2017年9月17日日曜日

人はなぜ悪に憧れるのか


「人はなぜ悪に憧れるのか」と「人はなぜ正義に憧れるのか」をGoogle検索してみたところ、前者は素直にヒットするのに後者はひねくれたサイトしかヒットしなかった。どうやら人は悪に憧れているようだ。

前者のサイトを読んでいると、様々な解釈が出てきて面白い。だが、検索前に自分が用意していた答とどんぴしゃりのものが見つからず、少々残念だった。それは、「正義は我慢、悪は我慢からの開放」というものだ。

動物の世界には正義や悪の概念はない。弱肉強食、それだけだ。昆虫に多い擬態、(敵の少ない時間帯を狙って行動する)夜行性動物、怪我をしたふりをして子供を逃がす鳥、女王蟻、クモの巣、外来種汚染、何れも「悪」「卑怯」などでは語れないものだ。

では人間はどうかというと、お互いが決めたルールを守ることによってこの「弱肉強食」のルールを緩和している、と言える。ヤクザとか金持ち有利とか独裁国家とか、完璧ではないにせよ、お互いがルールを守ることによって弱い者でも生きていくことができているため、種全体としては繁栄していると言える。

この「ルール」は、けっこうガチガチの規制になっていて、時代と共に増え、厳しくなっている。このため守ることも年々難しくなり、必要な知識も多くなっている。それが種全体を繁栄させる手段であることは分かっているから人はルールを守り続けるのだが、これは「我慢」であると言える。

我慢も程度問題だ。簡単なものならよいが、それが多数、あるいは複雑になっていけば、守るのにもストレスも溜まる。たまには開放(ルールを破る=悪)したくなる。これは素直な欲望だ。

昔の人の労働時間は今よりずっと少なかったそうだ。また、昔は平均して二ヶ月に一回は、地域のほぼ全員が参加するような、祭りなどのイベント(盆踊りや正月など)があった。現代人の精神的ストレスは相当に高いだろうし、休みも分散したためにイベントに出づらくなり、ストレス発散の機会は減っている。平均的な人の多くが悪に憧れているとすれば、それは社会ルールの遵守に対するストレスの発散が充分でないことを示しているのではないだろうか。

つまり、分析としては「社会ルール遵守に対するストレスの蓄積と発散のバランスが悪いと人は悪に憧れる」、「悪に憧れる人を減らすためには、①ルールを減らす、②ストレス発散の機会を増やす、が有効」ということになる。

ほんとかな。

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