も自分で望んだ人はほぼいないだろうから、対象から外すのは好ましいとは言えない。そういう人にとりあえずでも発行できるように、制度を改善する必要があるだろう。また日本国籍の海外滞在者にも現状では支給されないが、これも不公平感があるので発行すべきだろう。

また、これは膨大なシステムなので、一気に入れ替えることはできないだろう。まずは年金から始めて少しづつ移行するのが良いと思われる。

2025年7月15日火曜日

新社会民主主義構想


先日、舛添要一氏と佐藤優さんの対談を読んだのだが、なかなかに面白かった。それは現在の中国とロシアの街中の話なのだが、両国とも監視カメラが大量にある。さぞ窮屈だろうと思いきや、街は安全になり清潔になり、あるいは交通渋滞が解消されるなど、市民の生活はずいぶんと良くなっているのだそうだ。

つまり、監視カメラによって犯罪が起これば速やかに犯人が捕まるため、犯罪が起こしにくくなっているのだ。清潔になったのも同じで、ポイ捨て等もカメラで見られているからだ。そして交通渋滞が解消したのは、交通の状態をAI解析することで、いわゆる全体最適化がされたためだ。

もちろん思想監視のようなものはあるのでそこについては窮屈だが、大部分の市民は恩恵の方を多く感じ取っているのだそうだ。

一方で自由主義の国はどうかというと、監視カメラはあるにはあるが、欲しいところにあるとは限らないし、カメラの持ち主にいちいち交渉しなければならず、断られても文句が言えない。交通の状態は解析できても相互連携はできていない。経済成長率では中国に大きく劣り、貧富の差は開き、経済が低迷し、右傾化・国粋主義がはびこっている。移民を含め外国人排斥運動なども起きている。これはいったい何がいけないのだろう。

自由主義ではプライバシーも尊重するので、誰が何をしているかを当局は把握できない。これは、単純には犯罪を未然に防ぐことができないばかりか、犯罪が起こっても証拠を取れず捜査がやりにくい。また、経済においても、つまらないところで競争してしまい効率が落ちる、例えば情報流通の規格が百花繚乱になってしまう。また、その状態を把握しようにも、プライバシーやら企業秘密やらがネックとなって把握できない。把握できなければ分析もできず、改善もできない、というわけだ。このため、社会主義国では可能な全体最適化が、自由主義国ではできなくなってしまう。それが情報化社会、AI全盛の世の中において、顕著な差を生み出しつつあるのだと言える。

思想というのは何時の時代でも極端なものから揺り戻しが来るのが常であり、その意味でも、またこの社会主義国の躍進を見ても、新自由主義もそろそろ揺り戻しの時期が来ているのではないだろうか。

それはもちろん、プライバシーや自由主義を完全に断ち切るものではない。かつての社会民主主義の焼き直しともいえるが、どちらかというと思想や思想統制の話ではなく、物流や治安の全体最適化という視点のみで社会主義・全体主義を取り入れる、というものだ。

もちろん新事業などでは競争すべき時期もあるので、何でもかんでも全体最適化すれば良いというものではない。ある程度普及率が高いものに対してそれを利かせる一方、成長著しい領域ではむしろ統一させず競争に任せることが必要だ。そのバランスをのは難しいだろうが、AIのような技術を前提にしてそれを素早く(可能ならリアルタイムで)調整することは可能だろう。そういった技術との結合も、新しい社会民主主義では重要な特徴になる。

つまり、社会の効率に関する部分では過度な競争をせず、仕様はある程度統一しましょう、といった、テクニカルな部分に関しては社会主義を重視するが、それでもプライバシーは保護しましょう、といった、新しい社会民主主義の提案である。

この発想は、民間で流行っている「コーペティション」と基本的には同じものだ。これはcooperation(協調)とcompetition(競争)をつなげた用語で、何でも競争するのではなく、協調もすることで、全体として市場を拡大し利益を促進する考え方のことだ。

どういうものを協調領域にするかというと、たとえば交通系はいわゆるMaaSを行うことにある。このためには交通機関の位置情報、料金体系、支払い手段、渋滞情報、運行(事故等)情報、天気予報(注意報警報等含)、といった情報を統一的に扱わねばならず、また全体の指示には従わなければならない。例えば電車の遅延に合わせてバスタクシーの運用を修正する、等だ。物流も同様で、通函のサイズや規格の統一、パレットやカートのID規格統一など、MaaSのような全体最適化物流システムの構築の助けになる情報は共通化しなければならない。

防災に関していうと、監視カメラ映像の取得や解析に関する統一的なルールとプロトコルが必要だろう。使用の許可や申請の判断などを電子化して素早く進めるシステム、またプライバシーを考慮しつつも犯罪や事故事件の発生を自動検知するAIシステムなどが考えられる。

個人情報も同様で、マイナンバーに紐づけた個人のプロパティ(属性)情報を、必要に応じて瞬時にアクセスできるシステムとその権限管理システムが必要になる。端的な例では、今実証実験されている、マイナンバーと紐づけた医療記録の参照である。意識不明で搬送された患者の病歴や投薬歴を、マイナンバーと紐づけて迅速に提供できる。

これらに対する当然の懸念は、主に二つあるだろう。第一はもちろんプライバシーへの懸念であるが、これは相応する監視・権限管理の仕掛けが必要で、あとはその仕掛けがどれだけ正しく動くかに依存する。つまり例えば犯罪には使うが犯罪抑止には使えない、等といった線引きと、その線引きが正しくできていることの監査である。ここが信用できないと拒否すれば、その社会は社会主義国には永遠に追いつけないだろう。

第二は、どこからを協調領域にすべきかの判断である。今の自由主義社会が一方の極端にあり、社会主義国が他方の極端にあるのだろうというのは間違いないだろうが、その最適な位置はどう探れば良いのかということだ。上の例で言うと、発生した犯罪には適用できるとして、犯罪抑止が全面的にダメというのはどうなのだろう。例えば大規模テロを未然に防ぐためなら許されるのではないか。だが空振りもあるだろうし、その名目で不正をする輩も出てくるはずだ。また、あまり明示的でない線引きは、体制側に有利なようにじりじりと引っ張られるのが世の常である。

新社会民主主義構想では、これらの懸念に対する線引き自体を、AIのような技術に任せてしまおうと考えている。そしてその根拠は、大衆心理だ。つまり、明確なルールは設けない代わり、色々な事例に対して社会が肯定的な反応をするかどうかを基に、リアルタイムに仕切りを修正するのだ。

これなら常に社会が納得する線引きが得られるので、自由主義・民主主義を貫いていることの証左にもなるし、実際、大衆の多くは納得するだろう。

そしてこの仕掛けが導入されれば、いわゆる「技術的には可能だがXXがネックでダメ」の類のシステムが多く実現する。上の例も含めてあげるならば、以下のようなものが考えられる。

  1. 犯罪、事故事件、自然災害、火災などの自動検出と通報
  2. 犯罪以前の迷惑行為や事故事件自然災害火災などの予兆検出と通報
  3. 要注意人物のリアルタイム検出と自動追跡
  4. 犯罪予備行為の自動検出と通報(予備罪があるもの)
  5. 大規模災害時の避難誘導経路の最適化
  6. 物流・人流の最適化(平時)
  7. 非常時の物流・人流のう回路確保
  8. 規格の乱立の抑止による社会の効率化
  9. 電子商取引規格の統一、電子商取引の必須化
  10. 完全な電子政府の実現(紙書類の全廃)
  11. 自治体システムの統一
    1. 現在自治体が使っている情報システム(住民情報、納税、福祉など)は、ベンダが多数ありバラバラに開発されている
  12. 電子マネー・コード決済の規格の乱立の抑止、CBDCの強制
  13. マイナンバーに基づく個人匿名認証システム使用の強制
    1. あらゆるシステムへのログインにマイナンバー認証が使える、使わせる
  14. マイナンバーに基づくウォレットシステム使用の強制
    1. 会員カード、ポイントカードは全てマイナンバー認証に統一
    2. 電子チケットの類もマイナンバー認証に統一
  15. 電子契約の強制とマイナンバー認証の強制
  16. 公的書類はマイナンバー認証に紐づけて保管を強制させる
  17. スケジューラやカレンダーなど、主要なアプリケーションのAPIの統一
  18. テレビ会議システムやSNS、SMSなどのプロトコルの統一
  19. PCやスマホなどのローミング手段の統一

たとえば、電話とメールとテレビ会議システムを全て同じマイナンバーでログインして、アプリを気にせず相互に通話ができる。AndroidとiPhoneで同じアプリが使える。ヤマトと佐川で同じ伝票、同じ追跡システムが使える。コンビニでの支払手段がブランドによらず同じ。引っ越しても役所の手続き画面はほとんど違わない。コンサートのチケットも新幹線の乗車券も、同じスマホのウォレットで扱える。スマホを買い替えてもログインし直しだけで継続して使える。引っ越しワンストップで使える業者をいちいち調べる必要がない(全て使える)。ブランド毎に電子書籍管理アプリが違う必要がない。

これらが通ると、一つ一つでも十分に効率化ができるが、多数が相まって相乗効果を生み、数十倍数百倍といった恩恵が得られるだろう。

こういったものが今まで夢物語でしかなかった理由は、大本で考えてみれば新自由主義だったからである。競争領域と協調領域を分けることができる「新社会民主主義」なら、中国やロシアに十分対抗できるはずだ。

2025年7月13日日曜日

たつき諒の予言は外れた


実は前日に書いているのでたぶん、だけれども、「たつき諒の予言は外れる、という私の予言」は当たった。

ただこの間、トカラ列島で群発地震が起こり、最大震度6弱が1回、5強・5弱も複数回発生した。

トカラ列島で最大震度6弱含む1700回超の群発地震 収束見通せず今後も警戒が必要(Science Portal) - Yahoo!ニュース

私の予言を改めて書くと、

2025年7月5日を中心とした前後1週間(計2週間+1日)の間に、日本の太平洋岸を震源とする、最大震度6強以上の地震は、起きない。

というものになるのだが、ここで6強と6弱は1段階しか違わないから当たらずとも遠からずだったのでは、という人もいるかも知れない。だが、前も書いた通り、地震予知の3原則では規模をしっかり規定することが必要だ。震度6弱と6強では揺れ方に雲泥の差があり、もちろん地震エネルギーも天地ほど違う。

また、私の予言の文言には書いていないが、たつき氏の予言は「東北大震災の3倍以上の津波」とされているところ、トカラ列島の地震では津波警報すら出なかった。

改めて書くと、地震予知の3原則は①地域の特定②時期の特定③強度の特定、何れも満たしている必要がある。そもそもたつき氏の予言は①は広すぎ、②だけ正確、③も曖昧、と、最初から予言の体をなしていないのだ。それを最大限に拾って定義したのが私の予言で、それすらも外したのだから、もう言い訳はできない。明確にハズレである。

そして、曖昧な言い方をするのは自称(ウソツキ)預言者の常套手段である。地震に限らず、たとえばノストラダムスの大予言でもそうなのだが、1999年7月に降ってくるのは「恐怖の大王」であって、隕石とか核爆弾とかとは明記していない。曖昧な表現だと、それを様々に解釈して、たとえば単なる酸性雨でもアタリと主張する輩が出てくる。曖昧な表現は、予言の「アタリ確率」を上げる手段なので、預言者はこれを常用するわけだ。

そしてその程度(量的視点)なのだが、たとえば震度を曖昧にすると、その「アタリ確率」は大幅に上昇する。

以下は、生成AIに作らせた、1926年(昭和元年)から2024年までの約99年間を対象に概算した、震度別の年平均発生件数である。

 震度7        約0.1回/年
震度6強    約0.4回/年
震度6弱    約0.8回/年
震度5強    約5〜7回/年
震度5弱    約10〜15回/年
震度4        約150〜200回/年

ここは各々の震度で計算しているので、たとえば震度6強以上の地震は0.5回/年、というように足して考える。

私の予言は「震度6強以上」だったが、これは0.5回。もしこれを「6弱以上」とすると、1.3回となる。つまり震度が1段階違えば「アタリ確率」は3倍弱になるのだ。地域も同じように掛け合わせると、曖昧さによる「アタリ確率」は大きく増大する。たとえば海域別に発生件数を調べてみると(これも生成AI)、

太平洋沖(東日本〜南海トラフ)   約500〜600件/年
日本海沖                                                    約100〜150件/年
東シナ海・南西諸島海域                     約150〜200件/年

となる。今回起こった悪石島は「東シナ海・南西諸島海域」になるのだが、南海トラフは当然ながら太平洋沖に分類される。私は「太平洋岸」と書いたが、普通は「太平洋沖」を想像するだろう。この意味でも今回はハズレていたわけだ。

自称預言者はこのこと(発言を曖昧にすればするほどアタリと思ってくれる)をわかっているから曖昧にするのだ。

また、「これは予言ではない」などと予防線を張るのも自称預言者がよくやる手段だ。たつき氏も「夢で見たもの」などと言って予言と明言していないが、これはあらかじめ逃げ道を作るためのものであって、件の本の中を読んでいれば、それが予言であることは明らかである。もちろん当たればそれを声高に主張するのも、自称預言者の常套手段である。

当たると評判の預言者も、よく調べてみるとこれらの法則に当てはまることが多い。というか、当てはまらない人を見たことがない。それでも(その緩い)「アタリ確率」が高い人はいるのだろうけど、そこまで調べるほど興味もないし、ヒマでもない。

結局、この手の(曖昧な)予言に振り回されるのは止めようよ、と思うのだけれども、今回は中国などで旅行が取り止めになるなど国際的な事態にも発展してしまった。そしてこれは心理学で説明できてしまう。

曖昧な表現を予言と結びつけてしまう心理学的効果として、「後知恵バイアス」というものがある。


他にも確証バイアスなどいろいろあるが、こういうものを知った上で、その予言が聞くに値するものなのかを個々の人が判断すべきだ。

以前にも情報リテラシーをもっと勉強すべきだと主張したことがあったが、その多くにはこういった心理学的要素があるのだ。人はもっと心理学を勉強すべきだろう。

2025年6月20日金曜日

ASIの発達と決定論

 世の中の話題はAGIを通り過ぎてASIに進んでいる。AGIがGeneral IntelligenceならASIはSuper Intelligence、即ち人類を遥かに超えた知性ということらしい。

2045年にシンギュラリティが起きると予測したのは、人工知能研究の世界的権威であるレイ・カーツワイル博士であり、これを「2045年問題」と言っている。だが現実にはもっと早く、2035年とか2030年とかに起きてもおかしくないと思い始めている。

ASIが実用化された際には何が起きるのだろうか、とAIに尋ねてみると、ASIが神様か悪魔かといった二元論的な結論しか出てこないので閉口した。まあ要するにディストピアとユートピアが結論になってしまうのだが、現実はそんなに単純ではないはずだ。

なぜそんな結論になってしまうのかと考えるに、ASIの知恵は人知が及ばないのだから何だってできてしまう、という至極単純な、脊髄反射的な思考に陥っているからだ。それはAIが悪いのではなく、世の中の多くの人もまた、その程度しか想像力が働いていないだからだろうと思う。そこで、AIを含め、ASIを買いかぶっている人たちが考えそうな未来について、現実的な側面から少し検証しておこうと思う。

まず、ASIはAGIの上位概念だが、明確な線引があるわけではない。また、ASIは世界に一つではなく、今でもCopilotとGeminiとPerprexity AIと・・・が並列に存在しているように、世界中に無数に発生し、相互に切磋琢磨して競い合うものだ。国家が機密として囲い、一般には触れさせないようなものでもない。今でも無料と有料では賢さが異なるが、これがそのまま並行して進んでいくものと思って良い。最上位のASIでも、数か月程度で一般人も触れるようになるだろう。その間に最上位は更に賢くなり、そのサイクルを繰り返していく。

次に、AGIよりASIが優れているであろう機能性能についてだが、同じ質問をしてもより深く高度に考えて結論を出してくれる点であろう。これは二通りほど考えられ、一つの方向性は、その予測や推測が正確になっていくところだ。地震予知が可能になるとか天気予報が確実になるとかだ。また、新たな政策の効果予測や受験の結果予測、あるいは物流の最適化なども考えられる。もちろん事実確認(ファクトチェック)のようなことは朝飯前だ。

AGIは、世論をそのまま鵜呑みにするのではなく、その論理構造や量的側面を分析して、専門家のように冷静な議論をすることができるだろう。そうすると、たとえば政策論議におけるウソが簡単にバレてしまうようなことも起きる。備蓄米の問題で言うと、最初に農水省が「コメは不足していない」と言ったら直ちにウソと断じ理由も付け加える、というようなことができる。国会中継をテレビで見て秒速で分析するような事態になれば、仇や疎かな発言はできなくなる。もっと言うと、ポジショントークを喝破したり、個人の発言の積み重ねから本人の思想信条を分析して、ウソを言うタイミングまで予想してしまうかもしれない。

もう一つは、人知では追えないほど大量の施策を積み上げて目的を達成することが可能になることだ。たとえば会社の業績を上げるために、大量の人事異動を一斉に行い、各人の仕事をこと細かく指示し、フォローもAIが担当する、などが考えられる。戦争で言うなら、戦士一人ひとりのインカムに、各々異なる指示を直接、秒速で出し続けることで、少数の戦力で最大限の成果を得る、というようなものだ。

この二つを組み合わせると、組織の意思決定とその実行をAIに完全に任せることで、飛躍的な成績を上げることができるだろう。ただしその際の前提をしっかり作っておかないと、特定のところに極端なしわ寄せを作る場合があるので、事前の検証は十分に必要だ。

またこれは、個人の成長や成功にも結びつけることができる。星新一のショートショート「はい」にあったように、人間一人ひとりにインカムをつけさせてその指示通りに動かす、ということも考えられるだろう。

これらを非常に大雑把にまとめると、それは「最適化」である。目標は個々に定めるとしても、やっていることは目標に対する最適化に他ならない。だがもちろん、ASIは世界中に多数あるため、企業同士国同士などではASI同士の競争が起こり、勝ったり負けたりするだろう。企業と国、国同士などでも同じ葛藤があり、初期にはその歯車が噛み合わずに物価が高騰したり戦争が起きたりと不具合も生じるかもしれない。ただそれも適宜修正され、収束していくものと考える。

次に、巷で言われている予想への反論、ないしは指摘をしておきたい。

  1. ASIには無限の可能性がある
    1. 子供には無限の可能性がある。それと同じく象徴的な言葉としては良いのだが、現実にはASIとて限界がある。たとえば、いくら頭が良くても無限の資源を提供することはできないし、一定以上の社会の効率化だってできるはずはないのだ。つまり、ASI以外のファクターが足かせになって、進化はどこかで鈍化ないしは停止する。その「どこか」も、想像できないほど離れた地点ではない。
  2. 地球環境保護のために人類を絶滅させる等といった極端に走る可能性
    1. ASIはAGIの延長として作られるし、AGIは今のAIの延長として考えられている。その過程でそういった基本倫理や安全装置は当然組み込まれるはずである。映画でよくあるような完全自動にするなど、ありえない話だ。また、その安全装置をAIが回避するという描写もあるが、そんな回避はできないように作るのが安全装置である。
  3. 一部の国が倫理を抑えた極端なASIを使って世界制覇を企む、戦争の自動化によって些細なきっかけから世界大戦が起こり、世界が破滅する
    1. ASIは他国も当然開発している。だから一部の国が暴走したとしても、そういうときは他国が抑えてくれるはずだ。圧倒的に他国のほうが資源は多いのだから、その世界制覇は成功しないだろう。
    2. また当然、戦争の無制限な自動化などあり得ないことだ。そういう危険があるからこそ、安全装置は必ず組み込まれる。そして一部の国でそれが突破されたとしても、独立した他の国のASIまで含めて皆突破されるということはあり得ない。
  4. ASIを擁する国が栄え、世界的な経済格差が拡大する
    1. 初期の格差が圧倒的で素早かったら、そういうシナリオは考えられる。それが独裁国家であればなおのことだ。先進国と新興国の差は近年縮まってきたが、ASIをきっかけに再びそれが拡大する可能性はあると言える。ただそれすらも一時的なことで、やがて格差拡大は収束していく。むしろ現在よりも縮小する可能性がある。
    2. 先進国はASIで社会を最適化するだろうが、最適化が完了してしまえばそれ以上の最適化はできなくなる。そして新興国もやはりASIを使って社会を最適化してくるだろう。そうすれば新興国は先進国と変わらない効率化ができる。
    3. なぜこう言えるかというと、無限の最適化などは所詮不可能だからだ。ある程度以上の知恵は、あっても応用の場が無いのである。例えば、セールスマン巡回問題において、どんなASIであっても最適解以上の解は絶対に出せない一方、漸次最適解と最適解の差はほとんど無い。だから、新興国のASIがある程度以上賢くなれば、先進国の超絶ASIと土俵は同じになってしまうのである。
  5. 人間は労働しなくてよくなる、全てAI(ロボット)がやってくれる
    1. これも誤りである。まずAIができる仕事はオンラインで完結する仕事のみであり、これは先進国でもせいぜい全人口の30%程度しかない。農業漁業はもちろんだが、サービス業でも人間による対面が要求される業務は多くあるからだ。
    2. ではこれがロボットに成り代わるかというと、業種的には7割8割ということは可能だろうが、今度は資源の問題が出てくる。つまり、ロボットを作るには、大量のコンピュータや鉄、銅、プラスチック、またバッテリ材料となる希少金属などが必要であり、地球環境の中で全人類に奉仕できるだけの数のロボットを作るのはそもそも不可能なのだ。計算にもよるだろうが、全人類の数%が限度、という試算もある。ほとんどの人類にとって、労働がロボットに成り代わるというのは永遠の夢でしかない。
  6. 「幼年期の終わり」が起きる
    1. 「幼年期の終わり」とは、SF作家のアーサー・C・クラーク氏が1953年に発表したSF小説だ。人類が超人類に進化していく過程を描いたものだが、その過程で超人類は人類には理解しがたい行動を取り始める。つまり、ASI及びそれを駆使する極端に頭の良い人類が、そうではない普通の人類にとっては理解できない行動を取り始める、という予測である。
    2. 前に論じた通り、ASIの本領は最適化であり、現在レベルの最適化とASIの最適化が何百倍も違うというのは考えにくい。そしてそのやり方が少々奇妙に思える場面もあるだろうが、理解しがたい行動というところまで奇異なものにはならないはずだ。

ここで、一つの疑問が出てくる。SFの一派あるいは科学者の仮説の一派として、「決定論」がある。つまり、「世の中は偶然が重なって進んでいくので予測は不可能」という非決定論に対し、「世の中で将来に起こることは現時点での状態によって決まるのであって、つまりは事前に完璧な予測が可能」というものだ。ASIはこの仮説に、ある程度の回答を出してくれるかもしれない。

決定論に対する反論としてよく挙げられるのは、ハイゼンベルグの不確定性原理だ。だがこれはあくまでも素粒子レベルの話であって、よく考えてみれば社会の動きの不確定性に直接結びつくものではない。経済学は学問といえるのか(あまりにもハズレが多い)という疑問もあるのだが、それはあまりにも社会が複雑だからであって、つまり人間の頭が追いついていないだけだ、とも考えられる。ASIはその仮説を検証してくれるのだ。

つまり、ASIによる予測の精度がどんどん高度で精密になっていくに連れ、「決定論は正しい」という結論が出るかもしれない。逆に、ASIが高度になっても予測の精度があまり上がらなければ、非決定論ないしはカオス理論が正しいと言えるかもしれない。ただ、当面は精度が上がる方向に推移することは間違いないので、精度がどこで止まるか、がその判定のカギになる。

実際のところ、この結果を予測するのは困難だが、個人的には後者、すなわち「限度あり」を推したい。天気予報は正確になるが、戦争はなくならず、国際的な貧富の差も、縮みこそすれ、無くなることはないと考える。

ASIは自国の最適化は行うだろうが、世界の最適化は行えない。なぜなら国同士の協力には(人間の)為政者と国民感情の限度があるからだ。たとえばサウジアラビアの砂漠に太陽電池を敷き詰めると世界中の電力が供給可能なのだが、それに掛かる費用の分担をどうするか、戦争になったときの補償は、ということをいくらASIが考えても、それを承認するのは人間だ。人間同士のエゴがあるかぎり、人間に支配されているASIはそれに従うしかない。その点、検証が最後までできない、という可能性もある。

また、ASIを戦争に使うためには、どうしても「自国の国民・資産>想定敵国の国民・資産」、また「世界全体の益>自国の益」といった優先度を設定する必要があるだろう。だがASIはそれを是とするだろうか。またその程度をどう考えるべきか。これも興味ある課題だ。

2025年6月19日木曜日

ヒューマノイド家事用ロボットの普及と少子化対策

https://www.1x.tech/neo

以前も紹介したヒューマノイド家事ロボットだが、量産化で8万ドルを目指しているらしい。他にもテスラのOptimusやFigure 02など多くのヒューマノイドロボットが開発中で、2030年代中盤くらいには、こういったヒューマノイドロボットは量産化されていると予想されている。中国のもので250万円、ヨーロッパやアメリカのもので400から1000万円くらい。サラリーマンでも何とか買えなくもない、という値段だ。

これで何ができるのかというと、家の片付け、掃除、洗濯物の折りたたみ、荷物の受け取り、などだという。調理はさすがに難しいだろうし、買い物も困難だろう。掃除と言っても掃除機をかけるくらいで、ベランダの掃除や草刈りなどは無理だろう。数百万かける割には大したことはできないように思える。

ただ、もし家事全般すなわち買い物や炊事、食器洗い、子育てまで含めて家事全般ができるようになったとしたらどうだろう。そんなロボットが一家ないしは一人に一台あれば、どうなるか。

一家4人(共稼ぎ夫婦と未就学児、小学3年生)を想定した場合、平均的な家事育児時間は1日当り5~7時間、余暇時間は1日当り2~3時間と推定される。これにロボットを導入することで家事を70%任せられるとすると、夫婦の家事育児時間は1~2時間、余暇時間は5~6時間に増えると計算される。

これだけあれば、夫婦が子育てを負担に感じることはないだろう。ゆとりを持って生活できるし、余暇で更に副職をすることも可能になるはずだ。

だが一方で、ロボット自体のコストは増える。それを例えば500万円で10年と考えるなら、年間の追加コストは50万円で、年収500万円をすると1割になる。これは結構なコストだ。

家事育児の負担を減らすためにロボットを買う、そのロボットのコスト増加のために仕事を頑張る、というのは、本末転倒とまでは言わないが、プラスとマイナスの側面があるマッチポンプのようなもので、どちらが幸せか分からない。ただ、1割というのは結構微妙なところで、やろうと思えばできなくはないところがエグい。個人的には新しいモノ好きなのでぜひ導入してみたいとは思うが。

また、もしこれが本当に実用的なら、国や企業がその費用を補助することも考えられる。そうすれば従業員のQOLは向上するし、上手く行けば少子化対策にもなるかもしれない。

子供を持つことのコストは経済的なものだけではなく、親の時間を取られること、親の考え事や悩みが増えること、という側面もある。そこにロボットをあてがうことで、子供を持つことへの抵抗が薄れるというわけだ。

なお、その弊害はもちろん、子育てをロボットに委ねることの是非だろう。今のヒューマノイドロボットはあまり喋らず表情機能がなく目もないため、特に幼児期の精神の発達には悪影響があると予想される。このため、初期のロボットではそういった精神発達が歪んだ子供ができる可能性はある。だがそれは技術によって次第に克服できるだろう。

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