2020年2月27日木曜日

10%ヒューマノイド


自動運転車が全体の10%でも普及すれば交通渋滞が大きく解消される、というシミュレーションがあるそうだ。100%でなくて、あるいは80%でなくていいんだろうか、と思っていたのだが、実際にはそうでもないらしい。

なぜそんなことが起こるのかまではまだ検証されていないようだ。しかしここから類推するに、渋滞や事故事件というのは、全くの偶然に起こるものではなく、やはりその現場の空気感、温度、といったものによって急激に発生率が上昇するものなのではないか。そして10%の(法に律儀で一定の論理性を持った行動をする)自動運転車が紛れ込むことで、図らずもそういう状態を回避できているのではないだろうか。

もしこの仮説が正しいとすると、社会に10%のヒューマノイドが紛れ込んでいれば、世の中の事故事件は大いに減るのではないだろうか。

考えてみれば、集団の中に一人二人、人当たりの良い、まとめ役になりそうな人がいたりすれば、何かと話は進むものだ。人には個性があり、コミュニケーションが苦手な人も多いが、社会人としての実力がないわけではない。そういう人の苦手を支えることだけを仕事にするヒューマノイドがいれば、その軋轢を減らすことは可能なはずだ。

あるいは、極端な不幸や悪い生活環境から、ひねくれたり極端な思想を持ってしまうような状況が作り出されるのを防ぐことができるのではないか。それは例えば近所の人に目を配り、子供が怪我をしていないか、街に出てこず引きこもっている人がいないか、いるはずなのに人気のない家がないか、といったようなことが分かり、それを地域が共有できれば、何らかの行動は起こせるし警戒もできるだろう。

そしてこれは現実社会だけでなく、電子空間上にも言えることだ。SNSやフォーラムの中に適当な割合で紛れ込んでいて、トラブルが起きそうになると事前にそれを認知し、上手く誘導してくれるような存在だ。

これを思いついて書き出してみて改めて思うのは、この存在とはすなわち「おせっかいおばさん」なのだということだ。決して警察や自治会などではなく、民生委員でもなく、つまり役割として存在するのではなく、普段から生活する同じレベルの仲間であって、かつ他の人よりも周りのことが良く気づき、またおせっかいもしてくれる存在。近所づきあいが大事なんて言うけれども、結局こういう存在の存在こそが、かつての日本の治安を守っていたのではないか。

個人主義の台頭で廃れてしまったおせっかいおばさんの存在こそが、明日の日本の経済発展のカギなのかもしれない、とすら思う。

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