2017年2月28日火曜日

国際救助隊


前田建設ファンタジー営業部という有名なサイトがあって、ここでかつて見積もりがされたことがある。このときの結論は、関空に基地を置くロボット救助隊だった。
ロボット救助隊の目的は、災害から36時間以内に瓦礫を素早くどかして生存者を救出するイメージだ。もちろんこれも大事だが、自分の場合はその後の生活維持・復興に焦点がある。せっかく生き残っても、食料や住居や、仕事が無くなってしまっては困る。自立できなければ苦しいだけだ。
まず、想定する災害は、地震、洪水、津波、戦争紛争による大規模破壊(但し終結後)、以上である。そしてやることは、現地の材料をできるだけ使って、壊れた建造物や食料を生産、再生産することである。
例えば、食料を持ってくるのは簡単だが、継続してずっと持って来なければならないのでは復興とはいえない。かと言って、鋤や鍬だけ与えても当面の食料がなければこれも意味がない。段階的に、長期的視野で、自立可能なように誘導する、またそのためのエネルギーや材料もできるだけ現地のものを使い、知恵を中心に提供するのが正しい方向だ。
危急のものは他に考えるとして、ここで考えるのは大きくは二つ。一つは食料生産として農業。これにはセンサ農業、現地の気候風土に合わせた作物計画がある。初期の種や苗、植物工場も有用だろう。津波の場合は塩害除去の仕掛けも必要だ。
もう一つは土木工事のための重機、現地の草木・土を使った構造体の作成だ。前者は良いとして、後者の視点は今までなかったのではないかと思う。これは、日干し煉瓦や焼き物の煉瓦の作成、合板の製造、金属の加工等が相当する。
道路をただ平らに均しただけではそのうち凸凹になる。だがここに煉瓦を敷き詰めれば、耐久性が出て長く持つ。また例え低品質であっても、規格サイズの合板が多数作られれば、住居や道具類の作成ができる。鋤や鍬、てこ、荷車、家具などだ。
これらに加え、現地人への教育プログラムが加わる。復興の標準的な手順として、簡易住居の作成、医療サポート、食料生産、道路整備、嗜好品・綿花の生産、本格的な住居復旧、・・・とマニュアルを整備し、またこれを現地に合わせて修正し、可能ならシミュレーションしてみる。そういったノウハウを現地の言葉で教える、また受講者が更に講師になる教育循環の仕組みを考える。
現地の言葉が分かる人材が簡単に確保できるとは限らないから、通訳ソフトと大量の端末が必要になる。また初期においては大量の燃料や食料は何れにしろ必要なので、これも確保する。医薬品や医療器具も同様で、当分は供給に頼ることになる。
従来の支援策に比べると、実物の割合が少なく、ノウハウ提供の割合が多くなる。従って横展開も容易であり、またノウハウは使われる度に洗練されていくから効率もどんどん上がっていく。ノウハウはAIに溜まるような時代になるかもしれない。そうすれば、通信手段の確保と端末の配布だけで、後は現地にお任せ、ということもできるようになるかもしれない。
そういった支援こそが、今後求められていくものではないか、と思う。

2017年2月27日月曜日

試験投票兼用端末


電子投票と、それだけではもったいないので各種試験(受験、資格試験など)に兼用できる専用端末を考える。
まずはハードウェア。基本的にはシンクライアント、つまりChrome OSやRDP端末として動くようにする。次にサイズと形状だが、12~14インチサイズの2画面型ノートとする。1画面目は通常のノートPCと同様、2画面目はキーボードに相当するところに配置する。上が問題、下が回答だ。また2画面目はタッチパネルとする。静電式電子ペンへ対応し、また磨耗防止のための交換式保護シートが敷けるようにする。蝶番で折れてもよいが、固定版もあり得る。
電源含め、原則として接続端子はない。必要なもの全ては無線で接続する。また、超指向性スピーカとマイクを内蔵する。スピーカは斜め上を向き、操作する本人にのみ音が聞こえるようにする。無線ICカードリーダー、インカメラ(こちらを向いたカメラ)を内蔵する。
バッテリはないか、内蔵するとしても劣化しない電気二重層コンデンサのようなものがよい。テーブルには専用のマットを敷き、無線LANシート
と無線給電(Qi)を仕込む。空冷ファンもない方がよい。
無線LANシートの先には認証サーバがあり、ICカードのタッチと認証までは共通、その先はプログラミングでどうとでもなる世界になる。認証サーバはローカルで持ってもよいし、Googleのように開けた世界にあっても問題ない。開けたサーバの場合は、実際の試験サーバとはサーバ同士で認証を交換する仕掛けが必要だが、これは既に世の中にあるものを使えばよい。
端末の故障には代替機で対応する。このためには試験官が専用の操作や別端末を持って途中交代させるような操作が必要である。これをすることで、新しい端末で続きをすることができる。
この端末の苦手となりそうなのが、大量の筆記が伴う試験だ。計算問題や論文などである。また、共通テストのように、同じ問題を全国で一斉に解くような形の試験は、技術的には難しくないが、サーバの負荷やトラブル対応などを考えると好ましくない。アダプティブテストや、問題のストックからランダムに選ぶような形のテストの方が望ましい。
筆記試験の場合、タイプにしてしまうと日本語変換の癖で戸惑ったり不具合対処で時間が掛かったりしてしまうから、手書き且つ手書き文字認識しない、という形になる。そうすると、タッチパネルのサイズでは小さい文字を書けないから、必然的に記述量が少なくなってしまう。そういった試験へ無理に対処するのは止めた方がよい。
端末自体にはIDと認証を設け、不正端末との接続を避けるようにする他、接続状況を観察して疑わしい接続を警告するような仕掛けがあるとよい。また、インカメラによって、試験開始から終了まで常に同じ顔が映っていることが強制されるようにする。これで不正を防止する。端子がないことも不正防止に貢献する。
端末だけでなく無線LANシートや無線給電、覗き見防止のためのブース化など、それなりの配慮や労力が必要になるため、たまにしか使用しない使い方では運用が辛い。このため、会場を固定し、試験の種類を多数受け入れるような、汎用の試験場という形での運用が望ましいと思われる。また、地方など人数や頻度が限られるところでは、組み立て式ブースやキット化なども検討する。
普段は学習用に使い、試験の時は試験に使う、という運用であれば、学校で買うこともできるだろう。これなら全国どこでも同じように授業と試験ができるから、大手私立学校や塾などで、地方の分校を積極的に作るような展開も考えられる。その場合、インカメラがあることはそのまま質問用TV電話システムになる。また、怪我や病気で長期欠席したり、引きこもりなど精神的な理由で登校が困難な学生でも、これで勉強を進めることができる。あるいは海外赴任の親に着いていく子供にも、日本の授業を引き続き受けさせることができる。

2017年2月26日日曜日

崩壊する


社会制度を変えようとする際、抵抗する人たちが一定数出てくるのは当たり前のことだ。だがその中に、「それを認めるとXX制度が崩壊する」という輩が多くいる場合、彼ら彼女らは無視することにしている。
最近の例で言うと、生前退位問題、夫婦別姓問題などにそういう輩がいる。「崩壊」という用語しか出てこないような場合、相手が抱いているのは漫然とした不安であり、根拠が薄かったり個人の思想が背景にあったり、調べる気力や知識に欠け、要はあまり論理的な議論ができない可能性が高い。
例えば夫婦別姓なら、離婚率が増えるだろうとか子供の名字をどちらにするかでトラブルが増えるだろうとかいうのは想像できることだが、では実際にどの程度増えるか(量的議論)をまじめに研究した結果というのは見られない。一方で、今までそれが原因で事実婚だった人が結婚できると考えた時、その人たちは数々の法的な保護を受けられ、安心して仕事や育児ができるので社会に貢献する。プラスとマイナスを合わせてプラスの方が多ければ変えればよい、とするのが本来の議論のはずだ。
新聞などで、特に反対派の意見を読んでいると、そういった視点が一切なく、悲しくなる。更に、そういった発言をする人の多くが、社会的に一定の地位を得たいわゆる「偉い人」であるところが更に悲しい。上は大げさな例だが、会社のルールなども同様だ。結局、よくある「事なかれ」でしかない。
量的議論をきちんとしてみれば、その制度に本当に意味があったのか、どんな意味があったのかが分かる。改革したがる方がエネルギーはあるのだから、(最初は恣意的なものでもよいから)数値を出させ、議論の俎上に上げてやることは、最低限の「偉い人」の義務ではないかと思う。

2017年2月25日土曜日

冨田勲


今更だが、ご冥福をお祈りする。
技術に興味を持つきっかけとなったのは、彼だったように思う。冨田勲と言えばシンセサイザーだが、普通のアルバム以外にも、音作りの過程を説明するような2枚組のLPレコードが出されたことがあって、人生最初の自分で買ったレコードはそれだったように記憶している。
「冨田勲の世界」というものだ。これがきっかけでシンセサイザーに興味が出た。ただ当時のシンセサイザーは子供が気軽に買えるような値段ではなく、想像で楽しむしか他なかった。
では自分で作れないだろうか、と調べてみて、「ラジオの製作」
系の電子工作にはまる。そして遂に、ラジオの製作でもシンセサイザーの自作記事が出るのだが、モジュール毎の連載、またモジュール一つ一つが高額、ということで、作るのを断念する。
その後、ヤマハからFM音源シンセサイザーが出てくるのだが、暫く後にそのコアとなっているICが秋葉原に出回っていることを知る。キットなどは出ていなかったので、ICの説明書を入手して読んでみると、これがコンピュータ制御前提となっていた。
ここで一時気が遠くなるのだが、コンピュータ関係の勉強は別に行っていた。そこで全てを自分で設計し作ることを決意。何とか動かすことができたのだが、プログラムが稚拙で自由に音を作り出すことができなかった。その間も氏は次々と新作を出し、そのたびにレコード(後にCD)を買っては憧れることになる。
最近ではシンセサイザーを使った音楽は当たり前になった。そんな時代に改めて氏の音楽を聴くと、当時は全然感じなかった、手作りの暖かさを感じる。何というか、音のツヤ感が違うのだ。手塚治虫のスターシステムのように、冨田サウンドにも定番の音が幾つかあって、それが出てくると思わずニヤリとなる。当時の氏も手作りを意識していたわけではないと思うのだが(それしか方法がなかったのだから)、これは不思議な感覚だ。
逆に考えると、今のシンセサイザー音楽は、自動で作れるところが多い分、手抜きになっているのではないか。料理でもそうだが、市販品そのままではなく、自分なりの隠し味を入れたり、推奨する作り方をわざと外してみたり、とすることで、自分オリジナルに変わっていくものだ。現代の演奏家には、(弾き方だけでなく音作りのところで)個性をもっと発揮してほしいものだと思う。

2017年2月24日金曜日

生物的プログラミングモデル


マルウェアの影響を抑えるために、生物を模したプログラミングモデルを考えてみる。
それは、プログラムをセルの単位で厳重に保護する。このセルが大量のネットワーク接続をしており、そのネットワーク自体がプログラムである、という形態になる。
セル単体は、人間が欲するような意味のある結果を出すものではない。それは体を構成するものだが、機能とするモノとして期待されているのは、手や足、臓器などといった、セルの集合体である。
また、その形態情報は各々のセルに組み込まれており、もしセルに異常があれば修復する機能が組み込まれている。ネットワークの構成情報は正にDNAである。DNAの構成要素まで完璧に生物をトレースする必要はないが、同程度の複雑さは必要で、これをランダムに変えても(死滅することはあれど)暴走することはないようにする。そういう意味ではここはプログラムや単純な属性情報ではなく、一種の記号、ないしは暗号になっている。
セルは、ネットワーク内での自分の位置と役割、ネットワークの状況(通信状況、仕事の進み具合など)によって性質を変え、また数を増やしたり減らしたりする。そのこと自体もDNAに記述してある。自然の細胞と違ってDNAコピーのミスはおこらない(はず)。このため(ネットワーク全体としての)命は永遠である。
このシステムにマルウェア的な侵入、破壊、誤動作を起こさせるには、セル間ネットワークの伝達情報を狂わせるしかない。例えば隣に新たなセルができたと思わせる、などだ。だが通信は暗号化されている上、単独のセルと繋がっただけではダメで、周りのセルを全て騙さなければならないので、難易度は高い。
ネットワーク自体がプログラム、なんて、どうやって作れば良いのだろう、とは思うが、生物で成功している以上、何らかの突破口はあるのではないか、と思う。

2017年2月23日木曜日

コンピュータ免疫モデル


人間や動物の体の中に、外のあるウィルスや細菌がゼロということはあり得ない。侵入を防ぐことは不可能だ。だから体には様々な免疫機構があって、それらの侵入を許しながらも生きていくことができる。今後、コンピュータが更に高度化していくに当たっては、これと同じようなモデルが必要になるのではないか。
現状のモデルは演繹的だ。つまりウィルスであるかどうかは外部(人間)が定義し、それを叩く。一方本稿のやり方は帰納的だ。大量に増えて不具合が出てきたらその原因を見つけて叩く。一見よく似ているが、実害が出るまでは動かないこと、実害を自動的に検知すること、そして実害の原因を自動で見つけるところが異なる。これは、プログラミングとAI学習モデルの関係によく似ている。
ソフトウェアは細胞壁のように強固な膜で覆われていて、そこに侵入できるのは安全なものだけのはずだ。それを騙して侵入するのがマルウェアである。但し一つのセルには一つのマルウェアしか入らない(大量に入っても意味がない)。セルが持っている情報量は微量だからだ。だからマルウェア側も増殖しなければならない。そのようなアーキテクチャにする。
人間の体が移動したり手先が器用だったりというのは、細胞の集合体としてのアルゴリズムができているからだが、それと同じようなソフトウェアモデルを組めば、免疫システムにも類似の構造を作れるはずだ。
免疫モデルを作る以上、大元の「人間」つまり業務プログラムも従来と大きく変わるはずだ。それは別稿で。

2017年2月22日水曜日

今、できないこと


長年技術ウォッチを続けていると、自分の予想が外れることはよくある。それを振り返ってみることは、将来への予測の精度を高めることにもなる。技術に関していうと、タイトルの「今、」というところが凄く重要になる。
時々、科学的にはトンデモな記事が出てきては話題になる。永久機関がその代表的なもので、ここ数年でも3、4件は目にしている。こういったものは「永遠に実現不可能」なものだ。これに対し、今は不可能だが将来的にはできるようになる、というものもよくあり、また多くは実現しない。
それを分類すると、次のようになる。
  1. 技術の進歩が予想外に遅い、または多額の費用が掛かる
  2. 社会構造や法律を変える必要があり、その変更に対する抵抗が大きい
  3. 開発者(先行特許取得者)に技量がない、あるいは金儲けに走って訴訟合戦になるなどしてメジャーになれない
  4. 普及に関し卵と鶏の関係があり、且つ開発者に資本力・調整力がない
  5. 競合に負けて潰される
半導体音楽プレイヤーが出てきた初期、市場は混沌としていたが、勝者はiPodだった。この理由は技術的なものではない。もちろん使い勝手も技術のうち、という考え方もできるが、決定的だったのは、CDの取り込みではなく、音楽制作会社の多くが参加したことだった。これは4.の例だ。
セグウェイの失敗は2.に当たるだろう。DVD普及の陰には3.による他形式ディスクの失敗がある。NCがNetPCに潰され、結局NetPCが普及しなかったのは5.に当たるだろう。
さて、問題は1.だ。例としては電子ペーパーのカラー化・大画面化がある。キャノンのSEDテレビもそうだ。もっと緩いものしてはプラズマディスプレイもある。これを性格に見極めるのは難しい。特に技術が最先端であればあるほど、素人にはそれが難しいものなのかどうか分からない。
技術の解説は、専門雑誌などを見ればそこそこ解説されている。自分もそれを読むのだが、それでも見極めは難しい。もしかしたら開発者の技量や会社の体制まで見なければならないのだろうか。そうであれば外部からの予測はそもそも困難だ。
だが、これも「本質的に難しい」というものと、「他の技術の進歩によってこちらの進歩も加速される」というものがある。今、電子ペーパーのカラー化は難しいが、本質的に難しいのではない。例えば材料工学がAIの支援で進歩することが貢献するということもあり得る。
趣味は未来予測ではなく夢想なので、2.~5.を詳しく考える気はないのだが、1.だけで考えても、例えばAIを大々的に投入するならそれなりの資本力が必要だから経営判断も必要、となると、2.~5.を考えざるを得ない。そんな中で上手く予測(夢想)が当たるのが嬉しい。
未来予測の中でも、上の「本質的に無理/難しい」のか、「他の技術の進歩によってこちらも進歩し得る」のかを見極めるのは大事なのだが、ここを混同する解説者も多いので注意が必要である。永久機関は論外としても、難しさにもオーダー
はあるのだ。数倍難しいのか、数億倍難しいのかを区別せずに論じてはいけない。これも一種の量的議論と言える。

2017年2月21日火曜日

不気味の谷


ロボットが人間に近づいてくるに連れて、ある程度までは親近感が増していくが、一定の限度を越えるとかえって怖くなる、という現象だ。その後再び親近感を増すらしいが、まだそれは検証されていない、と言っていい。
と、最近まで思っていた。だが、その検証は為されてきているようだ。CGや人形の技術が向上し、本当に違和感のないものができてきている。不気味の谷を越えることはできる、しかも思っているより早く、というのが最近の印象である。CGではSaya2016がその例として挙げられるだろう。造形の方は、もうちょっと時間が掛かるだろう。型取りまではできても、透明感のある肌の色の再現はまだ難しい。
動きの方はまだまだで、有名な石黒教授のロボットでも不気味の谷には届いていない。人間に危害を加えないため、アンドロイドでは空気を使っている例が多いが、しっかりと馬力の出るモーターを使ってまず(危険は離れればよいのだから)動きをしっかり出して、その後で安全性を検討する方が良さそうな気がする。
一方で、最近ASIMOの話題がないと思ったら、2011年以降の技術進歩に関してHPに記述がない。アシストロボットなどに研究の方向がいってしまったせいだろうか。どうも人間と同じ動きをするロボットへの関心は継続的には行かないようだ。

2017年2月20日月曜日

医療用トリコーダーの実現


時代が進むことで、昔のSFが奇異に思えるようなことはよくある。抑揚のないコンピュータ音声や、わざとぎこちなく歩く人間型ロボットなどは、もはや過去の遺物である。スタートレックシリーズに出てくるトリコーダーもその一つだ。
トリコーダー本体、また医療用プローブを手に持って、あちこち探し回るような仕草がよく見られる。何を調べているのかは知らないが、そんなに動かさないと分からないものか。またその情報をあの小さなディスプレイに表示することもおかしい。音を発することも奇異に映る。
まあ、ファンにとっては余計なツッコミである。だがあえてこんなことを言うのは、特に医療において、これと類似の機器を作ることは可能になってきていると思うのだ。手に持てる小さなプローブと無線接続するスマホやタブレットがあれば、医療知識ゼロの未経験者であっても診察を受けられるだけの情報を得られるのではないか。
あまり知られていないが、マイク内蔵の聴診器や、喉を見るためのカメラなどは存在しているし、非接触で体温を測る温度計もある。呼気をガスセンサで計測することもできるし、筋硬度計でこわばりを見たり、カメラで発赤や湿疹・デキモノを撮影して腫瘍の危険度を測ることもできる。今までは触診に頼ってきたようなことも、センサで計測すれば数値化できるし、後の検証にもデータとして残るので使い易い。
もちろん、触診はタダでできるがセンサはカネが掛かる。だが一方で、触診には多数の経験と知識が必要だがセンサは不要だ。もし触診のような職人気質の技術を機械で代替できるなら、触診が苦手な医師や患者の助けになるし、何よりも遠隔診察に道が開ける。医者に頼らずとも、AIで予備診断ができるはずだ。
「非侵襲な初期診察用」と割り切れば医師免許は要らない。だから、例えば救急車に積んでおく。大企業では医療センタや健康センタに置いておく。宇宙飛行士や南極観測隊が持っていく。登山や探検などの危険スポーツに持っていく。離島や新興国、紛争国の医療ボランティアなどが持っておく。そういった使い方ができるのだ。
触診からの診断の体系は長年の経験で確立しているが、プローブで得られる情報はまた違うだろうから、診断可能な病気の範囲は当然異なってくるはずだ。だがこちらにはAIのバックアップがあるから、その得手不得手も早々に分かるだろうし、その実績を基にセンサの補強などでカバー範囲を広げ、何れは触診を追い抜く可能性すらある。
AIを背景に持てば初期診断にマンパワーは不要だから、裾野が広がっても医師の負担はさほど増えないし、侵襲診察が必要となったとしても、検査キットが発達してきているので、AIの初期診断に基づいて追加検査をするところまでは自動化できる。本当に生身の医者にお目にかかるのはその後、それ以上の診察をするか診断を聞かされるか、というところだ。
遠隔医療専門の医師が出てきたり、地球規模で時間帯毎にチームを組んで年中無休の簡易オンライン診断所を作るようなことも考えられる。一方で地域の診療所では、医師が休んでいても診察だけは受けられるようになり、年中無休にするところも出てくるだろう。それに伴って裾野は広がり、例えばショッピングモールやコンビニの隅に専用コーナーができる、ということも考えられる。
ここでのポイントは、従来では触診等で済まされていたか、あるいはいちいち専用の器具が作られていたところ、手のひらに収まる一つの「プローブ」で全てを済まそう、という方針である。例えば血圧計は侵襲と言えるのだが、非侵襲でどれだけ正確に血圧を測定できるか、あるいは従来触診や打診に頼っていた、内蔵や筋肉のこわばりや腫れをどうやって測定するか、というところに技術的焦点が向くことになる。

2017年2月19日日曜日

頑丈キャスター付き洋服ダンス


洋服ダンスは動かないものだが、これが動く、しかも思い立ったら簡単に動かせるとなるとどうなるか。きっと模様替えは頻繁にできるだろうし、衣替えもタンス単位でできるだろう。だがそれよりも重要なのは、隙間なく奥に詰めることができる、ということだ。いわゆる納戸、サービスルーム、つまり窓がないか小さい部屋を一つ潰して、ここに人が入る隙間がないほどびっちりと家具を入れても、出し入れが簡単なのであれば問題ないから、その分居室を広く使える。
このための機構を考えるに、難しい判断が一つある。それは、既存の家具に対して使えるようにするか、新しい家具を前提にするか、だ。
新しい家具に関しては話は簡単だ。物流では、「カートラック」ないしは「ストックカート」と呼ばれる商品群がある。例えばこんなものだ。
これそのままでは使えないが、要は頑丈なキャスターを持つ台車の上に家具を作りつければよい。ハカマを穿かせてキャスターを隠せるようにする。キャスターさえ充分に頑丈なら、相当重い家具であってもスムーズに動かすことができるから動力は不要だ。但し、下が高くなるのでスペース効率は悪い。
問題は既存の家具への対応の方だ。下に頑丈な板を敷いて、それを基点にジャッキで持ち上げればいいのだろうが、そのためにはその板はある程度厚くないといけないし、持ち上げるためにはフォークリフトで使うようなフォークが入る穴が必要だ。専用にして小型化したとしても、5cmは高くなってしまうだろう。板ではなく、滑りやすく丈夫な布を敷いておき、これを引っ張るというのを思いついたのだが、これでは引っ張れても押すことができない。また、家具に合わせて左右の幅と奥行きが自由に設定できる必要がある。
最終的に考えられたのは、フォークではなく角度の鋭いクサビを差し込むタイプのリフトである。但しこのクサビは、左右の間隔を調整して家具の左右の幅に合わせられる。これなら、クサビが入り込む際に床を傷つけないような冶具(薄い2枚の板)を敷いておいて、その間にクサビを打ち込むようにすればよい。板の幅は10cmもあればよく、持ち上げる際には磁石で下の板も一緒に持ち上がるようにする。この板は家具の奥行きに合わせて複数の種類を用意する。30cm、45cm、60cmのものがあればよいだろう。家具の幅は様々だが、45cm~90cmとし、それより幅の広い家具は対象外とする。
とまあそこまで考えておいてなんだが、既存の家具への対応は無理筋のような気がする。前者(専用家具)に専念した方がシンプルでビジネスモデルとしても良さそうだ。隠れキャスターがある家具というのは実は既に存在しているのだが、どれもこれもキャスターの径が小さく、耐荷重が弱い。これでは段差を乗り越えられない。また、段差を乗り越えるときに邪魔になるので、ハカマは前だけにするか、付け外しないしは跳ね上げが可能なものにしておくとよい。
耐震補強については、市販のツッパリ棒でも問題ないと思う。入れ替えても高さは一緒だからだ。ツッパリ棒には、一度固定すると動かさない高さ調整の機構の他に、ツッパリ強度確保のためのネジが付いているはずで、このネジを緩めれば問題ない。

2017年2月18日土曜日

家族の自動車


以前の「自動運転車併走自動運転車」の最後、トイレ車やシャワー車が出てくる、というのを更に発展させると、家族一人ひとりに自動車がつき、家の機能を司る別の自動車が多数あって、用途に合わせて合体したり離散したり、という構図が出てくる。
人一人が単独で動くパーソナルコミューターと、これに接続して乗り降りができる出入口の設計を共通化することが鍵になる。このため、従来自動車メーカーがコンセプトモデルとして出してきたコミューターよりも、真四角で自動ドアがあるようなタイプが有望だ。また、車高の上げ下げができるタイプが重宝されるだろう。接続先は固定された家や施設でもよいだろうし、別の車(コミューターではない、やや大型の車)でもよい。
大人子供二人づつの一般家庭を考えると、中型バス程度のサイズのリビング・寝室車を拠点として、通勤通学買い物にはパーソナルコミューターを接続して乗り移る、といった運用になる。トイレくらいは内蔵してよいが、キッチンや風呂はあったりなかったり、様々なタイプがある。ゴミや排水は分離可能なタンク車にまとめ、いっぱいになると切り離されて指定場所に捨て、上水と燃料を補給して戻ってくる(あるいは新しいものと交替する)。
パーソナルコミューターは基本的にカーシェアリングであり、リビング車のみが個人所有になる。家族ぐるみでの移動は、リビング車がそのまま移動することで行う。但し、大きな観光地などに直接リビング車が乗り込むのは困難なので、近郊に駐車場を置き、そこからコミューターで移動する。
トイレ車やシャワー車の出番は、コミューターが渋滞で捕まったとき、リビング車が買えない困窮者や一人暮らし対応、高速移動で休憩が取れない、などに対処するときになる。このため、これらやコンビニ車などは基本的にタクシーと同じく「流し」で営業する。単価は安いが、ロボットの自動運転なので需要予測に従って動き、効率は最大化できる。
とはいえ一日中移動するわけではないし、エネルギーの供給も必要だ。キャンピングカーにおけるカープールのようなところがあちこちにでき、原則として寝る時はそこに停車する。これも決まった場所に置くのではなく、日々違っても構わない。
集客能力の高い大規模施設は従来とさほど変わらないだろうが、個人経営の食堂やコンビニ等は、土地に固着するより移動した方が有利になる。TV電話で注文を受け付け、調理しながら(状況によってはお互いに)近づき、着いたら引き渡して支払って終わり(皿は使い捨てにするか回収車を使う)にできる。ダイニングを店側に準備する必要がないので効率化できる。物品販売や宅配、クリーニングなども同様で、まずオンラインで予約や通知をして、それに従って店が動き、場合によってはリビング車も協調して動き、引取り・引渡しをする。
さて、リビング車が車である必然性はあるのだろうか。例えば朝、まず夫が通勤するのに駅の近くに行き、次に子供が学校に行くのに学校の近くに移動すれば、コミューターの移動距離は短く、通勤通学時間自体も短くなる。朝寝坊もできるというものだ。また、通勤通学に便利とか景色がよい空気がよい治安がよい、という土地の価値は、意味が薄くなる。不利なら移動すればよいし、寝る時は関係ないだろうからだ。
更に、固定資産を所有しなくても生きていけるから、その分の納税が不要になる。この形態が流行ると、固定資産評価額は下がるだろう。いわゆる「街の魅力」も怪しくなってくる。特定の居住地からの移動が楽かどうか、魅力的な(移動しない)店や施設があるかどうか、などという判断基準の軸が鈍るからだ。
家を固定しない習慣は、インフラ整備の節約にもなる。タンク車が指定の場所に来てくれるのであれば、個々の家に上下水配管を引っ張る必要がない。電気は太陽電池やハイブリッドカーで対応し、通信は無線でできる。ゴミも集積所に自動で運んでくれる。これは、土地の相続問題や、区画整理にも有利に働く。役所の出番は大いに減るはずだ。
また、使い捨て容器が減るかもしれない。ペットボトルのリユース(リサイクルでなく)、プラスチック段ボール(紙でなく)による通函の普及、緩衝材の削減、などだ。これも回収が容易になるために起こる現象である。
治安も向上するかもしれない。不用意に外出することはなくなるし、夜でも安全に移動できる。訪問者は車単位で認証される。宅配です、といって未登録の車が接続されれば、アラームを出すことができる。
また、時間効率が高くなるという利点も出てくる。例えば医者の待ち時間だ。医院の近くにリビング車を移動させておけば、順番待ちを医者の待合室で無為に過ごすことなく、他の用を済ますことができる。これは医院にとっても有利で、待合室の大きさを小さくできるし、感染症対策もやりやすくなる。逆に、リビング車をずらりと並べておいて、診療車が前から順番に訪問していく、という構図も考えられる。他にも、全員が外出している可能性が減るので、宅配の効率などは上がるだろう。
こうなると、もう「街」は不要と言えるかもしれない。だだっぴろい土地(但し地ならしは必要)と、遠距離移動用の高速道路だけあればよい。景色を堪能する必然性はあるが、街中は碁盤の目のような道路と駐車場だけ、たまに巨大ショッピングモールのような施設が点在、という世界も想像できる。

2017年2月17日金曜日

VRと広告


現在のWebビジネスは広告で成り立っている面が多いが、VRになると広告が入れにくくなる、というのは直感的に分かると思う。ゲームの途中に立体感のないバナーが出てきても違和感ありまくりだし、恐竜探しの途中でヘンな3Dオブジェクトが出てくるのも興ざめだ。
これを解決するのは、ネイティブ広告やステルスマーケティングなどであろうと思われる。マクドナルドが地域によって外観を変えているのと同様、表示するVR空間に合わせて広告の形、色、動き、内容に至るまで調整して、違和感がなくなるようにするものだ。
例えば、街中を歩いている想定なら、ビルの看板や店舗のBGMなどを本物のそれに入れ替える、という手法になる。部屋の中なら何気なくつけているテレビに映っている、などはベーシックだ。だが上のように状況は様々だから、そういった場合はちょっと難しい。
ゲームの多くはそうだろう。ジェットコースターから見える景色に目立つ広告を入れてしまうとそこに目が行ってしまうし、時代劇の中で現代の広告が見えてはおかしい。AIに頼るような高度なことはまだ無理だろうから、個々にカスタマイズしてやる必要がある。
それでもゲームのような固定的なものはまだ考え易い。例えばVR専用OSのようなもの(Oculus Homeのような)があったとして、そこから様々なコンテンツへの経路があったとする。有償の業務用ソフトは広告は関係ないから、無料提供の①音楽、ビデオ、映画など②そこから更に発展した3Dコンテンツ③昔のSecond Lifeのようなコミュニケーション空間④ゲーム⑤仮想体験(海外旅行、スカイダイビングなど)⑥アプリケーション、に対して、各々適切なコンテンツ枠を用意しておき、それに貼り付けるというものになるだろう。
従来は、バナーのサイズだけ規定して画像ファイルだけだったものを、動画にしてみたり立体物にしてみたり、また既存空間と違和感がないように一定の修正を受け入れたり。広告も結構大変になってきそうだ。特に実写の3Dコンテンツに広告を埋め込むのは至難の業になる。
始めから全てがバーチャルなら簡単なのだが、実写コンテンツだと実物が殆どであるので、広告オブジェクトの違和感がより目立つことになるだろうからだ。色調や内容の調整等はある程度機械化できるとは思うが、広告の目的が成功報酬型(つまりクリックしてそこから抜け出し広告空間に飛ぶ)だと余計違和感が生じる。つまりクリックの先との繋がりも重要な訳で、さすがにそこまで規制できるのかは疑問だ。
それでも初期には総合プロデュースで素晴らしいものができる可能性はあり、その経験からノウハウが生まれるものとは思うが。その先の世の中は、実写とVR、本物と広告が区別しづらいまま交わるという(結構恐ろしい)空間になるのだろうか。

2017年2月16日木曜日

こどもプログラミング


小学生でプログラミングを教えようとする動きがあるらしい。IT好きとしては歓迎なのだが、どうも中身を見ていると不安になる。
ScratchなどはPascal型の言語である。今の教養課程は知らないが、プログラミングを先に学んでしまうと、近年のクラウドやAIなどの理解の妨げにならないだろうか、というのが不安の根拠だ。既に時代はノイマン型から離れつつあるのだから、最初からノイマン型特化のプログラミングというのはどうかと思う。
一方で、複数の言語をいきなり多く習うというのはさすがに困難だろう、というのも分かる。どちらがより基礎に近いかと言えばPascal型だろうというのも分かる。どこかで折り合いを付ける必要はあるのだろうが、それでも釈然としない。ではいきなりPythonか?他の言語の基礎すらできていない小学生が、Pythonが取り入れている概念の全て(でも多くでもいいが)を理解できるだろうか。
また、プログラミング言語を小さいうちに覚えることが、効率や効果の点で重要なのかも疑問だ。若いうちに才能を発揮して有名になって、会社を興して、騙されて全部権利を取られた、などという話もある。単独で見るのではなく、全体バランスから見てその時期が本当に良いのかどうかは、検討されるべきだ。
もっと言えば、そもそもプログラミングができなくても問題ない時代が来るかもしれない。それこそスタートレックの世界のように、コンピュータに音声で相談すると答を出してくれるような時代が、あと20年で来ないとは限らない。もちろんそれで全てが無駄になるとは言わないが、他のことをする時間を削がれた点では悔いることになりかねない。
自分の場合、計算機工学を大学で習っていたから余計にそう感じるのかもしれないが、プログラミングよりも、アーキテクチャやアルゴリズムの勉強を先にすべきではないのかな、と思う。

2017年2月15日水曜日

翻訳の発達がもたらすもの


英語を母国語としない多くの国は、国際標準語として英語を学ぶことが多く、従って英語が話せることがステータスとなって所得格差が発生したり、逆に読めないことで国際ニュースを自由に閲覧できず、母国語になったニュースのみから世界を見るために自国の報道偏向を自覚できない、という事象があった。だが最近では自動翻訳の精度が向上しており、また安価に手に入るようになっている。個人用途であれば、タダで翻訳が可能な時代だ。
これは外国語対外国語でも同様で、最近では中国のニュースを定期的に翻訳して掲載するサイトが出てきたり、アルジャジーラを翻訳して閲覧することも可能である。その気になれば世界中の情報が手に入る。もちろん検閲の危険はあるが、自国の報道フィルターの影響を受けずに見ることはできる。
更には、時間が掛かることは別として、いきなり海外に飛び出してもある程度生活できることが可能だ。翻訳はスマホを通じて行えるから、最低限のコミュニケーションはできる。もちろん文化の違いは都度学ぶ必要があるし、スマホを盗難されるなど治安の問題はあるものの、環境としては良くなってきているはずだ。
これらが何をもたらすかと言えば、一言で言えば国際化だ。外国の文化を偏見なく学び、交流し、貿易や文化交流が活発になる。交流が増えれば詰まらない偏見は減り、仲良くなれる。また、言語の問題で隔てられていた優秀な人材を生かすことができるし、勉学と縁のなかった人が勉強で新しい才覚を現す機会も増える。
最近、近所で中国語を聞くことが多くなってきた。観光もそうだが、定住も増えてきているようだ。そうなれば個人レベルでの理解は進む。放っておいても勝手にネットで発信したり、帰国して廻りに話すなどする人が増えれば、日本に対する先方の偏見は減っていくはずだ。だが逆、つまり日本人が中国に多く進出しているという話はあまり聞かない。いないわけではないだろうが、大きく増えているようには思えない。つまり、日本人の中国人に対する偏見は大きく減るように思えない。
もちろん、全く関係のない国の話題を教養として知っておく、などという必要はないのだが、中国を例に取れば、それなりに交易があるし、世界的にも経済的・軍事的な意味において一定の地位を示してきている国だ。従前の知識やイメージで接するのはまずかろう。
自動翻訳はそれを補う道具として有用だが、ただ翻訳機能があるだけでは足りない。翻訳したその情報を積極的に発信するような自動化ツールが必要だ。まず対象と目的を入力ないしは推定し、その目標に合わせて翻訳記事を常に目にできるように、ニュースサイトを見たときの何割かをそれにする、というようなカスタマイズができるとよい。
その国に対するイメージや事実関係認識についてアンケートをとり、自分のそれと中国をよく知る人のそれとのギャップを埋めるような記事を自動で選んで表示する、というシステムだ。定期的にアンケートを取り直し、一定の水準に達すれば役割を終える。ニュースサイトにそんなサービスが付いていたら、日本が国際化するのに随分役立つはずだ。
これが全言語に対応し、世界中の人が世界中の人を偏見無しに見れるようになったとしたら、これが本当のグローバル化だろう。

2017年2月14日火曜日

スマートウォッチとオンラインサービス


現状のスマートウォッチはまだ不完全だ。その大きな理由は、スマホとの接続を前提としている点にある。せっかく小さいのが腕にあるのに、それより遥かに大きいスマホをなんで持ち歩かなければならないのか。PCやタブレットが近くにあっても、最初にペアリングしたスマホからしか動かせない、というのは強いストレスだ。
画面が小さい、CPU能力が低いことは逆に、通信量が少なくてよいことも意味している。最近では250kbps限定で低価格無制限のSIMがあるが、これを使う(これしか使わない)前提で、単独で動かすことを考える。
ユースケースは、散歩やレジャー、スポーツなどで、しばらくの間スマホから離れても問題ないようにすることだ。この間最低限必要なのは、電話着信とオンラインサービスからの各種通知である。音声で返信や指示ができれば尚良いし、そうでなくても簡易的な返信(定型文や完了通知)ができればよい。Felicaの各種サービス(電子マネーやSuica、チケットなど)が使えると尚よい。それ以上のこと、例えばカメラ内蔵とかGPS内蔵とか脈拍検知とかは望まない。
こう考えると、スマートウォッチはスマホとではなく、オンラインサービスと同期しているべきだ。近くにスマホがあったとしても、スマホと同期するのではなく、同じオンラインサービスに別のデバイスからログインしているイメージである。オンラインサービスを介して情報をやり取りする。
Webサービスとして有望なのは、GoogleやApple、Mirosoftなどが提供している、メールサービスを基本とする個人向けサービスだ。Googleの基本サービスとGoogle Nowが使えるだけでもずいぶん便利だ。更に言えば、このサービスと直接つながるのではなく、ウォッチ用の独自通知サービスを立ち上げておいて、ウォッチはこことだけつながることとし、この通知サービスが様々なWebサービスにつながるようにする。こうすれば、将来どんなに機能が増えても、ウォッチは変わらない。
Android Wear 2.0にはこの片鱗があるように思えるが、まだ少し心許ない。サーバ側にスマートウォッチ用ポータルを用意して機能拡張はそこで行い、スマートウォッチ自体はそれを表示するシンクライアントと位置付ける方がよいのではないか。

2017年2月13日月曜日

根が悪い


核廃棄物の処理の話だ。
現状では、ガラス固化体にした上で地層処分することになっている。だが、何せ時間軸が10万年だし、そうでなくとも30年以内に東海地震が発生する確率が何%、などの試算もある国だ。火山の噴火だってしょっちゅうある。そんな国で地層処分を考えるのは、技術的に言うと「根が悪い」と言える。
「根の良い」「根の悪い」というのは、技術屋がよく考える発想だ。プログラムで言えばコーディングルールとか言語の選択、建築で言えば難燃性仕様や耐震設計手法、フールプルーフとかバリアフリーとかいうのもこういった範疇に含めてよいだろう。要は、同じことをするにも、不具合の出やすい設計、出にくい設計というものがあって、当然ながら少々目先のコストが掛かっても後者を目指すのが無難だ、ということだ。
高レベル放射性廃棄物以外にも、原発を勉強してみると「根の悪い」設計が多く見つかる。建築など巨大なプロジェクトでは良くあることかも知れないが、「何でそう考えるの?」と首をひねってひねって、一回転してしまうようなことばかりだ。
高レベル放射性廃棄物の処理について、一つ考えてみた。まず、ガラス固化体を作る要領で、ガラスと混ぜる。次に、キャスクに入れるのではなく、ビー玉を多数作る。このビー玉を再度ガラス材料に溶かしてしっかり混ぜる。そして同じようにビー玉を作る。これを繰り返す。その結果、安全な線量のビー玉が大量にできる。
ビー玉にする理由は、その大きさ当たりの線量に上限を設けることにある。エントロピーの法則により、一度分散した放射性物質が自然に再濃縮することはない。放置しても問題ない(ように設計する)ので、十万年でも百万年でも問題ない。後は海にでも砂漠にでもばら撒けばよい。
さて、この案の現実性を検証してみる。製造直後のガラス固化体の放射能は、表面で1500Sv/hだそうだ。また、法律上管理区域としなくてよい量は0.6μSv/hである。単純に換算すると、25億倍に薄めればよいことになる。1立方ミリメートルのものを1立方メートルに薄める感覚(これで10億倍)だ。日本のガラス固化体の量は2万5千本相当で、1本500kgだそうだ。これで換算すると、ビー玉の量は31兆トン、となる。人類が今まで生み出してきた人工物の総量は30兆トン
だそうだから、これはとんでもなく非現実的だ。また、10倍や百倍程度の効率化では全然追いつかないことも分かる。
今更ながら、これ以上高レベル放射性廃棄物を作る(つまり再処理をする)のは止めて欲しいのだが、上の計算の通り、既に存在するものの処分は別に考えなければならない。
この場合の「根の良い」処理とは、埋めたり宇宙に捨てるという方向ではない。大きくは①減容、つまり放射性物質を性質毎に分離して処理方法を個々に変える、②薄める、③核変換、などが考えられる。だが、既にできてしまったガラス固化体には①は使えない。②は上の通り非現実的、③はまだ研究段階だし、既にできてしまったガラス固化体に使えるかどうか不明だ。
今更遅いが、結局、原発における値のよい設計というのは、「技術が成熟するまでは商用に使わないこと」なのだなあ、と想う。

2017年2月12日日曜日

全部VOD


テレビを録画して後で見る、という人はかなり多いと思う。世帯普及率でいえば7割くらいだそうだから、録画して見るのは普通のこととして認識してよいと思う。VODが普及すれば、録画は原則として不要になるはずだが、現状のVODはまだそこまで使い勝手がよくない。
機器ベンダがブルーレイレコーダーなどを開発して売っていけるのはVODがまだ完成域に達していないからだが、どこまでいけばこれが達成したと言えるようになるのだろうか。個人的には以下が必要だ。
  1. 全ての番組を、ノーカットで永久に保存してくれること
  2. 無料か定額制、且つ充分に安価であること
  3. 充分に高品質であること(用途に応じてで可)
  4. UIが充分に分かりやすく高速であること
  5. ネットワークに多大な負荷を掛けないこと(持ち出し再生対応)
  6. TVだけでなく、スマホ・タブレットでの閲覧が可能であること
  7. CMスキップ・高速再生などのトリックプレイ、必要なところだけの(仮想的)カットに対応すること
1.は、自分の場合で考えると、全地デジ・無料の衛星・ケーブルテレビチャネルに対応し、また自分が加入している(将来的に加入しうる)有料のものにも全て対応すること、だ。現状ではこれだけで全てのVODが脱落する。
実際のところ、1.は費用だけでなく、権利関係でも相当のネックになる。例えばノーカットであってもCMを挟まれると興醒めだし、時代によって変わる差別用語や不都合のある表現を勝手に追加でカットされたり、見る国によって制限を受けたり、極端な話、作者意向などによって配給停止されたりする可能性は否定できない。
現状では、2万円程度のレコーダーを買えば1.を満たす。そしてこの条件では、2.に関しては月2千円程度であっても充分に高い(レコーダーの方が安い)ことになる。3.以降は見逃すとしても、1.2.だけで考えても、当分の間はレコーダーを手放せない、ということになる。
ただ、実際のところ、全チャネルを全時間録画することはあり得ない。長期間保存するのは映画くらいで、ニュースなどは見逃せば二度と見ない(昨日の天気予報を見ても意味がない)。映画は割と局を超えて放送されるから、その制限が適当なものであればVODに移行しても構わない。
ドラマやバラエティは難しいが、民放のそれが魅力的に映る理由は、CM集客に基づく豊富な資金力だろうから、ネット業者に機がないわけではない。ネットオリジナルのコンテンツなどもちらほら出てきているから、徐々に勢力を拡大し、逆転が起こる可能性は常にある。
Amazonプライムなどはこの感覚に近いが、問題なのはやはり1.と2.で、1.は保証されていないどころか全然不足だし、2.は月額はそこそことしても個別の番組での支払いがあるものが多過ぎる。自分のものになるというよりは都度払わされている感覚になる。
感覚的には、値段であと10倍頑張って、コンテンツをあと100倍頑張ってくれたら、レコーダーを手放すかもしれない。音楽と違って先は長そうだ。

2017年2月11日土曜日

人間ドックの価格破壊


最近、病気の検査キットの発達が著しい。採血量がごく少量でも検査できる自己採血型キットなどが、既にオンラインでも売られている。多数の検査に対応したものはまだ少ないし価格も未だ高いが、進化はまだしばらく続くように思う。
人間ドックでできる検査の全てを網羅している訳ではない。だが人間ドックの本質は成人病とがんの早期発見だろう。これらの多くはもうキットで対応できるようになっている。できない検査の多くは測定機械が必要なもので、超音波エコー、聴力、心電図、眼科、身体測定、レントゲン、胃カメラなどだが、検査キットで分かるそれとの重複もある。例えば糖尿病と眼底検査、胃カメラとピロリ菌検査などだ。また、スマホにアダプタを付けてできる検査も増えている。視診などはカメラで撮影すれば済む話だし、脈を取るソフトもある。
このような状況の中、一部ないしは多くを検査キットに委ね、価格破壊を起こす病院が出てきても良いのではないかと考える。
例えばこんなものだ。申し込みをすると、オンラインでのアンケート回答と、複数の検査キットが送られてくる。前日にそれらを使って採血や採尿を行い、当日持ってくる。更に、スマホに接続する簡易検査プローブを渡され、これでできる検査も自分で行う。病院は、本当に病院でしかできない検査のみを行うので、対応時間を大幅に短縮できる。その結果として、例えば半額などと大幅な価格低減を実現できる。
検査結果をオンラインにして病院のIDで見られるようにすれば、顧客囲い込みの効果がある。検査結果を電子カルテに取り込むのも一発だし、これからDMを打つこともできるだろう。検査で儲けなくてもその後の診療で儲けられる、というビジネスモデルが確立する。また町医者でもそこそこできるから、大病院からいくばくかの客を奪ったり、中小企業相手に営業をして新たな顧客創造をすることもできるだろう。
これは、基本的にはよいことだ。国民の健康を向上することができるのだから。大いにやってもらえばよいと思う。

2017年2月10日金曜日

5Gの先


電波は有限だから、この先幾ら通信事情が良くなろうともデータ転送の上限は存在する。もしユーザの通信量がどこかで頭打ちになり、電波に未だ余裕があれば別だが、次から次へと出る欲を満たせなくなった時に何が起こるか。そしてそれはどのくらい未来で、通信量の上限はどの辺りにあるのだろうか。
まず、5Gの無線通信についてドコモが出しているホワイトペーパー
によると、その目標は屋外で1Gbps、屋内では10Gbpsを目指しているという。また遅延は1ms以内を目指している。同時接続数は100倍くらいになる。
1Gbpsと言えばもう光ファイバーの速度だから、もし実現すれば有線接続は不要、とまで言い切れるだろう。だがここには穴があって、コストに関しては何も言っていない。ドコモの10GBプランは1万円もする一方、光ファイバーは5千円で使い放題だ。幾ら通信速度が速くても、これでは使えない。
で、現状1Gbpsで満足できるのかというと、例えばNetflixの4K画質の推奨速度は25Mbpsだそうだ。これが8Kになってもせいぜい4倍、つまり100Mbpsなので、1Gbpsは充分に余裕を持って流せる。今のスマホに4Kや8Kの流れが来るとも思えないが、もし来たとしても対応できることになる。
更に、これを3DやVR対応にすることによって、もう数倍の帯域が必要になる、ということも考えられるが、3Dなら2倍、VRなら画角が増えるにしてもせいぜい8倍だろう。更にこれらは屋外では使えない(危ない!)ので、速度としては充分に余裕があることになる。
一方、IoTが普及することも考えられる。これらが大量の動画を垂れ流すことがあるとすれば監視カメラだろうが、さすがに常時垂れ流すというのは考えづらい。既に人感検知や画像解析の技術は進んでいるので、そんな無駄なことはしないだろう。また、一度ネット空間にデータが来てしまえば、その後の分析などは有線で行われるはずだ。監視カメラ以外で小さいものがいくら大量にあろうとも、1Gbpsの帯域を使うようなデータが発生するとは思えない。
他に考えられるのは、動画放送やVODが普及して、大量の動画チャネルが生まれることだ。今のCATVやCSと違って、設備さえあれば野良でもできるから、そういったものが大量に飛び交う可能性はある。だがこれも、放送ではなく通信になるので、見る側の数、つまり人間の数が上限になる。今とさほど変わるとも思えない。
機械学習でも大量のデータが行き来するが、これは必ずしも無線を通す必要はなく、最初(指示)と最後(結果)だけでよいはずだから、やはり無線空間は圧迫しない。
8Kより上、例えば16Kとか32Kとかがその先にあるのかというと、これまたハッキリしない。ただ、VRであれば広い画角が求められるので、16Kや32Kというのはあり得る。それでも無線で屋外というのは考えにくい。
映像以外で大量の情報量が必要になるものは他に考えられない。例えば触覚や嗅覚など他の感覚を全部付けても、その百分の一にも満たないで足りるだろう。個人が原発内部のコンピュータシミュレーションをするとも思えないが、したとしても無線で大量のデータをリアルタイムにやり取りすることはないはずだ。
何時の時代でも、その予想を超える応用や新しい需要は発生したものだからなんとも言えないが、「今のところ」で考えると、5Gの先が必要となる必然性はまだ見えない。

2017年2月9日木曜日

AIイライラチェッカー


音声からイライラ度をチェックするシステムが、既に電話対応システムなどのために開発されている。映像から同様のことをチェックするシステムがあると聞いたことはないが、人の仕草からそれを推測することは可能だろう。
人間は感情で動く動物である。論理的に正しくても、逆の行動をしてしまうことはよくある。それは本来望ましいことではないはずだから、心の平静を保つことは大事だ。また、人は自分がイライラしていることに気付かないこともある。
何かのテレビ番組でやっていたが、タレントがストレス度診断を受けて、かなり深刻な結果が出た。だが本人には自覚がなく、明るく元気で、人目にも分からなかった。そして数日後、そのタレントは過労で本当に倒れたのだそうだ。
忙しすぎるとハイになる、と聞いたことはあるが、それでも診断はつくものなのだなあ、と感心した一例だ。そしてこれを機械が常にできるなら、個人的にも社会システムとしても有用であることは明らかだろう。
考えてみれば、フランス革命なんてものは正に感情の爆発である。政治にしても、悪く言えばマインドコントロールだろうが、良い方に考えれば国民の平均的な心の安静を目指すものなのだから、そのまま使わないにしても有用なツールである。そしてそこまで大げさなことを考えずとも、普段使いでの活躍の場はある。
例えば先日あった北海道の空港での中国人客の暴動騒ぎ。後で調べた結果、空港関係者と旅行会社の対応が極端に悪かったことが原因だったらしい。そういう外部要因を調べずとも、「この集団に強いストレスが溜まっている」と出れば、それなりの対処ができたはずだ。
会社で社員に使えば、いわゆるライフワークバランスの適切化に繋がるし、業務効率を大きく落とす過労やストレス原因での休業のリスクを減らすことになる。電車が長い時間止まったときに、どこを優先して動かすかの判断材料にもなる。これは、無駄(過剰な対応)の削減、足りない対応の強化、つまり最適化であると言える。
もちろん家族や個人でも使える。生活保護を受けるかどうかの判断、家庭内不和を回避する手段、いじめや引きこもりの予防など、社会が対応してくれない細かい問題への自衛手段になる。
誰が計測し、誰に知らせるのかというのは少々配慮する必要があるだろうが、有用なアプリケーションであることは間違いない。

2017年2月8日水曜日

サポートとWebサービスとAI


先日、Windows 10で原因不明の不具合があり、サポートに問い合わせたのだが、事実上のゼロ回答に近い結果になった。有償サポートに誘導されたのだが、たかが1問しかないのに年間サービスに登録する気になれず、断った。
サポートの背後には、質問に答えるためのデータベースがあるはずだ。それは事例ベースであり、大量かつ日々更新されるから、全てオンラインでかつ検索に頼っているのだろう。しかし単純な検索では困難だから、同義語が引っかかるような仕掛けが必要になる。
かつてそれはシソーラス辞書だったわけだが、AIが類似の機能を持ち始めている。これも事例が増えるほど賢くなるので、最初は人、そのうち易しいものからAIが成り代わるような動きをするのだろう。そのうち同義語だけでなく文脈まで理解して回答してくれるようになるのだろうか。
OSなど汎用のソフトの場合は、クローズドなサポートよりも、ブログやコミュニティの方が情報が得られることが多い。ベンダに頼らずとも、こういったWebサービスの検索性能が向上するだけでも非常に有益だ。これはベンダのサポートの負荷を減らすことでもあるので、ベンダ側が積極的にOSS公開するなどをしては如何かと思う。

2017年2月7日火曜日

絶対ではない


以前「ゼッタイ」という投稿をしたが、似て非なる話だ。
「100%安全ではない、だからダメ」「そういった(危険な)ことが絶対起こらないとは言えない」という論理展開をする人がいる。量的議論からすると落第なのだが、こういう話に納得してしまう人は多い。無自覚に話している人もいるだろうが、相手を騙そうとして、あるいは(議論のための)議論に勝とうとして(詭弁として)意図的に話す輩もいるから要注意だ。
自動車に乗って、あるいは道を歩いていて、交通事故に遭う確率は0%ではない。平成28年の交通事故数は約50万件で死亡者は3900人、日本の人口を1.3億人とすると、交通事故に遭う確率は3.8%、死亡する確率は0.003%である。人生85年として単純計算すると、一生の間に交通事故に遭う確率は3割、更に死亡する確率は0.3%、となる。
毎日交通事故や火災は起きているし、死亡ニュースも毎日のように出ている。用心していても避けようのない死に方をする人もいるので、他人事ではない。だが、もし遭ったとしても高々一人、家族全員が死んで家系が途絶えるようなことは殆ど心配していない、というのが普通の人の感覚だろう。
一方で火事は、平成27年の統計では3万9千件、死者は1600人。交通事故よりは少ないが、遭った場合の死亡率は高く、また火事は家で起こることが多いから、一家全滅の危険がある。個人的にはこちらの方が怖い。
また、日本の航空機の事故は、2016年で13件。死者数は分からなかったが、大型機の事故ではなかったので数名と推測する。これはもう、充分に安心できる数値だろう。
最初の「100%安全ではない、だからダメ」「そういった(危険な)ことが絶対起こらないとは言えない」という言葉の裏には「幾ら事故発生確率が低かろうとも」という想いが隠れているのだろうが、この世に絶対安全なんてものはそもそも存在しておらず、論者は既に絶対安全でない他のものを受け入れている。つまり、自覚の有る無しに関わらず、この実態は「感情的に嫌いなことの言い訳としての詭弁を吐いている」に過ぎない。別の言い方をすれば、どんなに説明し説得されても、始めから理解し納得する気がないのだ。これでは冷静な議論にならず、議論も刷り合わせもあったものではない。
Wikipediaの「原子力事故の一覧」を基に、「INESレベル」(1990年から試験運用が始まった国際原子力事象評価尺度)の分かっている国別の事故発生件数を勘定してみると、アメリカ・ロシア(ウクライナ:チェルノブイリ含む)3、イギリス・フランス2、他は1に対して、日本は14である。また
によると、原発の数は、多い順に米国(104)、フランス(58)、日本(54)、ロシア(28)となっている。この二つの数字から言えることは、日本の原発は他国に比べて極端に事故発生確率が高いということだ。ここには火力発電所や自然エネルギーの話は出てこない。事故後の影響の広さの議論も出てこない。単純に海外との原発同士の比較において、日本は極端に劣っているのだ。(ちなみにINESレベル不明の数を勘定するとアメリカは10となるが、まだ日本より少ない。また、アメリカの事故には時期的に古いもの、研究施設のものが多く含まれているが、日本は殆どが実用発電所やその付随施設のものだ。)
「原発を止めろ」という議論において、「日本は原発の技術で他国に大きく劣っている」という論調が出てくるのを聞いた記憶はないのだが、(技術力はともかく事故の)実績として大きく劣っていることは、上の数値が示している。まあもちろん、Wikipediaの「日本語版」であるから日本の事故が多く収録されているのだろう、ロシアはいっぱい隠しているかもしれない、などという疑念はあるだろうが、何れも検証可能であるし、推測の域で反論されても反論になっていない。
この(憂うべき)現状を改善するには、この「絶対ではない」族を相手にしてはならない。数値として具体的な目標を立て、合理的な解決策を考えなければならない。例えば事故率の目標は現状の1/100に設定する。決してゼロではない。ゼロにすると「無限大倍」の向上が必要になってしまうからだ。
例えば、例えば配管の点検をする際、1本の点検において漏れが発生する確率が1%だとすると、配管が1万本あれば、1本以上配管漏れが出る確率は100%だ。これを7千本に減らしても、やはり100%である。つまり、配管を減らすことに画期的な効果は期待できない。しかし1本当たりの点検漏れ発生確率が0.001%だとすると、1万本の場合は10%、7千本なら7%になる。これは効果があると言える。
一方で、配管に異常が出た際に他のセンサで検知だとする。センサ1個当たりの守備範囲が百本なら、その百本のセンサだけ点検すれば事足りるわけだ。更に、その配管に異常が出ても、さほど重要な影響が出ないのであれば、点検そのものを省略できる。
こういった「費用対効果」を計算するのに、「絶対ではない」理論は邪魔になる。実際、点検の量が多過ぎるため、点検を現場が勝手に省略したり、軽微な損傷をごまかしたりする、といった事態は発生している。人間は間違える動物だし、上長の圧力に簡単に屈する者もそうでない者も混じっている。そういう中で一定の効果を得るには、建前の全数点検よりもこちらの方がよほど実用的だ。
結局、「絶対ではない」理論は、自分で自分の首を絞めているのである。

2017年2月6日月曜日

地球資源の維持と石油の価格


世界人口の推移を見ると、産業革命が大きな転機になっていることがよく分かる。また、人口がこのペースで増えるとして、これを賄う地球資源や食料・水が同じペースで増えていけるのか、というのは素人でも不安に思うだろう。
国連の統計によると、現状の人口増加率は1%で、2000年頃には2.5%だったそうだ。そして今後も減る傾向にある。このペースでいくと、2200年頃までには人口はピークを迎えることになる。その時点で食料生産や他の地球資源が持ちこたえられれば、人類がその後も生き続けることは可能と言えるだろう。この時点での人口は100億人程度だろうから、現状の1.5倍程度の進歩でよいことになる。これは明るいニュースと言える。食料と水については、地球温暖化など他の要因が深刻にならない限り、技術進歩や更なる開墾で賄うことができる。
但し、地球温暖化が進んだとしても遺伝子操作や田畑の北への移動で何とかなるのでは、という考えは少々危険だ。耕作地の移動は世界規模で行わなければならず、また放棄地は荒れ果てるため更に温暖化を促進する。行先に豊富な水があるとも限らない。開墾には膨大な労力とリスクがある。
農業の拡大策として、遺伝子組み換えやゲノム組み換え、植物工場、センサ農業、機械化、砂漠緑化、海水淡水化などの技術がある。技術的な見地はともかく、世界の大部分の農地適用できる点で最も有望なのはセンサ農業と機械化だ。都心部の植物工場と組み合わせることで、1.5倍は見えてきているのではないかと思う。
残りの問題として、効率的な再生手段が無いことが分かっている資源、代表的には石油、レアメタル、化学肥料、また再生可能だが再生が追いついていないもの、これは水産資源(魚介)、二酸化炭素、淡水などだろうが、こういったものについては、その量と、どの程度深刻なのかを一つ一つ検証していく必要がある。
これらのうち、石油やレアメタルの枯渇についてはあまり心配していない。もし石油が枯れたとしても、太陽電池や風力発電による電力は残る。そしてこれは徐々に起こるので、その深刻さに応じて技術革新も進むだろう。その速度が十分でなくても、変化はアナログ的であり、人類が滅亡するようなことはあるまい。
一方で、二酸化炭素と水産資源が深刻ではないか、と考えている。他のものは統制が効くのに対し、これらは抜け駆けが幾らでも可能であり、地域的にも広く分散するため、それを取り締まる強力な手段がないからだ。世界中でどんな協定をしても、末端がそれをちゃんと守るとは思えない。
二酸化炭素を固定する手段やら水産資源の養殖化やらは技術として存在するのだが、広すぎる大気や海に対しては余りにも無力だ。南極の氷の厚さを維持するのに何兆円とかいう試算を見たことがあるが、そんなに負担してもその程度のことしかできない。
二酸化炭素の収支は、産業革命の時代から合っていないことが分かっている。この図によると、収支を合わせるためには、おおよそ人類の生産的活動を半分にする必要がある。これもランニングでの収支(プライマリバランス)であり、元に戻すには当然それ以下を目標にしなければならない。それには最大の消費である化石燃料の消費(燃焼)を、最低でも半分にする必要がある。
化石燃料の代替は、自然エネルギーか原子力による発電しかない。そう考えると、現状の自然エネルギーの増加率ではまだ足りない。原発を大幅に増やすことも考えられるが、これをやっているのは中国くらいで、他の国では流行っていない。今後エネルギー需要が増えるのは主に新興国だが、石油が安い間は火力が最も簡単であるから、自然エネルギーや原発は伸びないだろう。また、水産資源は、漁船の動力たる石油の値段を上げることで需要を絞ることは可能だろう。
こう考えると、石油の生産高と価格は、地球資源の持続性に対して決定的なファクターとなっていることが分かる。もはや自由市場で決めるのではなく、科学的見地に基づいて、国連などで決めるべきではないだろうか。

2017年2月5日日曜日

大金持ちのカネの使い方


この手のテレビ番組は好きで、よく見ている。豪邸訪問とか、持ち物自慢とか、豪勢な日常生活とかだ。最初は憧れ、次に嫉妬、軽蔑、最後に憧れに戻る。人によってはどれかがないこともある。そしてつい、また見てしまう。あまりによく見るので、同じ金持ちが2回、3回と出てくるのが分かってしまい、興醒めになることもある。
自分が大金持ちになったら、やはり好きな技術を極めたいと思う。最先端のコンピュータや映像機器を触ってみたい、海外の大規模な展示会を廻って説明員を質問攻めにしてみたい、IT系大企業の重鎮と会って意見交換をしたい、自宅を自動化の固まりにしてみたい。だがそういう金持ちを見たことがない。なぜか高級料理、アンティーク、豪邸、クルーザー、宝石、高級ブランドばかりだ。
ゲイツ氏の家はハイテクの固まりで、ザッカーバーグ氏の家ではAIが動いている、という話は聞いたことがあるが、彼らの家を紹介するコンテンツは見たことがない。日本でも三木谷氏や孫氏はハイテク系だと思うのだが、自宅公開などは聞いたことがない。もしかしたら自分の同士(ハイテクで固める系)はいるが、マスコミに現れることを由としない性格なのかもしれない。あるいはテレビ栄えしないからか。確かに100万のサーバと500万のサーバの見た目は殆ど変わらないからなあ。
セレブの贅沢とは、言ってみれば大きな無駄遣いだ。もちろん自分の稼いだ金をどう使おうが自由だが、日本の大金持ちのテレビ番組で気になるのは、そういった人たちが自分のためだけでなく、社会にどう貢献しているのかが殆ど紹介されていない点だ。
先ほどのハイテク機器だが、もちろん無駄遣いではあるのだが、眺めて楽しむだけの積もりはない。弄って楽しんだ後は自分の好むソフトの開発に投資したいし、家の映像機器や自動化なら実用の目的になっている。わざわざハイテクを使うためだけにルーブ・ゴールドバーグ・マシンを作るのではない。
以前、トム・クルーズが、生まれてくる赤ちゃんのために、超音波エコーの機械を買って自宅で見るために使い、生まれた後は病院に寄付した、と言う話を聞いた。自分の考える理想的なハイテクにおける無駄使いの一つだ。もし最後の寄付がなかったら、逆に軽蔑していただろう。
別に提案しているような、クラウドを前提とした汎用アプリケーションプラットフォームの開発なんてものは、正に趣味と実用(それで社会貢献をしてもよいし儲けてもよい)を兼ねた、よい投資だと思っている。一方で、かゆいところに手が届くような便利ツールの類も、開発環境として提供した上で作ってもらう。それは、例えば既存のアプリの機能の一つに不愉快な制限があるとか、UIでもうちょっとこうして欲しい、といったものが多くなる。無論有料で開発してもらい、成果はオープンにする。
また、VRを使った教育コンテンツや、そのためのプラットフォーム作りにも興味がある。スポーツの型がそうだし、ブロックや電子機器をバーチャルで組み立てるようなものも面白そうだ。単純な座学にも、新技術を取り入れることで理解が深まるようなことはあるだろう。
欧米の金持ちの社会貢献というと、芸術でのパトロンや、社会的弱者や難病の薬の開発などへの支援、自然環境保護基金、新興国での教育施設などが思いつく。ただ、カネを出すだけなら今でもできる(小額だが)ことで、また幾らでもスケールアップできる、逆にいうと際限がないし、ハイテクの匂いがしない。技術好きの金持ちが何をしたらよいのか、まだなっていないけれども、それを開拓するのも面白い。

2017年2月4日土曜日

ロボットによる接客


AIによる音声受け答えが可能になり、また書類の引渡しや印鑑の押印などの手作業ができるのなら、窓口は完全にロボットになってもよくなると考えられる。それが完全でなくとも、大部分をAIが引き受け、一部難解なところをバックグラウンドで人間が補助してやれば、一人で何人もの人間を捌けるはずだ。
その際の接客は、PepperやEMIEWのような非人間的なものになるのか、石黒教授のような不気味の谷がよいのか、単純にCGが画面に映るだけでよいのか、難しいところだ。顔を一人ひとり変えるのか、手は人間の手と同じようにすべきか、などは考えるべきところになる。
オンラインで完結せず窓口業務として必要になるのは、書類の受け渡しやモノの受け渡しであろうと思われる。これをロボットハンドで上手くできるようになるならば、ロボットでもよいわけだ。
一部には、接客は最後まで残る、なぜなら人間的な温かみが必要だから、などという論調の記事があるが、自分は反対だ。もし接客が完璧なAIロボットがあれば、人間による接客よりもこちらを好む、と言う人も多くいるはずだ。海外に行けばぞんざいな接客など幾らでもあるから、幾ら愚痴を言ってもキレず、顧客の性格に合わせて適切な対応をするロボットの需要は、決して小さくないと考える。
テレビ「マツコとマツコ」で実際に実験したのだが、本人よりもアンドロイドを相手にする方が、心を割って本音を話しやすいのだそうだ。だからむしろロボットの方が優れた接客ができる、というポテンシャルはある。

2017年2月3日金曜日

IFTTTとアクティビティトラッカー


スマートウォッチとアクティビティトラッカーの消費電力は、大きく違うことも少なくない。前者は1日持たないが、後者は何週間、何ヶ月も持つこともザラにある。
勿論役割が違うのだから当然なのだけれども、ここまで違うと文句の一つも言いたくなる。アクティビティトラッカーにはバイブレーションが付いているものがあるから、そのキックさえできればスマートウォッチは要らない、という場面は多く作れるのではないか。
そう思って調べてみると、MISFIT SHINE2という製品を見つけた。これとIFTTTを組み合わせれば、大抵の通知はこれで済んでしまうはずだ。
このトラッカーはペンダント型にできるそうなのでそうして、また外れ易いそうだから、ソックタッチや医療用粘着テープなどで軽く固定してやる。振動が弱い、との評判もあるそうだが、これを補う点でも一石二鳥だ。
とここまで考えてハタと気付いたのだが、通知の種類まではバイブレーターの震え方で区別してやりたいのだができるだろうか。タイマーはどう、メールはこう、SNSはどう、と数種類用意してやるだけでよいのだが。どうも調べてもよく分からない。またIFTTTからの通知でバイブが上手く鳴るかどうかも、実物で試さなければ。
結局まだ買っていないのだが、案ずるより生むが安し、と言えなくもない。

2017年2月2日木曜日

あたけぼね使い捨てテント


あたけぼねという折り畳み構造がある。ドームや平面を作ることができるのが見て分かる。これらは骨組みしかないが、これに薄膜を貼ることは当然可能である。そして、展開後の薄膜の間は空隙になるが、ここにウレタンフォームスプレーを吹いてやると、断熱ができ、構造が強化され、また床に適用すればクッションになる。
つまりこうだ。円形の平面になるあたけぼねとドームになるあたけぼね、それにウレタンフォームスプレーを用意する。あたけぼねは薄膜付きである。これを各々展開して隙間にウレタンフォームを吹き込み結合すると、なんと断熱と遮音と抜群の床構造を持つテントができることになる。
そして用が済んだら裁断して燃やしてしまう。つまり使い捨てる。使う材料を全て可燃性にしておけば問題ない。あるいはウレタンフォームでなく発泡スチロールにして、リモネンで溶かすことも考えられるだろう。最初からスチロールの骨を使っておけば、跡形もなく無くすことができる。
問題は経済性だが、これが趣味のキャンプ用であればもちろん失格だ。一方、避難用とか、年1回行くか行かないか、キャンピングカーは持っているが予備で、などという場合は有用な場合もあるだろう。もしリモネンから再びスプレーが作れるようになれば、趣味のキャンプ用にも道ができるだろう。もちろんこの場合は骨をスチロールで作ってはならない。

2017年2月1日水曜日

フリーズドライをもっと


生肉や生野菜をフリーズドライにできないだろうか。いきなり何を言うのかと思うだろうが、ここには重要な目的がある。それは地球温暖化の防止だ。もしフリーズドライが充分に普及したら、冷蔵庫が不要になる、ないしはごく小さいものでよくなる、また物流における重量やかさが随分と緩和される、というのがこの目論見だ。
野菜の70~90%は水分だ。まずこの無駄を省ける。また乾燥させるには下処理が必要だから、農家の収益は高くなるし、不要部分はそのまま農家の肥料となる。これも物流コストを下げる。運ぶもののサイズが統一されれば、ロボット化などにも道が開ける。下処理の初期コストは家庭の処理コストの合計より低い(効率的だから)ので、トータルでは得になる。
ドライフードになれば、通販で段ボールで買うことができるし、もし買いに行くとしてもかさばらず軽くなるので、出かける頻度は大きく落ちる。問屋にしても小売業者にしても、カネの掛かる冷蔵冷凍ブースを用意しなくてよいし、毎日卸しに行く必要もなくなる。食べる量が減るわけではないから、売上げに大きく響くこともないはずだ。
現状では、自宅でフリーズドライを作るのはほぼ不可能であり、生肉のフリーズドライはペットフードでしか見かけない。野菜に関しては一部見かけるが、味噌汁の具だったりおひたしだったりと、具体的な料理になってしまっていて、素材としてのものは業務用しか見かけない。それでも幾つかは楽天市場などで買うことが可能だが、生より大幅に高い。いくら保存性が良くても、冷蔵庫の電気代を押して更に高いのであれば普及は難しい。
値段の高さは、普及とともに解決できる問題だ。そのためには、使い方をもっと提案して欲しい。確かに素材だから後はご勝手に、なのだろうが、もう少し使い勝手を考えてくれてもよいのではないか。
問題として考えられるのは、まず料理によって切り方が違うところだ。さすがに大根一本丸ごとをフリーズドライにするのは不可能だし、もしできたとしても一部だけ戻すのはやはり困難なはずだ。従って、大根一つとっても複数の切り方のものが必要になる。
また、水で戻すところが適当に考えられているような気がする。確かにそこら辺の皿で充分なのだが、水切りが必要だし、毎日使うものなのだから、使い勝手に配慮があってもよいのではないか。また、僅か数分とはいえ、思い立って直ぐ調理に取り掛かれないのはストレスかもしれない。
前者に関しては、パウチの袋ではなく、サイズを揃えた缶で提供することにして、保護用の蓋を別に用意する、という形態はどうだろうか。大きさとしては4・5・6号缶、平3号缶を選べば直径が揃う。これなら他の缶詰と同じように扱うことができる。種類が少々多くてもやっていけるだろう。サイズさえ同じなら金属缶である必要はなく、ペット樹脂などでもよい。
また、水で戻すための専用の容器を作ってやる。水切りが簡単にできるようにしてやる(水きり口か網カゴ)、戻し中に重ねて置ける、用が済んだら重ねて仕舞える、などがあるとよい。タイマー付き、また脱気して素早く戻せるようなバリエーションもあるとよい。
野菜売り場に並ぶ代表的なものを、また大きいものは複数の切り方で数種類を揃え、想定に応じて適当な大きさの缶に詰めて売る。必ずしも全てを賄うのでなく、あくまで補助として使う。買い忘れたとか、想定外に量が必要となった時の足しにする。ちょっとマイナーな香味や珍しい野菜などを使って贅沢な演出をする。非常用としてランニングストックにする。もっと積極的に、出汁やコンソメで戻すことで下味をつけたり、戻す前に混ぜることで調理の手間を省いたり、キャンプ用のセットや水で戻す弁当、完全に戻さずサクサクの食感を持つ新感覚の料理、自動調理器とディスペンサーを組み合わせて全自動調理、と夢は広がる。

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