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2026年4月5日日曜日

陰謀論とスピリチュアルと宗教

 
あいかわらず生成AIをいじめて遊んでいるのだが、その中で出てきた「自説」を披露する。

結論からすると、陰謀論とスピリチュアルは、現代の宗教と同じ役割を持っており、宗教のネガティブな部分を陰謀論が、ポジティブな部分をスピリチュアルが担っている、そして既存の宗教を信じる者が減った分を両者が補っている、というものだ。

陰謀論者がなぜ陰謀論に傾くのかを調べていて、どういう因子が陰謀論と繋がるのかを生成AIに聞いてみたところ、

  • パラノイア傾向(相関係数0.30~0.40)
  • 妄想傾向(同0.30~0.35)
  • 主観的孤独(同0.30~0.40)
  • 集団的脅威感(同0.30~0.40)
  • ダークトライアド(同0.20~0.30)
  • 不確実性回避(同0.20~0.30)
  • コントロール喪失感(同0.20~0.30)
  • 低学歴(同0.20~0.30)
  • 低所得(同0.15~0.25)
  • 直感的思考(同0.15~0.25)
  • 認知反射の遅さ(同0.10~0.20)

などを挙げてくれた。数値が高いほど相関性が高い。

見ての通り、現実を素直に受け入れられない人ほど陰謀論者になりやすいと出たのだが、これらを見ていてふと思ったのが、狂信的な宗教の信者と似ているのでは、ということだった。これを生成AIに聞いてみると概ね肯定してきたので、理由を尋ねてみた。

すると、陰謀論と宗教は同じ「心理的ニーズ」を持っているからだ、と答えてきた。すなわち、

  • 世界の意味付け(意味の付与)
  • 不安の軽減(不確実性の軽減)
  • コントロール感の回復
  • 仲間意識(コミュニティ)
  • 善悪の二分法(道徳的明確さ)

などを与えてくれるからだ。そこで古代でも陰謀論者はいたのかと聞いてみると、いたけれどもそれは宗教の枠に収まっていた、との回答。そこで、陰謀論は現代の宗教と言えるのでは、と考えてみたわけだ。

現代では、宗教を信じる人の数(比率)は減っている。その要因はもちろん科学が発達し、従来宗教的な意味づけをされていたところが科学で多く説明できるようになってきているからなのだが、それで心理的不安が解消されるわけではない。そこで、宗教ではない新たな心の平穏を求める、つまり陰謀論にのめり込むことで安心する、という需要が出てきたのではないか。

この仮説をまた生成AIに投げると、一部は同意するが一部は誤りだという。それは、宗教は救いを与えるが陰謀論は与えないところだ。そう言われれば確かにその通りで、神の試練とか死んだらあるいは極楽に行けるといったポジティブワードは陰謀論にはない。そこで更に考え、スピリチュアルが広がっていることを思いついた。つまり、宗教のネガティブな部分を陰謀論が、ポジティブな部分をスピリチュアルが担っていると考えれば辻褄が遭うのではないか。

科学の発達で既存の宗教を信じ切れなくなっている現代人が、それでも心理的不安を軽減させるために、ある者は陰謀論に、ある者はスピリチュアルに走る。それを既存の宗教と合計すれば、「信者」の総数はさほど変わらなくなるのではないか。むしろ現代は不安の時代であるので、高度成長期やバブルの時代よりも、それらの総数は増えているのではないか。

残念ながら、生成AIは定量的評価をできなかった。宗教信者が減っていることは統計で分かっているが、陰謀論者やスピリチュアルがどの程度増えているかが測定できなかった。つまり両者を足した全体が増えたか減ったかは分からなかった。

そこで視点を変え、私の仮説と似たような研究が行われていないか確認したところ、その基礎となる各論においては多数の研究者が見つかったものの、総合的な私の仮説に対してドンピシャで当てはまる論文は見つからなかった。

各論が正しいのなら、その統合仮説も正しい可能性は高いはずだ。というわけで、私は奇しくも新しい学説を発表してしまったことになる。

と、自己満足してこの稿を終えることにする。

2026年1月14日水曜日

サンタクロース波動論


 https://gigazine.net/news/20251223-santa-quantum-physics/

こちらで紹介されていた、サンタクロースの量子論的解釈が面白かった。

量子とは、電子やクォークなどを差す。これら量子は、物質としての側面と波動としての側面を持っており、通常の物質とは異なる振る舞いをする。その一つは、ハイゼンベルグの不確定性原理だ。

量子はこの世で最も小さな物質であるので、その物質を観測しようとすると、その行為そのものが観測対象たる量子に影響を与えてしまうので、正確な観測ができない。例えば、顕微鏡で見るという行為は、実際には光子を当てて、その反射なり屈折なりを見ることになるのだが、その光子と同程度のサイズがある量子に光子を当てれば、当然ながらそのエネルギーを受けてしまう。だから正確な観測ができない。だから、本当の状態=観測されていない状態に対し、観測されることによって見える状態は一致しない。

これを積極的に応用しているのが量子コンピュータである。量子ビットは0と1が重ね合わせの状態になっている。この「重ね合わせの状態」とは、先ほど言った「観測されていない状態」のことを指す。有名なシュレディンガーの猫の思考実験は、この重ね合わせの状態の説明をしている。

箱の中には毒が入ったガラス瓶が入っていて、ガラス瓶は一定の確率で割れることになっている。この中に猫を入れ、蓋を閉める。一定時間の後、再び蓋を開けたとき、猫は生きているか死んでいるかのどちらかであるが、蓋を閉めている間、「(観測できていないので分からないが)猫は生きているか死んでいるかのどちらか」ではなくて、「生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせ状態」である、というのがこの説明である。

そして、量子ビット同士を接続して論理回路を作ることが可能であるが、当然ながら観測しない状態では出力も確定しない。そして観測した時点で量子ビットの0か1は決まるのだが、それは観測するたびにランダムに変わる。一方、論理回路の出力はそのランダムな入力に対して一意に決まるのだが、何回か観測を続けてその出力の「傾向」を見て、それを既存のコンピュータに入力して計算を続けるのだ。

もう一つ、「量子もつれ」という面白い現象がある。二つの量子を量子もつれの状態にしておいて、量子同士を引き離す。するとどんなに遠くに離れていても、その量子のうちの一つを観測することで確定すると、もう一方も自動的に確定する。その確定の速度は瞬時であり、これで光速を超えた情報伝達ができると期待されている。

さて、これをサンタに適用するとどうなるのか。元々、サンタが世界中の子供にプレゼントを配るには、超高速で移動しなければならないのではないか、という議論が昔からあった。地球の大きさと子供の数から考えると、サンタは光速の0.5~0.8%程度の速度で移動する必要がある。これはトナカイの鼻のところで赤方偏移が起きる速度であり、当然ながらそんな速度で地表付近を移動すれば大爆発が起き、サンタどころか子供も地表も無事では済まない。サンタは多数いるのだ、と解釈することも可能だが、百や千いたところで大した違いはない。

ではどう解釈するのか。サンタは観測されていない(子供に見つかっていない)状態の間、多くの子供の部屋に同時に存在する。これが重ね合わせの状態である。しかし、どこか一つの家で目撃されてしまうと、それでサンタの存在が確定してしまう=他の家のサンタは消えてしまう。そして子供がサンタから目を離すと、再びサンタは重ね合わせの状態に戻り、仕事を続ける、というのだ。

サンタが訪問すべき家の数を2.4億軒、時間を36時間と想定し、1軒当たり30秒で訪問すると考えると、サンタはだいたい5.5万人ほど同時に存在することになる。子供に見つかる可能性を考えると、この数倍から十数倍はいた方が良いだろうが、それでも十万人の単位であり、これが世界(の同じ時間帯)にバラけているのなら、まあ見つからなくても納得ではある。そしてこの理論なら、サンタは爆速で移動する必要がない。そもそもサンタは妖精の類であるから、消えてしまうことにも不自然さはない。十万人単位で大量に居るはずなのに二人以上が同時に見つかることのない理由としても完璧だ。

これは新しいサンタの存在の根拠になるだろう。

2025年10月20日月曜日

ベジファーストと三角食べ


 書籍「糖質疲労」「脂質起動」がベストセラーになっているらしいというので、少し読んでみた。そこに書いてあったことでいくつか気になったことがあったので、これをネタに生成AIをイジメてみようと思い、会話してみた。

その疑問とは、いわゆるベジファーストへの反論である。

まずベジファーストとは何かをおさらいしておくと、食事をするとき、野菜を先に食べる、というものだ。だが実際には野菜、肉魚、最後にご飯・パンを食べるというものなので、カーボラスト、つまり糖質炭水化物を最後に食べることも定義に含んでいる。

これに対しこれらの本では、ベジファーストが重要なのではなくカーボラストが重要なのだ、という主張をしている。つまりカーボラストであればミートファーストでも良い、というわけだ。

生成AIでベジファーストの効能について聞いてみると、その目的は血糖値の急上昇を抑えることらしい。そうすることによってインスリン分泌を穏やかにし、脂肪蓄積の抑制や糖尿病リスクの軽減が期待できるとのこと。

だが実際、食事において野菜を先に食べご飯を最後に食べたとしても、その時間差はせいぜい5分10分といった程度だろう。胃の滞留時間が2~4時間だそうだから、何を先に食べても大した違いにはならないのではないか。

そう聞いてみたところ、生成AIはあっさり非を認めた。いくつかの実験において、食後血糖値上昇が有意に抑制された例はあったものの、「主食を先に食べた場合との比較」であったり「野菜を食べた後10分間を開ける」といった非現実的な設定であった。いわゆる三角食べ(主食、副食(おかず)、汁)をまんべんなく食べる方法と比較してどうなのか、と調べてもらったところ、そこを厳密に測った研究はないとのことだった。

極めつけは、2024年の糖尿病診療ガイドラインからはベジファーストの記述が削除されていた、ということが分かったことだ。これでベジファーストは息の根を止められた。

では本の主張するカーボラストはどうかというと、「3パターンの食べ方(パン→野菜・肉、野菜・肉→パン、サンドイッチ)で血糖値を比較」という実験において、カーボファーストに対してはもちろんだがサンドイッチに対しても有意な結果が得られている。

新常識:ベジファーストより、カーボラスト|血糖値コントロールの8ルール ④

だがこれも、前述の胃の滞留時間の理論と矛盾する。そこでよく読んでみると、肉野菜とパンの間では10分休憩する、という方法が取られていた。そう考えると、通常の食べ方では大差ないと考えるのが妥当だろう。

ここにたどり着くまでの間、生成AIは散々根拠のない反論を繰り返してきた。だが「実験的に確かめられたのか」「定量的に示せ」といった(いわば当たり前の)質問を繰り返すだけで、生成AIは自滅してくれた。やはり生成AIの使い方にはまだしばらく注意が必要だ。

つまり、結論からするとベジファーストもカーボラストも大した効果は期待できないので、気にせず好きな順で食べてよい。ただしカーボファーストだけはダメだ。というのも、カーボファーストにしてしまうと最短20分で胃から排出され始める可能性があり、先ほどの胃の滞留理論が通じないからだ。

さて、では食事順序以外に有用な方法があるのかというと、実は先ほどの糖尿病診療ガイドラインではプレート法というのが提案されているらしい。食事の量を野菜が半分、肉魚が四分の一、ご飯が四分の一にする、というもの。まあ糖質制限食の一種だが、野菜がだいぶ多い。これは確かに効果があるだろうが、辛い方法でもある。

2025年7月13日日曜日

たつき諒の予言は外れた


実は前日に書いているのでたぶん、だけれども、「たつき諒の予言は外れる、という私の予言」は当たった。

ただこの間、トカラ列島で群発地震が起こり、最大震度6弱が1回、5強・5弱も複数回発生した。

トカラ列島で最大震度6弱含む1700回超の群発地震 収束見通せず今後も警戒が必要(Science Portal) - Yahoo!ニュース

私の予言を改めて書くと、

2025年7月5日を中心とした前後1週間(計2週間+1日)の間に、日本の太平洋岸を震源とする、最大震度6強以上の地震は、起きない。

というものになるのだが、ここで6強と6弱は1段階しか違わないから当たらずとも遠からずだったのでは、という人もいるかも知れない。だが、前も書いた通り、地震予知の3原則では規模をしっかり規定することが必要だ。震度6弱と6強では揺れ方に雲泥の差があり、もちろん地震エネルギーも天地ほど違う。

また、私の予言の文言には書いていないが、たつき氏の予言は「東北大震災の3倍以上の津波」とされているところ、トカラ列島の地震では津波警報すら出なかった。

改めて書くと、地震予知の3原則は①地域の特定②時期の特定③強度の特定、何れも満たしている必要がある。そもそもたつき氏の予言は①は広すぎ、②だけ正確、③も曖昧、と、最初から予言の体をなしていないのだ。それを最大限に拾って定義したのが私の予言で、それすらも外したのだから、もう言い訳はできない。明確にハズレである。

そして、曖昧な言い方をするのは自称(ウソツキ)預言者の常套手段である。地震に限らず、たとえばノストラダムスの大予言でもそうなのだが、1999年7月に降ってくるのは「恐怖の大王」であって、隕石とか核爆弾とかとは明記していない。曖昧な表現だと、それを様々に解釈して、たとえば単なる酸性雨でもアタリと主張する輩が出てくる。曖昧な表現は、予言の「アタリ確率」を上げる手段なので、預言者はこれを常用するわけだ。

そしてその程度(量的視点)なのだが、たとえば震度を曖昧にすると、その「アタリ確率」は大幅に上昇する。

以下は、生成AIに作らせた、1926年(昭和元年)から2024年までの約99年間を対象に概算した、震度別の年平均発生件数である。

 震度7        約0.1回/年
震度6強    約0.4回/年
震度6弱    約0.8回/年
震度5強    約5〜7回/年
震度5弱    約10〜15回/年
震度4        約150〜200回/年

ここは各々の震度で計算しているので、たとえば震度6強以上の地震は0.5回/年、というように足して考える。

私の予言は「震度6強以上」だったが、これは0.5回。もしこれを「6弱以上」とすると、1.3回となる。つまり震度が1段階違えば「アタリ確率」は3倍弱になるのだ。地域も同じように掛け合わせると、曖昧さによる「アタリ確率」は大きく増大する。たとえば海域別に発生件数を調べてみると(これも生成AI)、

太平洋沖(東日本〜南海トラフ)   約500〜600件/年
日本海沖                                                    約100〜150件/年
東シナ海・南西諸島海域                     約150〜200件/年

となる。今回起こった悪石島は「東シナ海・南西諸島海域」になるのだが、南海トラフは当然ながら太平洋沖に分類される。私は「太平洋岸」と書いたが、普通は「太平洋沖」を想像するだろう。この意味でも今回はハズレていたわけだ。

自称預言者はこのこと(発言を曖昧にすればするほどアタリと思ってくれる)をわかっているから曖昧にするのだ。

また、「これは予言ではない」などと予防線を張るのも自称預言者がよくやる手段だ。たつき氏も「夢で見たもの」などと言って予言と明言していないが、これはあらかじめ逃げ道を作るためのものであって、件の本の中を読んでいれば、それが予言であることは明らかである。もちろん当たればそれを声高に主張するのも、自称預言者の常套手段である。

当たると評判の預言者も、よく調べてみるとこれらの法則に当てはまることが多い。というか、当てはまらない人を見たことがない。それでも(その緩い)「アタリ確率」が高い人はいるのだろうけど、そこまで調べるほど興味もないし、ヒマでもない。

結局、この手の(曖昧な)予言に振り回されるのは止めようよ、と思うのだけれども、今回は中国などで旅行が取り止めになるなど国際的な事態にも発展してしまった。そしてこれは心理学で説明できてしまう。

曖昧な表現を予言と結びつけてしまう心理学的効果として、「後知恵バイアス」というものがある。


他にも確証バイアスなどいろいろあるが、こういうものを知った上で、その予言が聞くに値するものなのかを個々の人が判断すべきだ。

以前にも情報リテラシーをもっと勉強すべきだと主張したことがあったが、その多くにはこういった心理学的要素があるのだ。人はもっと心理学を勉強すべきだろう。

2025年6月18日水曜日

たつき諒の予言は必ず外れる

 たつき諒氏の予言が話題になっているので、私も一つ予言をしてやろうかと思う。

2025年7月5日を中心とした前後1週間(計2週間+1日)の間に、日本の太平洋岸を震源とする、最大震度6強以上の地震は、起きない。

地震予知三原則である①地域の特定②時期の特定③強度の特定、何れも満たしているため、予言の条件は満たしている。だが、「起きる」ではなく「起きない」と予言しているところがミソだ。

さて、この予言は9割9分当たると思うが、その理由もしっかり存在している。たつき氏の予言は、東北大震災の3倍以上の津波、などと記述しており、少なくとも震度6強以上と想定されるのだが、その震度6強以上の地震は、ここ30年で15回しか起きていない。また、たつき氏の予言は明らかに「太平洋」と記述されているのだが、その15回とは全国の総計であり、太平洋岸と限定すると更に減り5回、しかもそのうちの3回は東北大震災近辺に集中している。ここから確率論で計算すると、(7月5日に限らず)特定の15日の間にその規模の地震が太平洋岸で発生する確率は、1%未満なのだ。

元々たつき氏の予言は科学的見地に基づくものではなく予知夢によるものなので、こんなことを言っても仕方のないことなのだが、そもそも予言者というものは過去の実績でその信ぴょう性が確認できるものだ。彼女の場合、その漫画の中で幾つか過去の予言(予知夢)が当たったことを主張しているが、実際に検証できたのは東北大震災(あたり)と富士山噴火(はずれ)だけで、それ以外の予言は(あたった)実績として既に書かれている(検証不能)。つまり母数が少な過ぎて検証不可能なのだ。今回1回程度外れたところで、その検証ができるわけではない。

外れたからといって彼女を罵る行為は止めて頂きたい。

2025年6月4日水曜日

生成AIをいじめて遊ぶ

 

「生成AIはミーハーである」の回でも少し触れたのだが、生成AIの回答は一次的には誤っていることが多い。それを指摘してAIが回答を修正していく様を見て楽しむ、というのが最近のマイブームだ。

どういう指摘をしているのか、と自己分析してみると、興味深いことに陰謀論者との議論とあまり変わらないことに気付いた。つまり、

  1. 定義や前提が誤っていることを指摘する
  2. 世間で既にウソと分かっていることを主張していることを指摘する
  3. 定性的議論に終始し、定量的議論ができていないことを指摘する
  4. 視点が一方的であることを指摘する
  5. 批判的思考ができていないことを指摘する

などである。

最初に入力するのは、時事だったり自分のアイデアだったりと色々だ。先日は、鉄筋コンクリートに代わるグラスファイバー筋コンクリートの可能性について質問した。すると生成AIは困難と言い、色々と問題点を指摘してくるので、それら一つ一つについて反論をしていく。そうすると次第に生成AIは追い詰められ、その可能性を認め始める。その過程が興味深い。

この場合、初期状態では延性や熱膨張率、剛性、座屈といった弱点を指摘してくる。だがそれらは鉄筋コンクリートに対する弱点であって、建材として認められるかどうかは別だ、と指摘したり、形状や材質の工夫を考慮していない、と言ってみたり、定性的議論に陥っているから定量的に示せ、と言ってみたりする。

陰謀論者と違うのは、それらの指摘を真摯に受け止めて議論をちゃんと修正するところだ。そうすると、鉄筋コンクリートには劣るが建材としては基準を満たす可能性や、形状や材質の工夫で延性剛性を強化する可能性を探ってくれたりして、その可能性を認める。それでも研究されていないことなどを理由に反論してくるので、今度はなぜ研究されていないことが難しい理由になるのか論理的に説明せよ、と聞いてやる。すると論理的な理由はなく一般論として、研究されていないことは難しいからである場合が多い、と言ってくる。するとこちらは、ただ興味がなくて研究していないだけかもしれない、と突っ込む。すると研究されていない理由を探し、途中で断念した例が見つからないことから、そうかもしれない、と返してくる。

これが陰謀論者だと、屁理屈を返してきたり無視してきたりする。だから話が進まない。そこで、もし自分が陰謀論者だったら、と考えてみると、逆にAIにやり込められるのではないか、と思いたち、生成AIに対し「自分が陰謀論者になるので、貴方は論理的に事実に基づいた論破をしてくれ」と頼んでやって見たのだが、どうも上手く行かない。暖簾に腕押しで、論破してくれないのだ。

どうも生成AIは、質問者に対して厳しく間違いを指摘することを避ける制限が掛かっているようであり、またコロナワクチン陰謀論などのように医療や政治などに対する議論は特に避けるような別の制限が掛かっている。陰謀論というのはこういったクリティカルな話題で特に多いので、せっかくの性能も宝の持ち腐れだ。

実は、この手のモラルが比較的緩いとされているGrok3でも試みたのだが、論理的・量的理論に基づく反論はどうも苦手らしく、幾らでも(陰謀論者的な)反論ができてしまい、最終的には千日手のように、論破されても同じ主張を繰り返す、というヘンな構図ができてしまった。これでは(陰謀論を論破する側が)陰謀論者のロジックで話していると変わらない。

これらから総合すると、生成AIはまだまだ陰謀論者に騙されるだろうし、生成AIによる説明や説得にも陰謀論者的な(不完全な)ロジックがまかり通っている、と考えざるを得ない。生成AIの答えは鵜呑みにするなとはよく言われるが、生成AI自体が陰謀論を吐く可能性はまだ(かなり)残っている、と言えるだろう。

2025年5月18日日曜日

生成AIはミーハーである

 色々と生成AIと議論しているが、それに関して最近気付いたことがある。

最初の応答については、あまり深く考えずに世間の評判を基に答えるのだが、それには往々にしてウソ大げさが混じっている。それに対して指摘をし、更にそれを繰り返すことによって、だんだんとそのウソ大げさを理解し、マトモな解釈ができるようになる。

これは、近年のコメ価格高騰の要因について問い合わせた際に気付いた。最初は、新聞で見るような「流通の目詰まり」「訪日外国人による需要増加」「買い占め」などと答えていたのだが、その各々について分析を指示したところ、これらについてはファクターとして弱く、主要因ではないと答えるようになった。では主役は誰かと問うと、「減反政策」「JAや全農の影響」と答えるAIと、「需要側の問題」と答えるAIに分かれた。これらの質問をする際、各々に対して定量的根拠を求めると、答えにもきちんと定量的評価が入り、答えが論理的になった。

Grok3の最終的な結論は減反政策とJAの前払金制度だったが、前払金制度は以前からあった施策であり、その意味では説明がつかない。それを突っ込むところで回答数制限が来て、お預けになってしまった。

これは他のAIについても同じで、回答を分析して突っ込んで質問すると答えを翻す場面は多かった。それに気付いて以前からのAIとのやり取りを思い出してみると、確かに思い当たることがある。最初の答えは表面的、ミーハー的で、突っ込んでいくと段々と専門家らしくなってくる。同じ知識を持っていても、質問の仕方次第では180度異なる回答をすることもあるのだ、と思った。

最近のAIはDeep Searchのようなオプションも無償で(回数制限はあるが)使えるようになっているが、それをONにして訊いても、やはり最初の回答は定性的・テキトーなことが多く、こちらが突っ込んで聞かないとマトモな答えは得られないことが多い。そう考えると、AIに安易に回答を求めることは危険で、陰謀論者を増やすことにもなりかねない。

逆に言えば、その「ツッコミ」をできる技量が質問する側にも必要だし、その技量によっては回答がブレることにもなる、と言える。そこに思想や偏見が交じる可能性は当然否定できないから、質問する側もその分慎重になるべきである。

最近では、わざと誤ったツッコミをしてミスリーディングをして、AIがそれに耐えられるかなどといったことをして遊んでいる。

2025年5月5日月曜日

人は死んだらどこへ行くのか

 以前、「魂とは情報である」という仮説

https://spockshightech.blogspot.com/2017/01/blog-post_19.html

を書いたことがある。そこから演繹していくことによって、この問題に挑んでみる。

魂とは、大雑把に言うと、脳というコンピュータに書き込まれたプログラム、及びデータのことである。ただ最近では、脳だけでなく、全身の臓器にも記憶が埋め込まれていることが分かっていて、それはいわゆるメッセージ物質の出易さや出る条件が人によって異なることだ。そういう「癖」も含め、情報は人間を形作っている。

その情報は、新しく取り込まれ消化されるとともに、体外にも出ていっている。例えば本人が揃えた本のコレクションは、その本人の個性を反映している。ブログやSNSでの発言、メールの文面、写真や動画などもそうだ。あの人ならこう言うよね、というのが他の人にも伝わっている、これも情報であり魂の一部と言える。つまり、他人にも自分の魂の一部があり、自分にも他人の魂の一部があると言える。

さてこの情報は、コンピュータの情報と違って明確に線引ができない。つまりこの情報は自分のもの、この情報は貴方のもの、という区別が難しいのだ。ファジー理論ではないが、自分90%、他人10%といったように、情報は交差している。だからよく、親しい人が死んだ時に「貴方の心の中に生きている」みたいなことが言われるのだが、これはその意味で本当と言える。

そして、人が死ぬと、体内の情報はほぼ失われるが、体外に出ている情報はまだ残っていて、それが魂である。だが例えば、体内の情報が9割だとすると、体外に出た情報は1割しかない。つまり、人が死ねば、魂のほとんどは失われるが、全部ではない。ただ、その1割が散逸していて、また自分の中にあるその人の魂の一部は感じられるが、それはその1割の、更にその何十分の1に過ぎない。だからほとんどその人を感じられず、悲しくなるわけだ。

最近中国で流行っている、SNSの発言などを基に死んだ人の仮想人格を作り出す作業は、この1割を再構成して人に分かりやすく見せているものだと言える。なのである意味、これは本物の魂であると言える。1割だけど。

体外に出している情報が多い人ほど、その再現性は高まる。だからもし、24時間365日その人を監視して、映像と音声を撮りまくり、更にその再構成を精密に行うならば、魂の4割とか6割とかを再構築することは、将来的には可能になるかもしれない。

またそもそも、人の魂の形成とは、外部からの情報の取り込みによるものである。本を読み、他人と会話し、運動や経験をするというのは全て、外部から情報を取り込んでいるのである。それを体内で咀嚼し自分なりに構成したものが魂なのであって、であれば(本人が接する)外部情報だけ取り込んだとしても、魂の再現はある程度可能になるはずなのだ。ここらへんの考え方は、やはり以前に書いた「中国語の部屋」

https://spockshightech.blogspot.com/2017/05/blog-post_26.html

と同じである。

ここで表題の「人は死んだらどこへ行くのか」を改めて考察してみると、次のようになる。

まず肉体的には消滅する。日本の場合はほとんど火葬なので骨しか残らないが、魂(情報)はその残った骨にはほとんど残っていない。手術をした関節ジョイントの跡とか歯型とか、全くないわけではないが、多くの場合それは魂と言えるようなレベルではない。そして、その他の方法で体外に出ていた情報を統合することは可能だが、その再現性はおそらく1割以下で、高くない。また、その再現性を高める工夫をすることは可能であり、それは本人が体外に出していた情報をできるだけ多く集めることだ。その統合にはAIを使うことになるのだろう。元々情報なのだから、肉体のように単一のものではなく、その集め方や分析の仕方次第で幾らでもバリエーションが生じることは考えられるし、コピーも資放題だ。

この場合「どこへ行くのか」とは、「コンピュータ上の情報になる、それ以外は散逸して何れはノイズ(雑音)に埋もれて消えてしまう」ということになる。

2024年10月11日金曜日

コロナ禍の陰謀論と情報教育

 

コロナ禍ではあまり本ブログを更新しなかったが、この間は陰謀論が跋扈した時期でもあった。コロナは存在しない、ワクチンは危険、アビガン買いだめ、マスクは意味がないなど、実に様々な陰謀論が飛び交った。

この手の人は今だに存在しており、体感としてはむしろ増えている。それも、身の危険を感じるほど増えているように思う。ある程度以下であれば笑い飛ばしたり無視したりしていれば良い話なのだが、これを真面目に語っている人がある程度以上増えてくると、それが世論となってしまい、マトモなことを言っている人が逆に疎外されてしまう。さすがにこれは危険である。

一般的に言って、陰謀論の多くは誤りである。だが例えば、月着陸はウソだとかいうものについては、直接的な国民への害はない。これに対し、コロナ関連については人の命に関わるものであり、つまりは陰謀論を信じてしまうと人が死ぬため、明確に害悪である。これに危機感を感じ、私はあちこちで陰謀論者と議論をしてきた。彼らは自分の考えの誤りを認めることは無かったが、沈黙する(反論を止めて去る)ところまではいった。多くは内心では考えを改めてくれたのだろう、と勝手に信じている。

だが、コロナ発生からもう4年も経っているのに、過去に否定済みのものと全く同じ理屈で全く同じ陰謀論を唱える陰謀論者は、後から後から出てくる。これには流石に疲れる。彼らは以前の議論の記録など知らないし、読めと言っても読まないから、また一から同じ議論を進める必要がある。面倒なことこの上ない。

まあ、後から出てくる陰謀論者は言わば新人であり、彼らにとっては新発見なのだろうから仕方がないことなのだが、こちらからすれば同じことの繰り返しであり、気力の継続にも限度がある。これは個人のボランティアではなく、学校教育で何とか対処して欲しい事柄である。

情報の科目がようやく受験科目になった。そこで大学入試センターの「情報I」模擬試験を見てみたのだが、いわゆる情報リテラシーに関する問題は1問も見つからず、がっかりした。プログラミングも統計処理も大事だろうが、情報リテラシーを教える方が遥かに重要ではないだろうか。確証バイアス、フィルターバブル、エコーチェンバー、生存者バイアス、チェリーピッキング、疑似科学、敵対的メディア認知、悪魔の証明、統計情報の正しい読み方、論理学の初歩、といったものをしっかり教える方が、人生においては遥かに必要なことだと思うのだ。

プログラミングができたとしても、陰謀論を信じてワクチンを接種せず、その結果としてコロナに感染して命を落とすようでは困る。いや、困るどころの話ではなく、個人的にも国にとっても多大な損失である。そしてその陰謀論がはびこってきたのは、情報過多の時代に合わせて情報リテラシー教育をすべきところを怠ってきた、教育の責任ではないだろうか、と思うのだ。

今からでも遅くはないので、情報の教育の半分は情報リテラシーに充てるべきだ。残りの半分は、従来のものを圧縮して教えれば良い。文科省の皆様には、ぜひ検討して頂きたい。

2019年3月6日水曜日

ファクトチェッカー


ある意見に対して賛成か反対か、各々の立場での論点整理をするAIというものが存在する。

http://www.hitachihyoron.com/jp/archive/2010s/2016/04/08/index.html?WT.mc_id=ksearch_1604_13

これと同じように、ある短い文書(例えば「南京大虐殺はなかった」という主張)に対し、それが本当のことかどうかを全て自動でチェックする、ファクトチェッカーのようなものが作れないだろうか。

意見に対する賛成反対というのより難しいのは、根拠となる文書の信頼度を測ることだ。人気はGoogleエンジンなどでも使われているが、人気が有るからといって正しい情報とは限らない。むしろフェイクニュースの方が早く広まるという論文もある。従って、別の仕掛けが必要である。

方法は幾つか考えられるだろうが、大まかな方向性は二つだろう。ひとつは、「信頼できる人の発言は信頼できる」というもの。信頼できるとされている人の多くが支持しているなら本当だろう、という考え方だ。もうひとつは、発言の中身の論理的整合性をチェックするもの。例えば根拠を探し、その根拠が正しいかを検証する。複数の発言の間に矛盾が無いかどうかをチェックするというものだ。

これらはどちらか一方ではなく、両方が切磋琢磨しながら、場合によっては相互に連携しながら精度を上げていく方向性に向かうのだと思う。例えば前者ならどうやって信頼できる人を評価するのか、後者は正に文章の意味を理解しなければならないし、根拠にも根拠が、と永遠にいたちごっこが続くかもしれない。

ここにも一つアイデアはある。結果に対する機械学習ではなく、手法に対する機械学習を積み上げるのだ。つまり、色々な手法を強化学習で試していくのである。

残念ながらゲームのような明確なゴールを自動で示すことができないので、ここは人間が判断してやる必要があるのだが、「この問題にその論拠では不足だ」「少ない論拠でよくここまで出せた、すばらしい」といったアナログな点数を付けてやる。

そうすると、例えば物理学が得意なファクトチェッカーとか、政治家の発言について得意なファクトチェッカーとかが出来上がっていくかもしれない。少々間違っていたとしても論拠が提示されれば読者が判断し、点数を加味してやるとか、方法はいろいろと考えられる。

2017年12月9日土曜日

アンドリューNDR114


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BCNDR114

言わずと知れたアシモフの名作の映画化だ。最初は映画館で見て、かなり感動した覚えがある。だが、先日改めて見て、少し違和感を覚えた。

アンドロイドが人間の外見を備えることや個性を持つことを社会が認めない、偏見を持つ、またアンドロイドを人間と認めることに対して抵抗するといった、この映画の主要なテーマについて、最初に見たときと今とで社会の空気が違ってきているように思うのだ。ちなみに日本では2000年に公開されたそうで、たぶん自分もそのときに見ている。

その違いだが、恐らく日本ではそういった抵抗はそれほど強くならないのではないか、ということだ。既に石黒教授のアンドロイドがあちこちに展示されたりテレビに出たりしているし、aiboも復活した。少なくともアンドロイドを奴隷や使用人ではなく仲間、友人、話し相手として位置付ける傾向は出てきているように思う。

もちろん人間として法的に認めることに対しては大きな抵抗があると思うが、映画の場合はアンドリューが訴えてから数十年、アンドリューが発売されてからは二百年経っている想定だ。この間の技術進歩や意識の変化は、もっと凄まくてもよいはずだ。

今同じ映画を作るなら、最初からロボットは人間そっくりで、表情もそれなりに豊かであり、感情も個性もかなり表現できるはずだ。そして50年で不死のまま「準人間」の法的地位を確立でき、人間との結婚も許されるようになる。一方で人間の機械化も進み、特に頭脳の一部さえも機械化されるため、人間との区別は更に難しくなっていき、人間を前提とした法の方をむしろ変える必要が出てきているのではないか。

それは、オリンピックでドーピングを禁止したり、パラリンピックを別に設定したりすることの延長になる。例えば腕を機械にした人間が暴力を振るうと凶器とみなされるとか、記憶力強化脳を使っている人は受験枠が別になるとかだ。

その延長で考えるべきなのは、機械化、特に脳の一部が置換された人間は人間と言えるのか、というところだ。ここで、手足や臓器なら問題ないだろうとは必ずしも言い切れない。なぜなら、それらが感情や人格の一部を形成している可能性があるからだ。NHKスペシャル「人体」を見た人はそういう疑念を抱くだろうし、自分の以前の投稿でも、記憶が脳以外の場所に存在する可能性に言及している。

法的にはともかく、体が機械に置き換わっていくと、アナログ的に(置き換えれば置き換えるほど)「人間」ではなくなっていくのではないか。脳が大きな位置を占めることは間違いないだろうが、臓器によって「人間度」が割り当てられ、例えば腎臓ひとつ何%として、置き換わった程度に応じて人間度が失われていくようなイメージである。

一方で、機械の場合は人間度は脳に集中しており、それが何で出来ていたとしても、一定のテストをクリアすると人間度が与えられる。つまり脳の一部を取り替えたとしても、人間度は失うわけではなく、代替脳の人間度とその脳の一部の人間度が置き換わることになる。但しそれはあくまで「人間度」であって、「その人であること」つまりアイデンティティは別に計測する必要がある。

この原理でいくなら、全てが人工脳のアンドロイドであっても、本物の人間を超える人間度を持つケースもあり得るわけだ。そんな社会でその個体に権利を与えるのは、当然のことであろう。

但し、その権利はもはや人間に与えられるものではなく、人間度やアイデンティティに対するものになっているはずだ。だから、権利と義務はバラバラに分解され、明確な線引きはなくなっている。

例えば、子供を儲けるよりロボットを一台作る方が生産性が高いのだから、行政が子供に対する支援(控除や補助金)をする意味は薄れているだろう。ロボットと結婚できるのなら、同姓婚や多人数婚を認めない風潮も廃れているだろうが、一方で相続における特権や家族控除は減り、純粋に尊厳だけの問題になっていくはずだ。

これは一方で、定型的な幸せの形が崩れていくことも意味している。良い学校に入って良い就職をして良い人と結婚して子供を儲けて…というのはごく一部の例に成り下がり、数人で何百年と人里離れて暮らしたり、大家族で閉鎖社会を築いたり、趣味一筋になったりと、生き方は多様化していく。

そんな中ではアンドリューが求めることは簡単に得られ、逆に人間の方が色々と悩む世界が描かれることになるだろう。それはそれで面白く、そんな映画も見てみたい。

2017年10月21日土曜日

規制の効果


出ては消える、繰り返し議論に上りつつなかなか結論が出ないことの一つに、暴力や性表現に対する規制がある。映画、ゲーム、書籍などにおいて、規制を掛けようとする側と阻む側の論争になる。

この論争が集結しない大きな理由は、学問的な背景を持たずに議論しているからだ。要は本当に規制が効果を持つのか持たないのかを、誰も調べていないのだ。

小規模な研究や片側の支援による(信頼できない)調査については幾つか見たことがあるが、何れも議論には不十分なものだ。だから、これに対する結論はただ一つ、「さっさと調査してみればよい」、それだけだ。

もちろん、公平かつ大規模な調査というのはそれなりにカネも時間も掛かるし、出た結論に対して反対側の意見の勢力からは異論も出るだろう。だからカネも時間も掛けた結果、やはりよく分からないままになる可能性は低くない。それは無駄なのだろうかと言えば、そうではないと思う。大した結果が出なければ、問題自体が大したものではない、どっちでもいい、ということなのだから。

個人的な意見としては、平均から著しく外れた極端な性癖の人たちを除けば、一定以上の極端な表現には生理的嫌悪を感じ、例え規制がなくなったとしても見ないと思う。全面解禁することで、そういった極端な人が起こす犯罪は若干増えるだろうが、母数が少ないので大きな影響はないと見る。

一方で全面禁止した場合は、平均的な人の欲望が昇華されない状態になるため、やはり犯罪は増えるだろうが、こちらは母数が大きいので影響は相対的に大きくなると見る。今の規制である「18歳以上」「15歳以上」などという制限は適度の範疇(本当に最適かどうかは分からないが概ね適正)にあり、大幅な増減をする必要はない。

日本にはないが、米国の銃規制なども意味は同じだ。調査してみればよい。こちらは生理的欲望云々とは少し事情が違い、犯罪と直結する話なので、正しく規制すれば大きな効果が出ると考える。あれで理解不能なのは、米国で提案されている銃規制は全面規制ではなく、登録制や事前審査をしようという話なのだから、「自衛のために持つ」はずの一般人に対してはさほど影響がないはずなのだ。それでも反対が多いというのはどういう意味を持つのか。修正三条がそれを認めないとも思えないのだが。

2017年8月30日水曜日

磁気ネックレスは効くのか


磁気ネックレスが効く理由として挙げられている、マイナスイオンやらヘモグロビンやら生体電流やらというのは、理論としていまいち納得できない。疑り深いひとには効かないようだから(笑)自分には効かないのだろうか。だがこの肩の痛みは何とかしたい。

磁気が体に与える影響として考えられることは二つ。一つは磁性体を引きつける力、もう一つは磁場の中を体液が通過することによって発生する起電力だ。このうち前者には特にメリットが見出せない。後者が神経を刺激することは考えられるが、これが肩凝りを解消できるものかどうか。

肩凝りを解消するには、豊富に体液を循環させて栄養を届け、老廃物を吐き出し、傷を修復する必要がある。このうち、少なくとも磁気には栄養を豊富にする機能はない。傷修復の活性化は、神経刺激と細胞を直接刺激することの両方が考えられるが、原理的に納得できるものはない。体液循環の活性化は、活性化すれば肩凝りが解消することはあり得る。だが、体液を循環させるためには心臓に働きかける必要があるが、首からは遠い。

しかし、体液循環にはもう一つの原理があり、それが「筋肉ポンプ」だ。筋肉の収縮に合わせて血管も圧を受けて潰されたり元に戻ったりするが、静脈には弁があり、逆流しないようになっている。この収縮で静脈が潰れたり元に戻ったりすることで、心臓とは関係なく血液を循環させることができる。ふくらはぎの筋肉は特に、重力で足に溜まりがちな血液を押し上げるのに重要で、ふくらはぎが細い人が冷え性だったりするのはこれも一因と考えられる。これから考えられる原理が一つある。

心臓の動き(1分間に70回程度)に合わせて、血液の流れは速くなったり遅くなったりしている。肩に磁気ネックレスで磁場を形成すると、その流れの強弱に合わせて起電力が発生するが、これが微細な電流となって筋肉の神経を刺激し、ほんの僅かだが筋肉が収縮する。この微細な収縮が筋肉ポンプとなって、血液が通常以上に流れ、老廃物を排出し栄養や酸素を補給する。

つまり、磁気ネックレスをすることには、理論的に納得できる原理がある。また、この原理からすると、磁気を発生しないチタンネックレスには意味がなく、磁気ネックレスの売り文句である「血液の循環を促進する」という説も、(意外にも)正しいことになる。磁気の強度も強いほどよい。

この理論を検証することは容易い。磁気ネックレスを使っている場合と使っていない場合、各々で筋肉の微細な動きを調べ、体液循環の量をそこから推測すればよい。

ガッテンあたりで調べてくれないだろうか。

2017年8月26日土曜日

AIには絶対できないこと


以前の投稿「 AI寿司職人は美味い寿司を握れるか」と関連して、「AIには絶対できないこと」、とGoogleで検索してみると、出るわ出るわ。無名有名入り乱れ、色々な説が唱えられている。

だがどれも、技術的に不可能であることを証明・説明できていると言えるものはなかった。自分に言わせれば、上の投稿と同じく「人間の能力を過大評価している」あるいは「コンピュータの可能性を過小評価している」ように見える。
  1. 創造力
    • 上の投稿で示した通りだ。
  2. 発明
    • 発明も既存のモノの組み合わせだ。だからデータが既存のモノだけでも、発明をするように設計したシステムを作ることはできる。データの出し方が既存のAIとは異なるが、これも単用途AIの一種として設計すればよい。チャレンジブルではあるが、原理的にできないという証明はできないだろうし、途方もないというほど難しいとは思わない。
  3. ルールを破ること
    • ルールは学習のための一データに過ぎない、と位置付けるだけで可能だ。もちろん絶対に破らないように設計することもできる。
  4. 勘、直感、ひらめき
    • 勘の本質は、明文化できない、また厳密ではないルール(因果関係)で、これは深層学習における関連性推定そのものだ。既にできている。
  5. 感覚
    • IoTの時代に何を言っているのだろう。センサのパラメータ(及びその組み合わせ)だ。
  6.  臨機応変
    • 当然できる。臨機=外部パラメータだ。
  7. 感情
    • 表情などから感情を読み取るAIは既にある。いじめれば泣くロボット、おちょくりに怒るアバター、幾らでも事例はある。
  8. 個性
    • 学習データが全く同じでも別の結論を出すAIなど、造作もない。
  9. 忘れること
    • 深層学習は、最初に学習したことを徐々に忘れている。また、学習時刻に連動して影響を可変にするようなアーキテクチャも可能だ。
  10. 疲れる、間違える
    • わざわざそうすることに意味があるかはさておき、設計でそうすることは可能だ。
  11. 意思
    • これも定義の段階で曖昧だが、その定義に従って設計をすることは可能だろう。
  12. リーダーシップ
    • 音声やメールなどで人間の感情を制御(誘導)することは可能、課題を与え報酬を設定することも可能。もちろんそう設計する必要はあるが、可能だ。
  13. 少ない事例からの推察
    • 無論可能だ。精度が悪いのは人間と同じ。また他の学習結果をベースにして推察することもできる。
  14. 起業
    • 少なくともイチゼロで考えるなら可能だ。起業を目的とするAIを作ればよい。
  15. 普通の人(汎用AI)
    • 多数の目的別AIを束ねるAIを作ることは可能で、その目的別AIの種類が十分に揃えば、汎用とみなすことは可能だろう。ここでその種類が幾つかが問題になるが、人間だって無限ということはあり得ないから、それをもって不可能とは言えない。
ひとつひとつには細かな考察が必要だが、おおむね実現のための課題設定や解決方法などには光が見える。もちろん上の殆どは今存在していないし、「苦手」と言えるものもあるかも知れないが、「絶対にできない」あるいは「当分(原理的に)できそうにない」ものは一つもない。

2017年8月21日月曜日

霊能力開発


以前何回かの投稿で、魂は記憶の塊であるという説を唱えた。また以心伝心や呪いなどについいても説明を試みた。これと同じく、霊能力もこの仮説で説明がつくかもしれない。

現在の仮説では、魂は記憶の塊であるとは説明したが、それがどのような媒体に載っているかは不明である。もちろん基本的には脳だが、体の細胞のあらゆるところにも存在する可能性がある。そしてそれが空気中を伝搬するのであるから、その伝搬方法は
  1. 電磁波
  2. 音波
  3. 重力波
の何れかであろうが、このうち重力波は考えにくい。体の組織が発生させ得る重力波のレベルはあまりに小さく、検知もほとんど不可能と考えられる。音波よりは電磁波の方があり得そうだが、断定はできない。ここでは電磁波であると仮定して話を進める。

記憶は、人間が意識しなくとも常に発生している。目にも耳にも皮膚にも始終様々な情報が入ってきており、それが細胞の接続や構造に何らかの影響を与えるならば、全てが記憶と言える。以前も説明した「記憶の溜まり場」にしても、単純な空間のみでは考えにくいが、何らかの(半)固定的な物質が存在していれば、原理的にはあり得る。ただこの場合、石(コンクリート)や鉄骨よりも、植物(特に木)の方が可能性としては高いだろう。固形物、非生命では構造が変化しにくいからだ。勿論人間そのものでもよい。

長く記憶を留めるには、簡単に移動されたり伐採されたりしない方が好ましいから、未踏の山や神社仏閣などは理想的だ。墓(の周辺の木)、庭木なども候補に挙がる。そういったものが日々の人間の行動から発する電磁波を受けて微妙な変化をし、またその変化を人間が電磁波で感じ取ることができれば、霊能力が成立するわけだ。

人間は、ごく弱い電磁波でも関知する能力がある。目はその一つだが、肌でも感じられる。電磁波過敏症の人はその典型例だ。なお、電磁波過敏症にはなお否定的な見解が多いが、もしそうだとしても、肌が電磁波を感じることのできる器官であることは間違いない。日焼けがそうだし、光線過敏自体は医学的にも認められている。

その原理は医学的には不明だが、そういった電磁波の波形、周波数、方向、偏波などの組み合わせ及び時系列的変化を、人は日常的に浴びている。普通の人はそれを意識しないが、それを元の変化原因にまで遡って再構築できる人が稀にいて、これが霊能力者と呼ばれる、というのがその仮説だ。

もしそうであれば、これは細胞の細かい変化のパターンを脳がそれとして意識できるかどうかという問題になるため、誰にでもその可能性は有り、また鍛えることもできるということになる。これは滝行のようなものではなく、変化のパターンと正解を結びつけることを繰り返して脳内回路を強化する作業、要は深層学習と同じことをすれば良いのだ。もっとも単純には、ESPカードを当てる訓練がそれに当たる。

この仮説によるならば、本人に近づくほどその作用(正確さなど)は強くなるし、その場所に行くことでその場所の記憶を得ることも理に適うことになる。時間と共にその記憶も薄れることも理解できる。心霊スポットもパワースポットも説明できる。霊能と人格が比例しないことも同様となる。

2017年8月11日金曜日

マクスウェルの悪魔オーディオ装置


似たようなニュースが立て続けに飛び込んできて、興味深く見ている。マクスウェルの悪魔自体の話は永久機関にも繋がる話で、一見すると胡散臭いのだが、もちろん両者とも真っ当な研究で、永久機関と繋がるものでもない。つまり、選別には相応の電力が必要である。
で、ここで考えるのが、ピュアオーディオにおける電力の選択の話が度々取り上げられるが、これが本当になる可能性が出てきたと言えるのではないか、ということだ。もちろん電力だけではない。音楽データそのものにこれを適用できるのではないだろうか。
電力は無論ピュアな直流だ。だがそれだけではない。上のニュースで見て取れるのが、電子一つ一つの動き方を観察して、ゲートを通すか通さないかを決める、という機構だ。まだ方向しか検知できずとも、何れはその量(速さ)まで検知できるようになるのではないだろうか。となれば、音楽の波形に対応して、その波形に相当するベクトルの電子のみを通すような回路を付けてやれば、その波形以外の(結果として相殺されるはずの)電子は淘汰され、正に「ピュア」な音のみが出てくる、というわけだ。
もちろん、それができたからといって音の質が画期的に変わるわけではない。が、そこは趣味の世界。タダの電源ケーブルとスピーカーケーブルに何万円も掛ける輩が、今度は「マクスウェルの悪魔」オーディオ装置に何十万円掛けたとしても驚かない。そしてそれは、利益率の高い、良い商売になるだろう。

2017年8月1日火曜日

運動しないで・・・


深夜の通販番組などで、運動しないでも痩せられる!なんていう器具や下着などが多数売られているが、ときどきズッコケる説明が堂々と為されていることがある。

こういうものを見るとき自分が気をつけているのは、論理的に、統計学的に、納得できるものかどうか、ということだ。それには商品知識自体は必ずしも必要ない。体の構造と、論理学と統計学の基礎が分かっていればよい。以下に考えてみる。

原理的に考えて、食事制限をしない(普段と同じ)場合、直接運動をしてカロリーを消費するか、基礎代謝を上げて消費するかをしなければ収支が合わない。市販されている全ての機器は食事制限を要求していないから、「運動をしている」「基礎代謝を上げている」のどちらかが為されていなければならない。

だが、例えばジョギングを1時間してもケーキ1個分程度しか消費しない。しかし、それで基礎代謝が上がり、体温が1℃上がった場合、1日でケーキ10個分ものカロリーを消費する。つまり、運動するのは「カロリーを消費する」ためではなく、基礎代謝を上げるためだ。ではどの程度の運動が必要かというと、運動する場合のシェイプアップの基準として、「週2~3回、1回当たり30分以上の軽く息があがる程度の有酸素運動」を基準として、そこから大きく逸脱していない必要がある。

また、もし運動をせずとも基礎代謝が上がるのなら、そういう方法も考えられる。この代表例は加圧トレーニングだ。筋肉を酸素不足の状態にして成長ホルモンを大量に出させ、結果として筋肉が太くなり基礎代謝が上がる。量的議論はともかく、理屈は通っている。但しこれは運動を全くしていないわけではなく、少しの運動で大きな効果を狙うもので、実際のところ少しの運動でも大いに疲れる。

ここで、基礎代謝と代謝の違いに注意する必要がある。体を温めることで代謝を促すダイエットに、長湯やホッカイロダイエットなどがあるが、これらはその「暖めている時間」のみ代謝が上がり、その後は元に戻ってしまう。代謝が上がっている時間はカロリーを消費するが、その程度は体温1℃毎に基礎代謝の13%と言われている。基礎代謝1400kcalの女性なら182kcalだが、これは1日での消費なので、例えば風呂に1時間入って体温を1℃上げたとしても、その消費は9kcalにしかならない。

以上を一言で整理すると、「基礎代謝が上がるほどの量の運動をしたことになっているか」というのが判断基準になる。機器の種類毎にこれを見ていこう。
  1. EMS
    1. 神経を騙して筋肉が自ら動いているので、運動していると言える。
    2. 部分的には激しく動いているので、筋繊維を切断していることは考えられる。筋繊維を切断すると、再生時に繊維が太くなり、基礎代謝を上げる。これは、やった人が初日に筋肉痛になった、などのレポートがあることからも確かに思える。
    3. だが、別途検討している通り、当てたところしか動かないので、その量は全く不足だ。
  2. 揉み解しマシン
    1. 動いてはいるが、筋肉が自ら動いているわけではないので運動しているとは言えない。
    2. 激しい運動で筋繊維を切断している可能性はあるが、当たっているところにしか効かないのはEMSと同じだ。
  3. 金魚運動マシンや振動マシン
    1. 体が強制的に動いているだけだが、動きに合わせて自分も体のバランスを調整しているため、運動していると言える。
    2. 全身が激しく揺れるため、筋繊維を切断するような動きになっている可能性がある。その量も、全身に影響しているため、充分である可能性がある。どちらかと言えば振動マシンの方が運動量が多いように見える。金魚運動マシンでは激しさが足りないかもしれない。
  4. シェイプアップパンツ
    1. ただ締め付けるだけではなく、体の自然な動きを阻害しているため、その分普段の動きの抵抗が増し、運動していると言える。
    2. 運動代謝は全代謝の20%、基礎代謝は70%、その他が10%ということなので、基礎代謝が1400kcalの人の運動代謝は400kcalということになる。効率低下分を10%とすると、追加で得られるエネルギー消費は40kcal。ジョギング1時間当たりのエネルギー消費は350kcalだから、7分ジョギングをすれば間に合う。つまり量的に全く足りない。
    3. 動きが普段のままなので、(追加での)筋繊維の切断は生じない。
  5. 超音波マシン、ラジオ波マシン
    1. 筋肉の運動には貢献しない。どちらも体温が上がるポテンシャルはあるため、その部分が、当てている間だけ、温度が上がる分「(基礎代謝ではない)代謝」が上がる可能性はある。
    2. 体温が上がるのは体の中のホンの一部だ。体温が1℃上昇、体温が上がっている体積を全体積の1/100、時間を20分で計算すると、1400×0.13×0.01×20÷60÷24=0.025kcalとなり、殆ど意味がない。
    3. ラードが融けるデモには意味がない。体内の脂肪分は体温で既に液体である。牛や豚の脂を食べたとしても、消化器で分解され体内で再構築されるので、体の中の脂が(体温より低い常温では固体の)ラードのようになっている訳ではない。温度が上がれば粘度が下がるということはあるだろうが、だからと言ってそれが流れ出ていってどこに行くかといえば同じ体内である。消費されるわけではない。
    4. ラジオ波の周波数は1MHzくらいが相場のようだ。電子レンジの周波数は2GHz前後だが、その周波数は2千倍違う。電磁波のエネルギーは周波数に比例するから、同じ効果を挙げるには二千倍の出力が必要ということだ。例えば500Wの電子レンジに相当するエネルギーを得るには1,000,000Wが必要ということになる。
    5. 一方で、単三アルカリ電池1本の容量は、1.5Whくらいだ。つまり1.5Wで1時間動かせることになる。単三アルカリ電池3本で1時間動かせる機械の出力は、4.5W以上には原理的になり得ない。これは電子レンジの1/200,000の効果、ということになる。
    6. 使い捨てカイロの発熱量は12kcalで、これは14Whになる。基礎代謝でなく代謝を上げる目的なら、ホッカイロを脇に挟む方がずっと簡単で効果的だ、ということになる。
    7. 体をほんの少し暖める程度のエネルギーしかないので、筋繊維を切断するほどのエネルギーが発生するとは考えにくい。また、もしそうなら、その結果として筋肉痛が起きるはずが、そのような話は聞いたことがない。
  6. キャビテーション
    1. 結局超音波なので超音波マシンと一緒だ。
 また、これらの機器には決まって、被験者が驚きの効果を挙げたことが唄われる。わずか4週間でマイナス何cm!などだ。

これには、統計学的な視点からの反証可能性がない、ということを指摘したい。つまり、①被験者の数が統計学的に有意な数だけ居たのか、②比較対象として何もしない人、あるいは別の(効果のない)やり方でやった人が同じ人数だけ居たのか、③恣意が入らない状態で行われたのか、だ。

①がなければたまたまかもしれない。②がなければ心理的効果(意識せずとも頑張ってしまう、よく見せようと見栄を張ってしまう、プラセボ効果)が排除できない。③は大量に募集しておいて成功した人だけ見せる、などが可能である。まあ当然だが、どれか一つでもマトモにクリアしたものは見たことがない。

結論として、(意外にも?)振動マシンのみが可能性として残った。まあ、エンタテイメントとして見ていれば害はないので好きでよく見ていたのだが、知り合いに相談を受ける事態となって、ちょっと慌てて考えをまとめてみた次第である。

2017年7月31日月曜日

ノンアルコールビール


少し前に、職場で休憩時間にノンアルコールビールを飲んで上長に咎められた、という話が議論を呼んだことがあった。その際、殆どが否定的な意見だったのだが、中には「なぜダメなのか分からない」という意見もあった。これはちょっと興味をそそられた。

そもそも、海外では昼食時に飲酒することを特に咎めていないケースもある中、更にノンアルコール(最近では1%以下などではなく0.0%のものもある)で何故ダメなのか。否定派の中には単純に「非常識」で片付けてしまう人も居たのだが、もう少し突っ込んで考えてみると、問題の本質が見えてくる。

それは、「従来は単純な選択肢だったものが、時代と共に新しい選択肢が出てきたために混乱している」という図だ。他の例を挙げるなら、トランスジェンダーの問題が代表的だろう。

女子大にトランスジェンダー女子(体は男)が入学することは許されるのか、また女子トイレに入ることや女性限定サービスに参加すること、女性専用車両に乗ることはどうなのか。従来は問答無用でダメだったところ、トランスジェンダーに関する意識は国際的にも日本国内でも大きく変化している。

そこで改めて考えるのが、女性とは何なのか、あるいはなぜそのサービスは女性向けなのか、ということだ。そうすれば、精神性に関する部分は許されるべきで、肉体(特に性器)に関わる部分は更なる場合分け(性転換手術の有無、程度など)が必要、などと考えを進めることができる。

ではノンアルコールビールの場合はどうなのかと言えば、「非常識」というのを分解すると、日本文化では仕事が終わるまで酒を飲まないのが常識だ、というところがまず原点になる。なぜ海外では許されて日本では許されないのかと言えば、日本では仕事終わりに飲みに行って大いに羽目を外す習慣があったからだ。つまり「酒を飲む=仕事は終わり、羽目を外してよい」とうのが日本の「常識」だった、と考えられる。

これは一方で、酒は嗜み、嗜好品、酔うまでは飲まない、味や香りを楽しむもの、適度にリラックスして仕事の活力にする、という飲み方があることを否定している。大いに飲むなら当然思考力は低下し、仕事に支障を来たすだろう。だが、そうなれば当然本人の責任なのだし、その程度は個人差がある。そこで一律に縛ってよいものかどうか。

これには日本、日本人のもう一つの特性が観察できる。海外では、飲酒運転をまず車の挙動から判断し、怪しいとなれば追跡して止めて調べるが、日本では検問で全車両を止めて一律に検査する。また、建築許可などでも、シミュレーションや実地検査ではなく、設計段階で事前に決めた基準に沿っているかどうかでチェックされる。逆に、できたものが実質どうなっているかは検査されない。

つまり日本人は本質的に、結果を問うのではなく、過程を問う人種なのだと言えるのではないだろうか。嗜む人がいることは無視して、少しでも飲もうとする人は(酔っ払って仕事に支障を来たす『可能性が高い』から)ダメ、という発想だ。そうであれば、ノンアルコールビールでも「紛らわしいからダメ」というロジックが通じてしまう。

これを演繹と帰納に当てはめて考えるなら、日本風は演繹でありヨーロッパは帰納と考えられる。演繹の最大の欠点は、過程の誰(どこ)に責任があるかが曖昧(にできる)ところで、よく「責任者不在」などと言われる。建築でよく起こる瑕疵や書類偽造、列車脱線事故、築地移転など、結局責任元が曖昧で当事者が損をする理不尽は事件は後を絶たない。

過程さえ正しければ結果が悪くてもよい、というのは、日本の伝統のようだ。一連の議論の中で、「仕事で結果を出せば文句ないだろう」という意見が一つも出なかった(見かけなかった)のも、そういった日本人の特性を反映しているのかもしれない。

2017年7月25日火曜日

飲まず食わず


80年近く飲まず食わず インド苦行者 医師らを仰天させる

もちろん胡散臭い類の話であり、完全に信じているわけではないが、もしこれが事実だとしたらどういった原理になっているのだろう。それを考えるのは面白い。

指摘の多くは、エネルギー保存の法則に反することと水の問題だと思う。曰く、
  1. 動くこと、体温を維持することにエネルギーが消費されるので、どこからか同等のエネルギーが供給されなければおかしい。
  2. 体表から水分が蒸発するので、その分の水の補給がなされなければおかしい。
食べ物はおろか水も摂らず、また排泄もしないというのはなかなかにして究極だ。興味深い。

まず、水から考えてみる。排泄がないとすると、体から出て行く水分は、体表からの蒸散及び呼気に含まれる水蒸気だ。

http://mizuiku.suntory.jp/kids/study/n005.html

によると、皮膚からの蒸発で600ml、呼吸で400mlが出ていく、となっている(汗は含まない)。 ここで単純に考えると、どこかで1000mlの補充が必要になるはずだ。次にエネルギーだが、成人男性で2000kcalとして、このエネルギーの補充が必要になる。

この問題を考えるに、方向性は二つある。一つは、それらの必要量を、この人の外部的観察事象から合理的である範囲で減らすこと。もう一つは、それでもゼロにはならないだろうから、通常とは異なる方法で補給しているはずだ。それが何かを推測することである。
まず、この人は食事はしないので、消化器は機能していないと考えられる。かつてはもちろん使っていただろうが、退化しているだろう。すると、この分のエネルギーは不要であるはずだ。一方で、呼吸、筋肉、体液循環はサボれない。

また、呼気や皮膚からの水の蒸散は、体温を低下させる効果がある。汗も含め、体内で熱を作り、体表や呼気で冷やすことで体温を保っているわけだ。だが、もし体内の熱生産が極めて合理的なら、その熱生産は僅かであり、即ち気温と体温との差に毛が生えた程度のものであるかもしれない。場所がインドであれば相応に暑いだろうから、その差は小さいはずだ。となれば体表や呼気からの発散も少なくてよいことになる。

この二つから、成人男性で必要なカロリー2000kcalを、半分程度に見積もることはできるだろう。

多く出ている仮説の中に、体表から空気中の水分を取り込めるのではないか、というものがある。だが、空気中から1000mlないしはそれに近い量を取り込むのは不可能だ。一日中大風の中にいる必要がある。また記事にないものに、水浴びや風呂についてどうしているか、がある。つまり、風呂に入る時に体表から水分を吸収する、あるいは尻の穴から水を吸い込むということも考えられる。一日の必要量が(皮膚からの蒸散が少ないと仮定して)数100mlで済むのなら、このどちらかないしは両方を使って水を補充することは十分に可能だ。

問題はやはりエネルギーである。考え方は三通りあり、まず食べ物以外のエネルギーを吸収しているのではないか、というもの。次は、通常の食べ物ではないものを実は食べているのではないか、というもの。三つ目は、体内で作り出しているのではないか、というものだ。

第一の候補は太陽、風、空気熱、電磁波、などだが、このうち1000kCal程度のエネルギーを持ちうるのは太陽だけだ。しかし実験では病院に入院していたというから、それほど直射日光を浴びているわけではないだろう。

第二の候補は土、昆虫(飛翔しているものなど)、空気中のゴミ(カビ粒子やフケの類)、などが考えられるが、これも入院の事実と合わないし、もしあったとしても相当の量が必要なので考えにくい。となると、第三の考えしかない。また、体内の元素レベルの収支で考えてみても、これは辻褄が合う。これを少し説明しておく。

例えば呼吸は、酸素を吸って二酸化炭素を吐き出すわけだが、これはつまり炭素が体内から出て行くことを意味する。炭素が体内から出て行っては収支が合わない。この収支を合わせるには、動脈と静脈の成分変化を考える必要がある。

ここには、大きくは三つの器官が絡んでいる。肺、腎臓、腸だ。食べ物の栄養を腸が吸収して血液に取り込み、これが細胞で消費(化学変化)されて老廃物が腎臓で漉されて小便になる一方、炭素は肺を通じて呼吸として排泄される。この人は排尿排便をしないので、老廃物は全て何らかの還元を受けていることになる。

体内の代謝はあまりに複雑で、個別に追いかけるのは不可能に近い。だが、元素レベルでの収支を考えるなら、老廃物として小便の尿素やアンモニアと呼吸の二酸化炭素を分解できれば、かなりの説明が可能になる。

体に必要な栄養素は多数あれど、その殆どは酸素、水素、炭素、窒素の組み合わせだ。つまり、ある組み合わせで入ってきたものを別の組み合わせにして出しているだけで、元素の総量で見れば変わらない。だから、体から出て行く組み合わせを体に入っていく組み合わせに変化させられれば、何も出て行くものはなく、体を維持できる。そしてこれを担ってきたのは、植物や微生物などを含め、他の生物の役割だったわけだ。つまり、そのための「回路」は自然界に既に存在している。

だから、その回路が体内にあれば、少なくとも元素レベルでの収支は合うわけだ。だがその「回路」を動かすにはエネルギーが必要で、その代表は太陽光だ。回路は当然光合成回路である。

先ほど、太陽光は望み薄だと言った。だが、回路が光合成回路でなければ別のエネルギー形態でも問題ないはずだ。そこで他の可能性を考えてみると、「質量変換」という奥の手を思いついた。

E=mc2 、という式を見たことがあるだろう。物質からエネルギーを直接取り出すことができるなら、ごく少量の物質でも充分だ。質量 1 kg をエネルギーに変換するとおおよそ9×1016 Jと等価、1J=0.239calということだから、100ngで2000kcalになる。この程度体重が減っても誰も気付くまい。
ということで、結論。この人は、
  1. シャワーや風呂などの際に、皮膚ないしは尻の穴から、1日1リットル程度の水を吸収している。
  2. 体内に質量変換回路を持ち、細胞老廃物を全てそのエネルギーで再生している。
  3. 実は呼吸はしているが二酸化炭素は吐き出していない。
ということになる。前者はともかく、後者は画期的だ。もし解明できたら、世界中のエネルギー危機と食糧問題、貧富の差についても一気に解決できる。
無論、冗談である。

2017年7月22日土曜日

学校で学ぶべきこと


https://www.lifehacker.jp/2017/06/170607_startup_accelerator.html

米国で、「スタートアップアクセラレーター」なるシステムが急増しているらしい。

スタートアップで学ぶべき技術や制度、メンターとの出会いなどは、確かに起業では重要だけれども、広い意味で人生には重要なものではないかと思う。このため、起業学として体系的に学ぶことは行ってもよいのではないだろうか。それも一般教養として、だ。

学校で教えるべき教科が時代と共に変わらないというのはむしろ不自然だ。昔と比べて単純な生活自体に必要な知識が増えている現代のこと、何を教えるべきかは変わっていって良い。では今、何を学ぶべきか。
  • いじめや詐欺など身近な犯罪について(提案済)
  • 防災(非常食、避難ルート、災害の種類、サバイバル術)
  • 身近な法律・マナー、交渉術(土地、相続、子供、補助控除、騒音公害、自治会など)
  • 広告の仕組み(ポイントプログラム、虚偽広告とそうでないものの違い、心理学的誘導、マーケティング)
  • 起業、ビジネスモデル、ディベート
  • ストレス・依存症(ギャンブル、宝くじ、収集癖、麻薬、ストーカー)
  • 差別(同和、外国人、ヘイトスピーチ)
  • 国際関係(領土問題、領土領海経済水域、資源問題、宗教、軍事力、思想)
  • 金融(金融商品、生涯賃金、保険、年金、投資、健康保険)
  • 高齢化社会(介護保険、介護、年金、労働者人口)
  • 政治(選挙区、マニュフェスト、政党)
  • 経済(コングロマリット、独占禁止法、コンプライアンス、石油、財団)
  • 地球環境(温暖化、資源枯渇、南北問題)
  • トンデモ学(オカルト、放射脳、霊、宇宙人、血液型占い、予言、買ってはいけない、心理学)
  • 社会悪(新興宗教、暴力団、麻薬、武器商人、悪徳警官、悪徳役人)
  • 集団心理学(新興宗教や為政者に騙されないために)
  • 情報機器(スマホ、ウィルス、ランサムウェア)
  • 論理的思考法
なんだか整理されていないが、まだまだありそうな気がする。また、小学校だけでは納まりそうにない。中学校でも少し厳しいものもある。でも高校になると義務教育ではないから難しい。このギャップ、何とかならないだろうか。

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