2017年6月30日金曜日

AIによる交通手段連携



ゆりかもめは最初から無人だが、ロボットカーによるタクシーやドローン、トラック、バスなどが出てくることによって、交通機関同士の連携が起きるのではないか。つまり、「乗り換え案内」が案内だけでなく実地で行われるような世界、あるいはそれを前提とした物流・人流網が形成されるのではないか。
その形態は大きく分けて二つ考えられる。一つは、ロボットカーを前提として「乗り換え案内」を再構築することだ。恐らくは今のタクシーより安くなるだろうから、少し離れた駅の間をタクシーで繋ぐ、またそのタクシーをあらかじめ呼んでおく前提で、乗り換え案内を考えるものだ。電車が並行して走っているがその間がない、というような区間は、都心でも幾つか存在するから、それをカバーすることで選択肢が広がる、というわけだ。
もう一つは、アクシデントや混雑の緩和を目的に、既存の交通機関が乗換えを提案するものだ。予想外の混雑や渋滞、運休などが発生した時に、類似のバスや電車だけでなく、ロボットカーを呼んで提供する。更にはトラックが臨時に助手席を貸したり、物流・人流兼用ロボットカーが開発されたり、Uberに非常召集を掛けたり、というようなこともできるだろう。
これは飛行機のオーバーブックにおけるボランティアのようなもので、乗り換えや多少の遅延を許容する代わりに金額面での優遇をすればよい。指定ソフトをインストールしておいて、混雑時等にポップアップが出て、同意ボタンを押せば後はソフトに従う。もちろん指示に従いさえすれば乗車は保証されるため、長時間立って並ぶ必要はなく、呼ばれるまでどこかで座って待っていればよい。
どうせ遅延時に無料で振替しているのが現状だから、金額的な折り合いはつけやすいと思う。問題はそのAIの精度だが、こればかりは試してみるしかない。
これが常態化することで、交通機関同士は競合よりも連携に走ることになる。無理なダイヤを組んで、事故や大幅な遅延を度々起こすよりは、始めからこの仕組みを前提として全体最適化をする方が、最終的には効率的だ。後は運賃の融通だけ考えれば良いが、これもAIが自動的にしてくれることだろう。

2017年6月29日木曜日

デジタルお城


以前の投稿「メイドロボットと家の変化」で、家電など家の構造が変化する可能性を考えた。これをもっと突き詰めると、「お城」の概念が見えてくるのではないか。
家の人は王族で、メイドは従者だ。両者が住む世界は違い、同じ城の中でもメイドだけの居る所は狭く、醜い。家は城のように広くはないけれども、もし家事を全てメイドロボットが行う前提なら、裏方作業をする場所が明確に分かれ、リビングからは隠されるようになるのではないか。
例えばタンス、洗濯機、物干し、台所、ストッカー他物置とメイドロボットの常駐場所として一部屋が割り当てられ、その部屋はメイドロボットのみ出入りする、という図式だ。都度必要になるものは逐次メイドロボットが補充・交換するので、リビング、寝室、トイレ風呂などにおけるモノを置くスペースは大胆になくなり、広々とする。バルコニーからも物干し竿が消え、単純に趣味や娯楽に使うことができる。
その代わり、メイドロボットの部屋は狭く(汚くはないだろうが視覚的には)醜い。皿洗い用のシンクと洗濯漕が兼用になっていたり、ストッカーは服と食材で同じものが使われていたり、人が通れないほど狭かったり、常にうるさかったり、換気が強く冷暖房がない、などは考えられる。
また、その一部屋は意外と大きくとる必要があるかもしれない。特に、モノの量には制限が掛けられ、勝手にモノを買ってはいけない、なんてことになるかもしれない。一方で、生活家電の多くは不要になり、買ったものは放置せず効率よく使い倒されるので、必要なモノの量は減る。その過程でどちらがより効いてくるかは見ものだ。
何れにしても、家事や片付け、留守番まで含めて全てをしなくてよい生活が得られるのであれば、例えばロボットに家の半分を占有され、リース費用が月3万円だったとしても、大きな魅力になる。飛ぶように売れることだろう。

2017年6月28日水曜日

他言語を学ばなくてもいい日は来るか


「他言語を学ばなくてもいい日」は来ない。言語と機械翻訳を改めて考えてみる | 人間編
「同|アルゴリズム偏

機械翻訳ではなく人間による翻訳の話ではあるが、以前似たような意見を聞いたことがある。意見に至る個別の説明には概ね賛同するが、そのときも今回も、「それって程度問題では?」と思った。以前の「AI寿司職人は美味い寿司を握れるか」とはまた違った違和感だ。

その中身を読んでみると、結局は「お互いの文化を理解していないと完璧な翻訳はできない」ということになるのだけれど、それは「自国語においてさえも不可能」との記述がある。これでは「完璧ではない、だからダメ」つまり程度問題(量的議論)ができない状態になってしまっている。命題をそんな極端なところに定義しておいて「来ない」と言われても、そりゃあ当たり前でしょ、となる。

そもそも翻訳とは、相手の言語を知らないから必要になるものだが、(自分と)相手の文化だけは完璧に知っていて言語は知らない人、なんて人はいない。当然ながら文化も知らないだろう、という前提で、その文化の違いを翻訳に的確に反映することがどれだけできるか、が焦点になるべきだ。

文化の微妙な違いをシビアに伝える必要がある場面とは、恐らくは芸術や文学だろう。映画なども含まれるかもしれない。そこでダルい翻訳をされると、更にそれが重要な場面だったりすると、全体への印象も変わってしまう可能性がある。それは分かる。

だが、その場面は、全体の分量からすればごく僅かだ。そしてその違い自体も無限に存在するものではない。また、人間が学習することが可能なら、機械が学習できない理由はない。機械翻訳のレベルは上がっていき、不足する部分やその不足度合いは日々減っていく。それのレベル向上が止まる理由はない。

これにはもう一つの視点がある。お互いの言語(文化)を「学ぶ」とは言っても、その知識程度には当然段階も限度もある。機械が完璧ではないとは言っても、その人にとって自分より機械の方が知識程度が高ければ、そしてその人より機械の方が学習速度が速ければ、その人にとって「学ぶ」意味はないことになる。そして「その人」(多くは職業翻訳家だろうが)の大部分を機械が超えてしまえば、学ぶ必要のない人は殆ど全て、となることになる。

更に指摘しておきたいのは、一定以上の翻訳の質を越えることができれば、そういった微妙なニュアンスについて、人間同士が翻訳を通じて、あるいは人間とAIが、議論できるようになるだろう、ということだ。それは、翻訳者が外国の文化を理解する過程で経験することと同じことであって、筆者の指摘する(微妙な)「文化の違い」そのものである。そしてその議論をすること自体が機械学習を更に鍛え、結果に反映できることになる。

これは結局、「機械翻訳が人間の翻訳を超える日は来るか」という命題に置き換えられるべきものではないだろうか。こう考えれば、既に一部において機械翻訳は人間の翻訳を超えた。「量」「スピード」という観点で、だ。質についても上の通り、いつか越える日は来る、しかも人間の翻訳を遥かに超えることすらあり得る、と考える。

確かに、趣味でそうする人や言語学者の人数がゼロになる日が来るとは思わないが、大部分の人にとって必要ないならば、その日は「来る」と言っても差し支えないのでは、と思う。

2017年6月27日火曜日

CIP体系化提案


食の服部先生が食育を推進していることは割と有名だと思う。他にも、社会に出るために必要な知識というのは主要5教科以外にも多数あると思うのだが、多くは無視され、あるいは家庭の役割だと思われている節がある。勿論全てを学校で教えよとは言わないけれども、それを体系立てて纏めるくらいのことはしてくれても良いのに、とも思う。
その一例として、身近なところで犯罪に遭わない、ないしは無自覚に犯罪を犯してしまわないためにも、世の中にはどんなことが犯罪とされるのか、また特に詐欺に遭わないための基礎知識というのは、どんどん教えるべきだと思う。これらは網羅性が肝心であり、親とても自分の子供に網羅的に教え切れているかどうかは自信がないのではないか。そういう意味でも体系は必要だ。
事故や自然災害、自殺防止、差別(いじめ)についても同様の知識体系が必要だろう。ある意味、国語算数理科社会よりも重要な知識ではないだろうか。これを纏めて一言でいう適当な言葉がないものだろうか。そこで、こんなものを考えてみた。Crime and Incident Prevention、略してCIP、ないしはCI防止学。体系としては、こんなものだ。
  1. 自然災害から身を守ること
  2. 事故(加害者・被害者にならないために)
  3. 犯罪・準犯罪(加害者・被害者にならないために)
  4. 戦争/テロから身を守ること
  5. 継続的な知識の更新について
中身は、各々の定義、種類、原因、対策法、国や地域による特徴、などで概ね統一できるだろう。これを15分、30回程度の映像コンテンツとして作り、無償配布する。これなら最悪自宅でも学習できる。カネさえあれば直ぐに作れそうな気もするが、自治体や学校で検討してみては如何だろうか。

2017年6月26日月曜日

WiFi行動検知


現在のホームセキュリティは、ドアの開閉センサが主流だった。これには必ず電池と見た目の問題が付きまとう。屋内カメラという手もあるが、これにはプライバシーと設置位置の制約の問題がある。これに対し、電波で大まかな人の動きを検知するという策がある。
先日のニュースで、
というのがあった。これ自体はまだ使い物にならないのだが、防犯という観点で言うなら、「居てはいけない空間に人がいる」ことだけが分かればよいので、動き(変化)を検知できればよい。そこで、こんなものを考えてみる。
導入する装置は、WiFiの発信機と受信機だ。見た目は市販のWiFiルータと何も変わらない。これを、家の端に置く。多くの家は四角形だから、発信機を一つ、受信機を三つ、また2階以上なら各階に同様に設置する。小さい家なら対角線上に発信機一つ、受信機一つでもよい。
発信機には、ビームフォーミングの機能を入れておく。これにより、ペアリングした受信機に対して各々フォーミングを行うが、この際、左右各々の角度の間を定期的にスキャンする、いわゆるレーダーのようなフォーミングをするようにする。単純に、回転するようにしてもよい。
室内に人がいないとき、その電波強度は安定しているので、どの受信機においても一定の振幅を描くことになる。これに対し人が入ってくると、その動きに従って電波強度が変化する。これを侵入として検知する。もし屋内にペットが居たとしたらやはり変化するだろうから、閾値は都度調節できるようにする。これにより、ドアセンサや屋内カメラを一切使わずとも全室を監視できる。
ドアセンサやカメラに対し、そのままでは精度が落ちるため、感度や閾値の自動調整、動きのパターンをAIで学習するなどの措置が必要になるだろう。また、これだけでカメラが不要になるとまでは言い切れないが、少なくとも適材適所の新たな選択肢にはなるはずだ。

2017年6月25日日曜日

AI秘書


別稿「生きていくための知識の量」で、時代と共に生きていくために必要な知識の量が増えていく、という話をした。このまま行けば、何れは人のキャパシティを越えてしまい、立ち行かなくなる。だが一方でそんなはずはない、人が生きていくための知識の量なのだから、とも思える。その落としどころは、個人のキャパシティを越えた部分については機械(AIなど)に頼る、というものになるのではないか。
一人ひとりに優秀な秘書がついているようなもので、例えば国や自治体が出している補助金や助成の類がくまなく使われる、小手先の詐欺に引っかかりにくくなる、中小企業の経営が安定する、といった社会が想像できる。これは総じて言うと、平均化される、特に極端な失敗が減ることを意味している。
そして、これに人が頼るようになると、今まで何とか人の頭の中にあった知識までもがAI側で担保されるので、そもそも覚えておく必要がなくなる。つまり、知識自体の総量は増えたとしても、人間が「覚えておくべき」知識の量は、人類史上初めて減ることになる。
こうなると、色々と社会構造の変化が想像できる。
  1. この時代では、知識が多いことがステータスではなく、知識の使いこなしの賢さがステータスになる。これは、例えば大企業の社長のように、要点だけは理解して専門家たる部下を使いこなす感覚だろうと思われる。このため、ある程度の学問は必要であるし、それも専門家ではなくゼネラリストの才能が必要になる。
  2. 人間同士の対峙においてもAIの補助が入るから、これは人間をも平均化する。例えばコミュニケーション能力や問題解決能力、想像力、創造力といった類だろうか。
    1. これは基本的に「底上げ」として働くため、貧富の差を圧縮したり、底辺犯罪の類を減らす効果がある。
    2. 突出した人財は出にくくなる。これにより、突出してヒットを飛ばす企業も減る。
    3. 学校で教わる内容が、勉学から、こういった能力の育成に変わる。
  3. あらゆる場面で社会的ルールからの逸脱が減るため、社会全体の効率は向上する。締切を守る、ウソをつかないなど。
  4. 最先端の知識を持つ技術者や科学者は強力な武器を得て、発明発見新製品の類は加速する。
    1. 但し、知的所有権の類の価値は低下する。回避策の向上や類似品の多発、興味の多様化などにより。
    2. 実業を志す者と、発明発見を志す者とで、明確に進む道が分かれていく。恐らく、後者は前者に転換できるが、逆は困難になる。つまり後者の価値が高くなる。
  5. ブラック企業は減り、転職は容易になる。終身雇用が減り、起業が増える。
  6. 政治家はやりにくくなる。世論の操作が難しくなるからだ。ただ衆愚にはなりにくい。
  7. 無差別なサイバー犯罪は減り、ターゲット型が主流になる。また大規模なものは起こりにくくなる。
  8. 生産的でない仕事・趣味を生きがいとする人が増える。芸術、冒険、スポーツなど。
  9. AIを前提として省略されるものが増えてくる。商品の取説、交通標識、契約書など。
  10. コンピュータ障害が起きたときのダメージが大きくなる。
  11. 教育格差が減り、貧困の世襲化が起きにくくなる。
いわゆる「偉い人」でも、態度が悪く腹の立つ人というのは多く居るものだが、AI秘書が誰にでも就く時代においては、偉い人は例外なくそれなりに尊敬できる人になる。まあ夢想というよりは願望に近いのかもしれないが、そんな世の中になって欲しい。

2017年6月24日土曜日

ベーシックインカムへの道


個人的な見解として、何れは世の中はベーシックインカムに流れていくだろうと思っている。だが一足飛びにそうなるとは思えない。どのような過程を経ていくのだろうか、というのは興味がある。
まず、生活保護か年金かを拡張する、というのが最初に考えられることだが、現在の日本ではベクトルが逆になっている。生活保護は増えているが、これは基準が変わっておらず貧困層が増えているだけで、年金の方は後退している。これが逆転することは、5年単位では困難だろう。
他の可能性として、各種控除や補助金・助成金の拡大が考えられる。今のままで進めば教育の無償化ないしは負担低減は見込みがある。つまり、子供を育てる家庭の補助強化、というのは見込みがあると言えるだろう。
そうなると、子供の補助が切れてから独り立ちができない(アダルトチルドレン)、失業中、定年から年金取得までの繋ぎ、というのが弱くなる。このうち失業保険と生活保護は関連性が深く、ここを一体に考えるような助成が出てくるのではないか。そしてここがベーシックインカムの取っ掛かりになるのではないか。
つまり、本当に仕事ができない人(慢性の病気など)は純粋な生活保護が必要だが、働けるのに働き口がない人の場合、生活保護相当の額との差額が国から得られるなら、求人の条件が緩和される。例えばマイナンバーで給与を自動で引っ掛けて差額を支給するような仕掛けができれば、働く者も働かせる側も嬉しいだろう。
こうすれば、「働けるのに生活保護の方が有利なので働かない」という層と合わせ、失業者は減り、生活も安定する。また、辛い職場で無理をする必要がないから、ブラック企業にとっても一定の歯止めになる。季節やイベントなどで労働量が変動する職業も安定する。
ここを突破口として、その条件を時代に合わせて徐々に修正していくことで、気がつくとこれがベーシックインカムだったんだ、となるような時代がくるのではないだろうか。
これに適当な名前をつけられたら良いのだが。これはコピーライターの仕事だろうか。名前によっては広く受け入れられそうな気がする。

2017年6月23日金曜日

テロ防止法


巷では共謀罪が話題だが、近視眼的な「根の悪い」方法だなあ、と思う。目先のテロを防ぐためには有用かもしれないが、長期的視点では最も悪手だ。

Wikipediaの「テロ」の項目にもあるけれども、一番根の良い方法は、弱者の支援だ。これを突き詰めると「世界皆中流化」である。クリントン氏の言っている方法でもまだ生ぬるい。世界の金持ち上位8人から全財産を奪って世界中に均等にばら撒く、くらいのことは必要だ。

この8人の資産合計4.26兆ドルを70億人にばら撒くと、609ドルになる。日本人からすると物凄く少ないように思うかもしれないが、人類の半数はこれで1年間生きられるのだ。そんなことをしてくれる人にテロを仕掛けたい、なんて思うはずがない。

そしてこれは、日々言われている「格差是正」そのものだ。この20年で日本も格差が広がったが、それは即ちテロの危険性が増したことを意味している。武器が小さくなっただの情報機器が発達しただのというのは本質的な話ではない。

テロは心の不満が起こす。だから、格差を放っておいてテロ防止法で締め付ける、なんてことは二重にテロを増長する。これは負のスパイラルであり、普通の人までをテロリストに育ててしまう。これを続けると、そのうち人類はテロリストと警察しか居なくなってしまうのではないか、とすら思う。

金持ち8人の話は極端にしても、難民救済や格差是正に関して、先進国家の取組みは余りにも貧弱だ。よほど大胆な策を取らなければ、お互いに殺しあうだけの世界に成り下がってしまうのではないか。

そこで考える、共謀罪に代わるテロ防止法の中身は、こうなる。
  • ソーシャルメディア等から(今回成立した)共謀罪相当の疑いが見つかった場合、ただ監視するのではなく、その旨を伝えた上で精神的・金銭的なケアを行う。
    • その主張が、社会的に見て理不尽なものであったとしても、精神的ケアは行う。
    • 恣意を避けるため、その疑いの程度はAIで自動判定する。
    • 生活保護条件に相当せずとも、相応の貧困が認められれば補助を行う。
  • 生活保護を、自治体ではなく国の責務として行う。つまり自治体はあくまで事務作業を代行するだけで、予算は国が持つ。
  • 生活保護レベル認定や処理は全て、申請に基づくのではなく国・自治体が自主的に行う。漏れがあった場合、不公平な判定などは国・自治体の責任を問う。
  • 生活保護下にあっても尚精神的安定がない場合は、同様のケアを行う。
  • 上記全てに関し、義務教育相当教育・職業訓練も含めた教育プログラムを用意する。無論、希望者は全員受けられるよう、充分な規模で提供する。
  • 制度上どうしようもない精神的不健康を是正するために、ケア要員は国内全ての法に関する改正の提案権限を持つ。
  • ケアが上手く行っているかどうかは常に評価し、ケア方法を持続的に改善する。
  • 以上を推進するケア要員育成・運用、生活保護他金銭的支援の原資として、「テロ防止税」を導入する。これは、極端な金持ち(例えば収入が二千万円以上)に限って徴収し、必要に応じて毎年調整する。法人も対象に含まれる。
尚、これは日本だけに適用できる。安易にヨーロッパやアメリカには拡大できない。というのは、事実上日本は殆ど難民を受け入れていないが、ヨーロッパやアメリカは大規模に受け入れているからだ。難民に同等の権利を認めてしまうと、必要な経費と人員は、日本とは桁違いに必要になってしまう。また、それを機に更に難民が増えてしまう懸念もある。難民を含めて同様のことを考えるとなると、やはり直ぐに名案は思いつかない。

2017年6月22日木曜日

CAS冷凍+フリーズドライ


フリーズドライには、戻したときに食材の食感が変わってしまう欠点があった。代表的には、豆腐が高野豆腐になってしまう。じゃがいもがスカスカになってしまう。葉物野菜はしなしなになってしまう。これらの欠点を、「CAS冷凍」によって補うことはできないか、と考えた。つまり、冷凍にはCAS冷凍を使い、その後フリーズドライにする。

実際にはやってみなければ分からないが、上手くすれば豆腐を高野豆腐にせず、絹は絹、木綿は木綿の食感のまま、戻すことができるかもしれない。だとすればこれは画期的だ。例えばサラダ、冷奴、茶碗蒸し、刺身、などがフリーズドライにできる。

こうなると、対応できない料理や食材は殆どなく、非常食としても保存食としてもランニングストックとしても、普段とほぼ変わらないものを提供できることになる。今まで豆腐のまとめ買いなどは考えられなかったわけだが、それが可能になるし、コストコで大量の肉を買ってきても、主婦仲間で小分けする必要もない。一人暮らしでもLサイズのピザを買って少し食べ、残りを取っておくこともできる。会社に持っていく弁当に刺身が入っている、何てことも夢ではない。

もちろん、自宅でやるのではなく、始めから業務用で作ってくれるというのはアリだろう。アマノフーズのフリーズドライ製品のラインナップに海鮮丼やコブサラダが並ぶというのも、あり得るのではないかと思う。

そうなると、以前の提案「自動調理冷凍冷蔵庫」の作りも変わってくる。ストックはフリーズドライでよいので、冷凍冷蔵の必要はない。水はどうせ鍋で混ぜるのだから、ディスペンサーのようなものがあればよい、ということになる。

また、自動調理でなく自分で作る場合でも、別途提案している「水蒸気暴露法」を使うことで、ドライのまま皿に盛り付けて、戻し器に入れて、最後に調味料を掛けて終わり、ということもできるようになるのではないか。

2017年6月21日水曜日

水蒸気暴露法


フリーズドライを水で戻すと、どうしても水の中に漬けることになるからべちゃべちゃになってしまう。これは嫌だ。そこで考えたのが、「水蒸気暴露法」だ。

まあ読んで字の如くなのだが、電子レンジのような機械に食材を入れてボタンを押す。すると中で水を沸かして庫内を湿度100%にして、庫内の空気を攪拌しながら気圧を摂動(上げたり下げたり)させる。こうすれば食材が水分を吸い取り、べちゃべちゃにならないで戻せるのではないか、と考えたわけだ。庫内の温度は上げすぎないようにし、取り出す前には湿度を下げてやる。こうすれば余計な液体の水はないまま取り出せるはずだ。

この戻し方が有効になるのは、水で戻すことで形が崩れる恐れがある場合や、戻す前の状態で水に触れることが不利な場合だ。例えば肉まんの下が濡れてぐちゃぐちゃになっているのは嫌だし、から揚げやフライの類もそうだろう。盛り付け済みの料理(ができたとして)を水に沈めたら盛り付けが崩れてしまう、なども考えられる。

原理的にはそれほど難しいことはないので、安価に作れるはずだ。

2017年6月20日火曜日

自宅用ロボットカー


以前の投稿「家族の自動車」で、リビング車と接続する「タンク車」というのを考えたのだが、これだけが先行して発達する可能性がある。
荷物やピザの配達にロボットカーを使う、という実験が幾つか始まっているが、ロボットカーが逆に家のもので、買いに行く、取りに行くといったことを全て一台で兼ねるようなことも考えられる。また、自宅用とは言っても自宅の資産である必要はなく、カーシェアリングのような都度レンタルで構わないはずだ。これで使えるようになるのは、
  • 朝、新聞を販売店まで取りに行って帰ってくる。
  • 新聞を置いたらその足で郵便局と宅配業者を巡回して帰ってくる。
  • ゴミ出しを行う。
  • ピザや出前を取りに行く。
  • クリーニングを出し、また取りに行く。
  • ネットスーパーやコンビニで注文を出しておいて、準備ができたら取りに行く。
  • 薬局へ薬を取りに行く。必要ならTV電話で薬剤師とつながる。
  • 学校に子供を迎えに行く。
  • 夕方にもう一回、郵便局と宅配業者を巡回する。
  • 上下水が通っていない地域で、処理場に下水を捨て、上水を貰って帰ってくる。
他にも色々考えられるだろう。上下水は外に出た専用の配管とつながるものとして、その他は玄関を加工して荷物の出し入れ口を作るようにすると良い。これなら自分の都合で受け取り等ができるため、自分にとっても店にとっても(留守回収がない、支払いが電子で確実)効率的だ。
上の例で「ゴミ出し」があるが、ロボットカーなら近所のゴミ置き場ではなく、地域の処理場まで直接持ち込める。これなら曜日や時間帯を気にする必要もないし、臭いもカラスも心配しなくてよい。また、全体としての輸送効率は高くなり、人の移動も減るため、交通量の減少に貢献する。家への訪問者も少なくなるため犯罪被害も減るだろう。
以前提案したドローンも類似のものだが、ロボットカーの方が多くモノを運べるし、規制も少ないだろう。こちらの方が早く達成できるかもしれない。

2017年6月19日月曜日

フリーズドライ料理の可能性


フリーズドライならではの料理を考えてみる。ここでは、従来の葉物野菜中心の製品ではなく、ある程度大きい具材が使えることを想定して考える。
  • いわゆる煮込み料理。
    • カレー、シチューなど。具材をスープで戻し、ルーは顆粒を湯で戻して混ぜる。
    • 肉じゃが、筑前煮、おでんなど。大きな具材でも、直ぐに味が染みる。
    • 煮魚。煮汁も顆粒にしたものが市販されるかもしれない。
  • 漬物。漬物液で戻すだけ。
  • 手作りハム、ソーセージ。漬け込み工程が省ける。燻製も、そのような液を作れば不要になるかもしれない。
  • スープ作り。これは逆で、フリーズドライにしておいたものを粉砕して水に投入して煮込むことにより味を出す。漬け込み液の作成にも使える。ハーブなど。
  • 生の(フリーズドライの)肉、魚を使った料理。カレー肉に生肉を使う、あるいは牛の叩きなど。乾燥により病原菌は死ぬので、気軽に生肉を食べられる。
  • 刺身。水戻し後の食感が大丈夫かどうかが心配だが、魚だけでなく肉でも、また加熱用素材でも一旦フリーズドライすれば使える。生牡蠣などでも安全。
  • カッターや糸鋸での切断、手で崩すことによる不定形なブロックの作成など。これは素材の新しい形を提供するものだ。また、包丁を使わないで調理できるので、衛生面での有利もある。
  • もっと極端な話、ミリングマシンで相当複雑な形を作ることも可能だ。ブロックのように組み合わせたり、薄くスライスして張り合わせたりできる。
  • スティック状に加工しておいて、食べ進むごとに味が変わる料理が作れる。フランス料理のフルコースとか三角食べとか、菓子にも良い。非常食や登山食にも面白い。
  • 乾燥状態ではフードプロセッサやミキサーで簡単に粉砕できるので、ポタージュなどのスープやソース、ジュース、スムージーなどが簡単に作れる。
  • いわゆる介護食を簡単に作る。粉砕しておいてゼラチン(これも粉)と混ぜて型に入れてから戻せばよい。粉砕の程度も、ゼラチンの混ぜ具合も、味付けも、自分の好みにできる。そこまで行かずとも、喉が腫れたときの流動食にも使える。
  • かまぼこや揚げ天など、練り物の自作。白身魚をフリーズドライして粉砕して作る。豆腐も可能だろう。
  • ハンバーグ、餃子、散らし寿司、パエリアなどの自作。粉砕せずとも、混ぜるのを乾燥状態で行うことで、作業がずっと楽になる。
  • 皮や茎など従来捨てていたものを惣菜用などに再利用する。クッキーに混ぜて栄養価を高める。あるいは粉砕して、草木の肥料にしたりペットの餌にしたりすることもできるし、生ゴミだったのを燃えるゴミにすることもできる。
業務用があれば、こんなことも考えられる。
  • コンビニで期限切れ寸前の食品をフリーズドライすれば、再度別の商品になる。
  • 食品加工業者が加工クズをフリーズドライして部位ごとに分ければ、健康食品の材料や家畜の飼料として有用だろう。ただ単に燃料にもなるはずだ。
  • ドギーバッグをフリーズドライにすれば、軽く、液漏れせずに持ち帰れる。また生ものなど、ドギーバッグにできなかったものも持ち帰れる。
  • 食材宅配サービスの素材として提供する。冷蔵が不要だから宅配ロッカーが使えるし、薄く作ればポストに投げ込める。また、週末に纏めて段ボールで送ってもらうこともできる。もちろん専用の配達員も不要だし、送料も安くできる。生ものも使える。
  • 食材ではなく完成した弁当にも同じように応用できる。制限食、非常食など。こちらは水戻しに工夫が必要かもしれない。
  • スーパーでは余りモノで小分けセットが簡単に作れるので、一人用の果物や惣菜などの品数が豊富になる。
  • 大量に仕入れてフリーズドライで保存することで、流通を安定させる。
  • 輸出や輸入に応用する。コンク(濃縮)ジュースよりもフリーズドライ粉末の方が軽く、環境条件も緩く、船便も使えるはずだ。
考えてみて思うのは、コスト計算が全然できていないこと、水戻しでどれだけ戻るのかが不明なことだ。実際にはこの全てが実現できるわけではないだろうが、例えばフリーズドライ弁当だけでもできれば、介護や制限食、新たな備蓄としては非常に有用だ。もっとフリーズドライ市場が活性化してほしいものだと思う。

2017年6月18日日曜日

フリーズドライ「肉」の輸入


https://www.amazon.com/dp/B00LBGOIWS/_encoding=UTF8?coliid=I3EOFJ8D6NCM2Q&colid=1RJCKPTOVRA2Q

以前の投稿「フリーズドライ肉魚」で、「野菜やフルーツはある程度できるのだが、肉魚の類は個人輸入がそもそもできない」と書いた。だが、先ほどAmazon.comを見てみると、上のように少なくともチキン胸肉とビーフの輸入が可能になっているようだ。

これを発売しているAugason Farmsは、その名の通り野菜が得意だったはずだが、今のラインナップはだいぶMountain Houseに近づき、肉、野菜、飲み物、卵、バター、ミルク、果物、小麦粉などの素材関係と、直ぐに食べられるパスタ、スープなどとかなり充実している。輸入不可のものもまだあるが、条件はだいぶ緩和されてきたように思う。

これらは#10缶、日本で言う1号缶で取り扱え、最大25年保管可能だから、防災用としてはうってつけだ。特に災害初期、初動が終わった1~2週間後から交通がおおむね回復するまでの間には、調理が必要なこれらの素材缶は重宝するはずだ。

まあそれでも「魚」はやはり無いのだけれど。

2017年6月17日土曜日

神を強く信じる国


神の存在証明」というページを読んでみたのだが、論理的な視点では読むに堪えない酷いものだ。だが、それが未だに生きている理由を考えてみると、人間は神の存在を本質的に信じたがっているから、という推測ができる。
人は、未知のものに対する恐怖を持っている。昔は単純に、夜の暗闇がそうだったろう。病気もそうだし、死も理解しがたいものだ。そういったものに心理的に対抗するためには、取れる方法は二つしかない。一つは、その未知を知に変える、つまり知らなかったことを知ること。もう一つは、未知であり且つ味方である存在、つまり神を信じることだ。
これから演繹していくと、未知のモノへの恐怖が強い人ほど神を信じやすい、また科学技術が発達して未知のものが少なくなっていくほど神を信じる人は減っていく、ということが推測できる。
上で「未知」と言ったが、これは必ずしも原理原則が分からないという意味ではない。クモの毒の原理は分かっていてもどこにいるか分からない、何時テロに会うか、戦争が勃発するか分からないといったことも「未知」の範囲になる。これらが確率論的にどうという説明がついたとしても、いざ自分の身に不幸が降りかかった時に「なぜ自分だけが」と思いがちなのが人間だ。ここにも神の登場する余地がある。実際に不幸にあった人が無神論から有神論に転換する、ということは、心理学的にあり得る。
さて、なぜ未知への恐怖が強い人と弱い人が出るのか。単純に過去に恐怖を経験した度合いが多ければこれはあり得ることだが、そうでなくても恐怖を増長する要因がある。それは単純に、人の恨みを買うようなことを多くしてきた、という負い目だ。
前者は単に怯え、後者は不必要に攻撃的になるはずだ。つまり、神を強く信じ、且つ攻撃的な人(国)は、他人(国)を虐待してきた人(国)である、と想像できる。これは一種のマッチポンプ(自業自得)なので、関わり合いにならないことが最も好ましいのだが、どうしても付き合わざるを得ない時には厄介ごとになりがちなので、注意が必要である。

2017年6月16日金曜日

家庭用フリーズドライ機再び


以前の投稿「家庭用フリーズドライ機」の続きである。

読者の方からのコメントで、家庭用フリーズドライ機は存在していることが分かった。

https://harvestright.com/product/small-freeze-dryer/

これがそうだ。現在のレートで25万円、サイズは電子レンジ2段重ねといったところだ。調べてみると、電子レンジが登場した当時は100万円なんてのもあったようだ。今は1万円を切る価格でも買えるから、今後の進展次第で家庭でもなんとか買えるようになる可能性はある。

低価格化を実現するには、1ガロン(約3.8リットル)という製造容量を1.5~2リットルにして、筐体を半分にするのがよい。ちょうど電子レンジと同じサイズになって、価格が10万円スタートなら何とか受け入れられそうだ。冷凍装置には以前も紹介したFPSCを使い、モーターを兼用して真空ポンプにしてはどうかと思う。

作った食べ物をどう保管するのか色々考えてみたのだが、家庭用真空パック器 真空パックん plusエージレスを組み合わせることが適切だと分かった。その理由は以下の通りだ。
フリーズドライしたものを長期保存するためには、酸素と湿気から守る必要がある。これにはただ袋に入れたり容器に保存するだけではダメで、密閉しなければならない。これには、真空パックをするのが最も簡単だ。だがこれにも考えるべきことがある。

まず、その袋自体に「ガスバリア性」が必要だ。ポリエチレンやビニールではこの「ガスバリア」性が弱く、たとえ口をしっかり閉じていても、袋自体を通じて徐々に酸素が侵入してくるため、例えば有名なジップロックは使えないらしい。ナイロンやアルミ蒸着がよいらしいのだが、アルミは逆にシーリングが難しく、家庭で使われるような安価な機器では使えない。結論としてはナイロン一択になる。

この手の真空パック用の袋はナイロンが使われているが、100%ナイロンではなく、多層の一部がそうなっているものが多い。このため、市販のものを何も見ずに使うのではなく、素材の表示を見て、ナイロンがしっかり使われているものを選べばよい。

もう一つの問題は、真空パックをすることは元々フリーズドライには向いていない、ということだ。食材自体に多数の空隙があるから、真空パックすると食材が潰れてしまうからだ。また、当然その空隙には空気(酸素)が入っているから、これが酸化の原因になってしまう。

そこで、緩く潰さないでシールするものとして、中の酸素を脱酸素剤で吸収するのが良いということになる。脱酸素剤として有名なエージレスの場合、Z-PKCのような「自力反応型」「低水分用」のものが必要になる。また、酸素吸収量は、隙間の空気の量を目分量で計算して、それを5で割り(酸素の量は空気の1/5)、更に数倍(余裕分)を掛けた量があればよい。多くの場合は最低のもので充分だろう。

除湿剤の必要性は微妙なところだ。あった方が良いが、長期保存に限る、といったところだろうか。脱酸素によって中の気体の量は20%減るので、その余裕を持ったシールが必要になる。

他に考えられる手法としては、中の空気を窒素ガスで置換することが考えられる。窒素ガススプレーは数百円で買える。簡易的にはコンマ何秒の噴出で充分だ。但し食材の空隙内までは瞬時に置換できるわけではないから、やはり脱酸素剤は必要だと思う。そう考えれば窒素ガススプレーの方が無駄だ。

真空パックんには、真空にせずにシールするモードもあるし、また、水戻しに対しても役に立つ。「マリネボタン」というものがあり、正にこれが水戻しにピッタリなのだ。これは、プラスチック容器に酢を満たして素材を入れ、蓋をして、蓋にホースを繋げて減圧するという仕掛けだ。素材がフリーズドライで周りが水なら、減圧と共に素材の空隙から気体が抜け、水が入る。これで水戻しの時間を大幅に短縮できる。

Small Freeze Dryerと真空パックんの組み合わせ、これは結構現実的な使い方だ。問題は、どれだけそれを魅力と感じるか、だ。

これはひとえにその利用シーンを想像し、また創造するに尽きる。電子レンジには「奥まで火を通す」「火を使わないので安全」「タイマーと出力などで管理でき簡単」などのメリットがある。だがフリーズドライ機は調理器具ではなく保存器具なので、冷蔵庫の代用ないしは補完を考えなければならない。また、フリーズドライすると、食品はかなり変容してしまう。これをどう扱うかを考えなければならない。以前にも色々提案しているが、肝になるのはどれだろうか。大まかに分類すると、
  1. 非常食として、あるいはランニングストックとして使用する。ある程度の長期保存を想定して、主に使うのは非常時。ランニングストックはあくまで入替をルーチン化してやりやすくするもの。
  2. 備蓄食材として使用する。ランニングストックと違い、副菜として例えば週末に多めに作っておいて、常に消費し続ける。
  3. 冷蔵庫、冷凍庫の補完として使用する。恐らく代替は無理。例えば多めに買ってしまい余った食材を保存する。あるいは、冷蔵庫を小さめにしておいて、その分を補完する。
  4. フリーズドライを応用した新しい料理や菓子のレシピを提案し、それを作るために使用する。ないしは、従来は買うしかなかった素材、例えば高野豆腐などを自宅で作れるようにする。
  5. キャンプや山登りでの食事に使用する。レトルトカレーではなく、フリーズドライ+お湯で作るなど。
  6. 同じく、日々の弁当に使用する。液だれがなく、軽い。
  7. 地球環境保護に貢献する。電力消費が冷蔵庫に対して少ない、期限切れの食料を無駄にしない、など。
この中で有効なのは2.と3.だろう。例えば味噌汁の具材だ。市販のものもあるけれども、家の好みもあるし、自分で下ごしらえすればいわゆる「手抜きの呵責」から逃れられる。また、生ものを大量に買うと痛んで無駄になるが、これを防ぐことができる。

また、3.の発展系として、積極的に使用することで買い物の間隔ないしは時間を広げ、余暇を別に活用する、ということが考えられる。日本ではまだ週末にドカ買いという習慣はあまり定着していないように思うが、その理由は家が小さいから巨大な冷凍冷蔵庫を置けない点にある。

今でも、惣菜一品を大量に作って小分けするというのを実践している人はいるが、その規模を拡大したり、時間軸を長くしたりすることができる。まとめ買い、まとめて作り小分けする、これは費用と時間の両方の節約になる。また、常温保管できるため、例えば期限順に並べ替える(「超」整理法的整理)ことができて無駄がおきない、棚からはみ出しても捨てなくてよい、などの利点もある。

問題なのは4.のレシピの少なさだ。楽天市場のフリーズドライ店舗を見ていると、どうもレパートリーは狭く、主菜として使いづらい。肉や魚がないからだ。自宅でできるのならこの問題は解決するので、まずはここを充実させてほしい。

2017年6月15日木曜日

倒産支援と起業支援


大銀行や大企業が倒産の危機にある時、国が救済するということはよくある。だが、中小企業で同じことがあるという話を聞いたことがない。影響が大きい云々というが、大企業が倒産して失職するのは高所得層であるし、銀行が一つ潰れたとしても他に銀行は幾つもあるのだから、あまり合理的な説明とは言えない気がする。
中小企業の倒産は難しい。借金がかさんだ時、倒産することで経営者が受ける影響は、大企業のそれとは性質が異なる。個人債務が認められているため、倒産イコール経営者の経済的破綻を意味することが殆どであるからだ。倒産すれば経営者は借金取りに追われる身となる。
本来なら、借金漬けの企業はさっさと倒産してチャラにした方が金回りは良くなるはずだ。そのためには、中小企業が気軽に倒産できるようになる必要がある。そのためには、経営者の個人債務を禁止することが適切な策だ。
また、別に議論があるベーシックインカムだが、起業家に対して適用してやれば、気軽に起業ができる。これで、起業家は給料ゼロでも働けるし、失敗しても命まで取られることはないから安心だ。
こんな制度はどうだろう。会社の規模が大きかろうが小さかろうが、経営者個人からの取立ては禁止となるため、倒産は早めに行うことになり、投資家の被害は少なく抑えられる。また、倒産した後には一般的には失業保険が支給されるが、起業する者に対しては失業保険ではなくベーシックインカムが支給される。一定期間内に起業できなかった場合、ベーシックインカムは停止される。これは失業保険と相関するタイムレンジでよいだろう。
ベーシックインカム下で起業する会社に関しては、通常とは異なる税法が適用され、経営者自身のベーシックインカムは収入として計上されるようにする。他、失業保険などもベーシックインカム前提で軽減ないしは適用外になる。ベーシックインカムからの会社への投資や貸金は禁止とする。経営者は何時でも税制を切り替えることができ、それと同時にベーシックインカムの支給は停止される。逆はできない。投資家側も、ベーシックインカムを選択できる。
まあ細かい調整は必要にしても、これで倒産と起業が促進される。これは結局、強い企業が正しく生き残ることになるから、市場全体は健全化し、且つ倒産した経営者の生活も相当に底上げされることになる。投資家にしても、起死回生の大博打を打つようなことはなくなるので、お互いに目が三角になるようなことはない。

2017年6月14日水曜日

代用肉の未来


映画「ソイレント・グリーン」では、人間の死体が食料にされていたわけだが、実際のところこれは効率が悪いことこの上ない。肉として使うならまだしも、ビスケットにするのであれば小麦の栽培の方がよい。
閑話休題。日本で今手に入る代用肉は、まだとても肉と呼べる代物ではない。一方で海外では、殆ど肉と区別がつかないようなものも出てきているという。実際に食べてみた訳ではないので何とも言えないが、技術は進歩するものだから、将来的に代用肉が食卓に上る可能性は高いだろう。コストにしても、本物の肉を下回る可能性はある。
だが考えてみれば、今でも魚肉ソーセージや豆腐ハンバーグのような肉は存在している訳で、そういった肉はこれらの上に来るのか下に来るのか。バターをマーガリンが(一時)駆逐したような、大規模な普及は望めるのだろうか。
代用肉は、資源対策としての側面もあるため、ある程度実用化すれば国の後押しが期待できる。このため、庶民は代用肉、高級レストランでは本物、などということはあり得ることだ。だがこの場合、希少性が美味しさと必ずしも繋がらない。代用肉の方が美味しくなる、ということも十分に考えられる。
更に言えば、「肉」って何だろう。以前も紹介したCOMPのように、肉でも野菜でもない(得体も知れない)ものでも人間の栄養を賄えるようになれば、ただ美味しければ、飽きなければ、何だってよいはずだ。3Dプリンタで、型焼きで、自由な発想で作った新しい食事が世の中を席巻することはあり得るだろう。
小麦と膨張剤を作った菓子には多数の種類があるように、肉と野菜の区別は段々つかなくなっていき、新しいカテゴリで考えなければならなくなる、そんな時代が来るのかもしれない。そして、自然の肉や野菜が代替食、つまり不味い非常食扱いされる日も来るのかもしれない。そんな時代、食用として品種改良されてきた牛、豚、鶏たちは、人間とは逆に絶滅の危機に瀕することになる。

2017年6月13日火曜日

遺伝子操作の果て②


遺伝子操作の果て①」では、結構暗い結末となってしまった。気を取り直して、技術的な視点からできるようになることを掘り下げてみたいと思う。
以下が、その時挙げた「やりたくなるだろうこと」だ。
  1. 病気になりにくい体。遺伝子病に限らず、あらゆる病原菌、ウィルス、プリオンなどに対抗できる。また、不快害虫を寄せ付けない、刺されても咬まれても平気、など。
  2. 老化しない体。寿命を長く、また年齢を重ねても健康でいられる。
  3. 高い運動能力。スポーツ選手や山登りなど。更には他の動物との格闘で勝てる(アフリカで暮らせる)、体が頑丈、など。
  4. 高い生体再生能力。腕を切られても生えてくる、怪我が直ぐ治る、など。
  5. 環境適応力。暑さ寒さ、強い日射、文明的な悪環境(高二酸化炭素、PM2.5など)、更には高山深海、水の少ない環境、少ない食料、宇宙(火星移住、真空・放射線)など。
  6. 高度な知能、交渉力、統率力など、社会的行動への適応性が高い性格。
最初のゲノム編集で、全部の能力をいっぺんに得られたと仮定する。そうすると、自分だったらまず何をするだろう。
しばらくは文明に毒されたままだろうから、高級な生活をしたいと望むだろう。それにはカネが必要だ。よって高度な知能を使って株で儲けたり事業をしたりしようとする。だが周りも同じく賢くなっているので、相対的にはやはり今のままとなる可能性が高い。長い寿命を生かして定期預金、と言っても、周りも同じく長寿になっているので、金利も下がるか物価が上がるだろう。
では、強い環境適応能力を生かして長時間通勤に耐えたり、草木で飢えを凌いで生活費を下げようとも思うが、同じことを考える人は多数いるはずだ。それを見越して給料を下げられるかもしれない。怪我や病気がなければ保険の解約も考えられるが、これも同じだろう。
生活の向上を諦めた後、何を考えるか。ささやかな幸せの向上だ。体力を要するスポーツや旅行が経験できるようになる。だがこれも、しばらくすれば飽きる。欲求のレベルが上がってしまうだけだ。
世捨て人になって、山奥で自給自足ということも考えられる。だが同じ志を持つ人が多数出てきて、人里離れて暮らすことは不可能になるかもしれない。そしてそのうち、そうしたがる人が求める土地の値段が上がり、元に戻ってしまう。
そう考えると、結局は内面に向かわざるを得なくなる。禅の修業でもするか。だったら今でもできるではないか。

2017年6月12日月曜日

遺伝子操作の果て①


映画「ガタカ」は、以前NASAの「現実的なSF映画」で1位に選ばれたそうだ。実際に見た感想としては、ちょっと検査が行き過ぎのような気がする。また、適正者同士であっても競争はあるはずだし、非適正者との差がそれほど隔絶しているとも思えない。恐らく適正化には多くの段階があり、料金もアナログ的に異なるはずだ。更にはその技術レベルも進化し、時代と共に古い人間の遺伝子的な価値は徐々に下がってきてもおかしくない。
ゲノム操作など遺伝子操作は、受精卵に適用しなければならないから、一度育ってしまえばその恩恵には授かれない。もちろん将来的に育ってしまった個体のゲノムを書き換えることもできるようになるかもしれないが、その難易度はゲノム操作とは比較にならないから時間もカネも掛かるだろう。
もし遺伝子操作が安全にできるような社会になったとしたら、どのような操作をしたいと思うだろうか。大きく分けると次のようになるだろう。
  1. 病気になりにくい体。遺伝子病に限らず、あらゆる病原菌、ウィルス、プリオンなどに対抗できる。また、不快害虫を寄せ付けない、刺されても咬まれても平気、など。
  2. 老化しない体。寿命を長く、また年齢を重ねても健康でいられる。
  3. 高い運動能力。スポーツ選手や山登りなど。更には他の動物との格闘で勝てる(アフリカで暮らせる)、体が頑丈、など。
  4. 高い生体再生能力。腕を切られても生えてくる、怪我が直ぐ治る、など。
  5. 環境適応力。暑さ寒さ、強い日射、文明的な悪環境(高二酸化炭素、PM2.5など)、更には高山深海、水の少ない環境、少ない食料、宇宙(火星移住、真空・放射線)など。
  6. 高度な知能、交渉力、統率力など、社会的行動への適応性が高い性格。
映画「エイリアン」に出てきたエイリアンの生体能力は非常に高かったが、知能はそれほどでもないように見えた。もし生体能力が十分に高かったら、知能もあまり必要ないように思える。人里離れた山奥でも十分に暮らせるなら、わざわざ都心に出てきて、汚い空気を我慢して、覚えたくもない知識を覚えて、したくもない仕事を続けることもない。
もちろん遺伝子的には両立することはあり得るので、後はどちらを好むか、という性格の問題になる。大人しく平穏に生きたい人と、(人を押しのけてでも)成長しようとする人の差だ。当然ながら、新たに得た能力を活用して、後者が前者を圧迫する図が生まれる。
で、これを考えてみると、「今でもそうじゃん」と思えるのだ。欧米を中心とする拡大指向の人が(いわゆる)新興国の生活圏を侵食している図が、そのまま当てはまる。北アメリカ、オセアニアはもはや白人の国になってしまったし、南アフリカや西アジアもだいぶ侵食されている。東南アジアでも思想的にはだいぶ染まってきた感がある。つまり、これを以ってしても、拡大指向の人がそれ以外の人を侵食する構図は変わらない。
結局、技術が地球を救うことはない。何時の時代でも、問われるのは科学者の良心ではなく、総体としての人類の良心である。

2017年6月11日日曜日

ディスプレイテーブルのOS


ディスプレイが内蔵されたテーブルというのは昔から何回も提案されているが、あまり売れたという話は聞かない。個人的には凄く興味があるのだが、やはり買う気は起きない。なぜだか考えてみると、その要素は三つに集約される。一つは言わずと知れた価格である。二つ目はUIの貧弱さ。三つ目は解像度だ。
これらは何れも致命的欠陥ではなく、時代が解決する性質のものだ。つまり、ディスプレイを備えたテーブルや机というのは、何時かは実用化し、そこそこ普及しておかしくないものと考える。
その前に、用途を考えてみる。リビングにはテレビがあるのが普通で、タブレットやPCもあるだろう。そこに更にテーブルがディスプレイになっているとしたら、それで何をするのか。これを考えてみると、以下のようなものが挙げられる。
  1. 大画面で見たい、また自分のペースで好きなように見たいコンテンツの消費。
    1. 新聞を広げて読む、老眼の人が読書をするなど。
    2. 絵画や写真集など、大画面で見ることで迫力が増すコンテンツの閲覧。
  2. 複数の人が同時にコンテンツを操作する。
    1. 囲碁やボードゲームなどのゲーム類。
    2. 会議、家族旅行先の選択、飲み会の場所の選択など、意見を集約するもの。
  3. 大画面が必要な情報処理。
    1. 本屋の書棚を再現し、見たい本を探す。
    2. スーパーの陳列棚を再現し、買い物を探す。
    3. 地図や星図などの閲覧。
    4. 細密写真から何かを探し出す。医療における病巣の確認、証拠写真など。
    5. 大量の写真の整理。
    6. 広大なExcelの編集。
  4. 本来の意味でのテーブルの使用を補佐するもの。
    1. 食器の周囲を照明して食事の美味しさを演出する。
  5. テーブルの上に置いた物理的なモノの操作を補助する、ないしはモノの操作によってコンピュータへの指示をする。
    1. チェスのコマや戦略ゲームのコマを物理的に作る。
    2. 家電の操作や情報処理のUIを物理的に作る。オーディオのボリュームなど。
こう考えてみると、既存のPCやタブレットのUIではまだ不足であることも分かる。例えば画面に一度に複数の人が触ることを想定したり、その向きも多方向からだったりする可能性もあるし、画面にタッチしたのが手首か指か肘かモノかの識別も必要だ。マルチユーザもマルチウィンドウも必須になるばかりか、画面は一つでもウィンドウ毎にユーザ(ID)が分かれるような事態も考えられる。となれば、単にディスプレイがあるだけではダメで、人間がそれをどう囲んでいるかなども別にセンサで見る必要があるのではないか。
従来のディスプレイテーブルでも、それなりのコンセプト的な操作ソフトはあったわけだが、OSとして標準的なものはまだ見られない。操作場面からしてWindowsのような柔軟性があり過ぎるOSは不適だろうから、AndroidやiOSのようなものからの発展系として作るのが望ましいように思う。

2017年6月10日土曜日

野性の勘は不要か


AIの発達で、何でもかんでも人間よりAIの方が能力が上、という時代は来るかもしれない。従来、コンピュータの欠点として、新しいことが苦手とか突飛な発想ができない、というのはSFでも定番だったが、AIはそんなことも吹き飛ばすかもしれない。
 
人間は文明のおかげで野生の勘をずいぶん失ってきた。耳や鼻が動かないとか、腐った食べ物を嗅ぎ分けられないとか、戦いに勝てるかどうか、危険の察知、雨が降るかどうか、新製品がヒットするかどうか、などだ。
 
AIが相応に信用できるなら何でも尋ねればよい。だがそういう時代において、野生の勘を鍛えるようなことは不要になるのだろうか。
ここには、幾つかの視点がある。
  1. 本当に全ての事項についてAIに負けるのかどうか。AIにも苦手なことがあるのではないか。あるいは平均的には負けても、個人単位で見れば特定の分野ではAIに勝てる、ということはあり得るのではないか。
  2. AIが動かない、頼りにできない場面はあるのではないか。戦争動乱、天変地異、停電、電波障害、電磁パルス、経済的にスマホが買えない、料金が支払えない、生活弱者、宇宙や僻地、など。但し、もし滅多にないことなのであれば、コストパフォーマンスが重要であり、その間は我慢する、という考えもある。
  3. 実用としての野生の勘ではなく、それを鍛えることに何か別の意味があるのではないか。例えば危機を察知する能力はビジネスに応用できるのではないか。あるいは単純に、脳を鍛えることになるのではないか。
  4. 将来的に、AIを人間の脳に組み込むことができるようになる可能性。
まず1.だが、現状ではまだまだAIは頼りない。当面は安心だ。だが将来、AIが全ての面で人間を超えることは十分に考えられる。それどころか人間を遥かに超え、とても敵わない、と諦めざるを得ないほど強力になることも考えられる。
2.は、AIが動かない状況というのは恐らく生命の危機にも瀕している場合が多いと考えられる。このときだけのために勘を鍛えるというのは、人によっては価値があるだろう。だがコストパフォーマンスは悪いから、そういう人はごく少数に留まるはずだ。また、自分が使えなくても周り(の社会)のAIが全滅と言うことは考えにくいから、周り(のAI)が自分の危機に気付いてくれるような社会になるはずだ。秒速で弾を避けながら走るとか、地割れを避けながら逃げるような場面を除けば、殆どの場合はAIが一時的に動かなくても問題はないだろう。
3.は大いに考えられることだ。だがそれを補って尚余りある勘をAIが持つならば、多くの人は適当なところで妥協するだろう。とりあえず筆算は習うが実用では電卓を使う、というような感覚だ。
4.があれば、1.2.3.の問題は全て解決することになる。この時代には、野生の勘は完全に不要である、と結論付けられるだろう。AIを鍛える方が、効率もよく労力も少なく的確な勘が得られるからだ。

2017年6月9日金曜日

引き出しすのこ+パワーリフター


別の投稿で、ロボットが出し入れを引き受けるなら、家じゅうの隙間空間を活用して荷物を仕舞い、且つその場所と内容を覚えておいてくれるから、無駄なものを買わないで済んだり消費期限を逸して破棄することが減るだろう、という予測をした。
ただ、既存の建物でこれを実現するためには、相当高度なロボットが必要だ。現在ある家を生かしつつ、家の改造もロボットの高度さも最小限にするような工夫はできないだろうか、と考えていて思いついたのが、タイトルのような仕掛けだ。
パワーリフターというのは、リンク先を見てもらえば分かるが、重いものを高いところまで持ち上げる機械だ。例えば1500mmまで持ち上げるものが20万円弱で買える。家庭用としては少々お高いが、これは産業用だ。家庭用にもっとスペックの低い、安いものを作ることはできるだろう。その場合、天袋を想定して、高さを2000mmまで対応してもらうとありがたい。また耐荷重は逆に、50kgもあれば充分だ。
これにはキャスターがついているから、高さ方向へ逃げることが容易になる。後は奥行き方向に複数の箱を入れているときに、奥のものがカンタンに取れる仕掛けがあるとよい。天袋や押入れにはそれなりの奥行きがあるから、例えば700~900mmの範囲で箱を2段入れられるとよい。
このための仕掛けを担うのが、タイトルの「引き出しすのこ」だ。まず、このすのこは、押入れの奥行きに合わせて複数の種類があり、ぴったりのものを選ぶ。すのこは複数の縦方向(奥行きに向かって手前から伸びる方向)に長いもので、幅に合わせていくつかを並べて使う。そして、すのこの上部はテフロン加工されており、滑りを良くしてある。
並べるすのこは二種類あり、一つは幅調整のためだけに使うものだが、中央部の幅30cm程度のすのこには仕掛けがある。ブックエンドのようなL字型の冶具(金具でもプラスチックでもよい)があり、すのこの前部に電動ドライバのような工具を差し込んでスイッチを入れると、この冶具が前後に動く。具体的には、ボルトナットか滑車のような仕掛けが考えられる。つまり、この工具によって、奥にある荷物が手前に自動的に押し出されるわけだ。
これを前提に、リフターの先端にこの工具を取り付けておけば、高いところに二段階以上に押し込んだ段ボール箱を、苦もなく出し入れすることができる。電動ドライバの先にアダプタを付けるだけで同様なことができるようにしておけば、リフターが買えない家でも類似のことができる。
荷物を記憶するには、現在でもスマホのソフトが出ているから、特段新開発する必要はない。専用リフターが3万円、すのこが1万円程度で売りに出されれば、それなりに売れるように思う。

2017年6月8日木曜日

ソーラールーフの普及による一般家庭の変化


一般家庭の変化の第一は無論オール電化だ。それもバッテリ付きが基本になるので震災にも強いから、防災対策はかなり変わってくるはずだ。例えば、非常食を冷凍で蓄えることは今まで考えられなかった。電力が止まればたちまち全部ダメになってしまうからだ。だが、電力が止まらない前提であれば、冷凍食品を大量に保管しておいて、あるいは生野菜や肉魚をCAS冷凍しておいて、ランニングストックとして使用するようなことが可能になる。水も、ペットボトルで蓄えるのではなく、給湯タンクと浄水器を買う、という方向性が出てくる。
これはもちろん一軒家を想定したシステムなのだが、壁、物置やカーポートの屋根、崖斜面などにも当然設置可能である。元々屋根の使用効率も高いし、そういったところまで活用すれば、かなりの余剰電力が生まれる。そうすると、一般家庭ではエネルギー消費がむしろ豊富になり、新しい需要が生まれるかもしれない。
まず、冷暖房をケチらなくなるため、普段の生活の質が向上することも考えられる。風呂にしても、24時間風呂や温水シャワーの需要が増すだろう。一時期は自粛ムードだった「明るい夜」も復活するかもしれない。
また、自動車も電気自動車への購買意欲が増す。テスラはまだ高価だが、国産のEVやPHV、電動自転車や電動ミニカーなど、あるいは農家で使う作業機械が電化するなども考えられる。
個人的な興味としては、雨水と浄化槽下水の沸騰浄水を使って普段から水の自給を可能にすること、小規模な植物工場を作って食料の一部たりとも自給すること、がやってみたい。何れも無償の電力があれば、ランニングコストはかなり安い。
小規模業務としては、電力を大量に使う、且つ小分けで売れるものが考えられる。まず、製氷やアイスクリーム製造、またガス製造(液体酸素、液体窒素、電気分解による水素精製など)が考えられる。上と組み合わせ、自作の生鮮野菜をCAS冷凍で通販する、などは考えられる。アルミ精錬も電気の固まりとして有名だが、小売が成り立つものなのかどうか不明だ。

2017年6月7日水曜日

ソーラールーフ普及による電力会社の変化


このシステムは、従来のシステムと違って発電量が2、3倍になり、買電売電なしでオール電化を実現できるようなものになる。このため、太陽電池だけでなく、ガスコジェネレーション関連(エコウィル、エネファームなど)などにも影響がある。様々な方式があった中、系統から切断するテスラ方式のみが生き残る可能性がある。(もちろん「方式」が生き残るのであって、他ベンダも各自努力して新製品を出すだろう)
この中には、遊休地を利用して発電し近所に売電するような業者の出現も予想される。特に、従来は活用不可能だった崖地や水が出る地盤の悪い土地が、日が当たるというだけの理由で資産に変わるのだから、これを使わない手はない。極端な話、崖地とマンションをセットにして分譲販売するようなことだって出来るだろう。
この方向に世の中が進むなら、電力会社としての電力需要は徐々に下がっていく。現在では詳細な損得はまだ計算されていないと思うが、小規模な事業者から徐々に侵食されていくことになる。
元々、3.11を契機にして、世間は継続的な節電意識が定着している。世帯収入も下がり、人口も減っている現在、テスラ方式が必要電力の低下に拍車を掛ける方向にしか働かないのは確かだ。
日本の電力消費は、鉱工業・サービス業・家庭で大体各々1/3くらいだそうだ。鉱工業は比較的電力会社に配慮した電力消費をするのに対し、サービス業と家庭では基本的に日中の消費が高くなり、夜間は低くなる。季節変動も大きい。そしてテスラ方式は正にここがターゲットとなるため、普及につれてピーク電力の比率も低くなり、電力会社にとってはややり易い状況になるはずだ。
上の電力消費比率が徐々に変化し、鉱工業が60%、サービス業・家庭が各々20%、全体の消費電力が30%減、などという状況が、20年程度で実現するかもしれない。
現在の電力会社における家庭と鉱工業の利益率は不明であるが、常識的に考えて、家庭での利益率は高く、鉱工業では低いはずだ。電力会社は需要減の分を企業努力で吸収したいところだが、そもそも利益率の高いサービス業・家庭の需要が減るために、全体としての利益率が悪くなるのは避けられない。
有権者の多くが自分で電力を作れるようになれば、自分の生活に関係ない原発に賛成する理由がなくなる。そういった人が推進派から徐々に離脱していき、原発の立ち位置は悪くなるだろう。
一方、太陽電池や家庭用レベルのバッテリが量産効果で安くなったとしても、大規模工場で使う電力を全てこれで置き換えるというわけには簡単には行かない。ただ、自力で発電しようとする企業も増えてくるだろう。この場合でも系統電力への影響は避ける必要があるから、NAS電池やレドックスフロー電池などの需要が高まるだろう。
その時代は、一部の原発は一旦再稼動し、それでも多くの原発は老朽化して引退を迫られる時期だが、新たな原発を建設する強いモチベーションは働かないはずだ。電力会社自身も大規模太陽電池発電所の研究を余儀なくされる。そこには必ず蓄電技術や電力均質化の研究が含まれるはずだ。そしてそれは、更に原発の必然性を下げることになる。
数十ある原発の半分が引退したとしても新たな原発は数箇所しかできない、となると、核廃棄物の処理方法やコストの問題が改めて浮上することになる。このときに舵の取り方を誤ると、電力会社にとっては負のスパイラルが生じる。即ち、太陽電池の普及加速>電力需要減>核廃棄物処理費用の捻出困難>電力料金への転嫁、電力の割高化>更なる電力需要減、となる。核廃棄物が長期間放置されることは避けたいことだが、これでは研究も進まない。
但し、電力会社がなくなるということは考えにくい。というのは、雪国では太陽電池の普及率は低いだろうと予想するからだ。ただこれも状況次第で、雪国ではコジェネレーションの潜在需要が高いから、電力会社の弱体化に付け込んでガス会社がコジェネを普及させると、雪国でも電力会社の立場はぐっと弱くなる。分社化、一部整理、くらいは覚悟した方がよいだろう。
液体燃料やガスの需要がゼロになることは考えられないから、分社化した電力会社の一部がガス会社に吸収合併される、などということも起こるかもしれない。

2017年6月6日火曜日

ソーラールーフは普及するだろう


「ソーラールーフ」の発表から注目してきたが、いよいよその時が来た。
ここから、三つの自説を展開する。第一は、これは普及するだろう、ということ。第二は、そこから起こる、主に電力会社への影響。第三は、使う側(ユーザ)における変化だ。これを三つに分けて各々考える。本稿は第一だ。
太陽光発電は、当然ながら電力会社から見ると「普及してほしくないもの」だろうから、系統への接続制限などで抵抗してきた。その主張は、系統電力が不安定になる、という一点しかない。事実、従来の太陽電池システムにはその欠点があった。しかし今回は少し事情が異なる。
テスラが国内のベンダと画期的に違うところが幾つかある。まずはデザイン。ソーラールーフは瓦サイズで一般の瓦と区別できないため、あからさまに「太陽電池で御座います」といった顔をしておらず、自然に溶け込むことができる。また、きめ細かく屋根の形状に合わせられるために面積効率も高い。保証期間も長い。費用も革新的に安い。特にバッテリーが安い。
一軒家で太陽電池を設置する場合、バッテリなし、また系統電力への接続と売電を前提とするのが今の一般的なモデルだ。その理由は、まずバッテリが高いこと、売電への補助(価格保証制度)があったことだった。特に売電価格は非常識なほど高く、これは確かに太陽電池の普及には貢献したが、電力会社にとっては不安定な電力が大量に流入することになるため、接続数制限や、必要以上の売電(売電目的の売電)を制限するために太陽電池の設置量を制限する、といった、良く分からない状態になっていた。
だが、バッテリが安ければ、系統電力との接続を完全に絶って、充分な太陽電池を設置することができる。電力系統はシンプルになり、価格も下がる。元々、一般的な一軒家の屋根の面積は充分広いのだが、上の制限のために、3kW~4kW程度に抑えられていたのが現状だ。テスラならその2、3倍の面積に設置可能である。
テスラ方式では、まだ公になっていないもう一つの使用モデルがある。それは、形だけの太陽電池を設置し(あるいは全く設置せず)、事実上は買電だけとして、その買電は深夜電力を使う、というモデルだ。これなら系統電力への影響はゼロであるため、申請の必要はなく、ただ設置して、契約を深夜電力が有利なタイプに変更するだけで済む。
こちらのモデルは、初期費用を抑えられるため、将来的に太陽電池を増やす原資をここで稼ぎ徐々に増やす、といったモデルにもなるし、マンションなど太陽電池設置が無理な所で、ひたすら深夜電力だけで生活する、という人にも合う。
ここから、マンションでも使えそうだ(極端な話賃貸でも)、コンサルや見積もりを細かくせずともカンタンに設置できそうだ、費用や施工の技術の差が出にくそうだ(騙されにくそうだ)、系統電力との接続がなくとも独立して動かせそうだ(接続制限について悩まなくて良さそうだ)、太陽光発電だけで十分になりそうだ(完全電化を太陽光発電だけで賄えそうだ)、速く元が取れそうだ、故障も少なく修理も簡単そうだ、あわよくば電気自動車の充電までできそうだ、となる。最後の一節を除けば、何れも太陽光発電を導入するに当たっての心理的抵抗が大きかったところである。
どちらのモデルであっても、系統電力へ売電はないわけだから、それに関連する制限は掛けられない。各自勝手にやればよい話なので、普及するかどうかは単に保証や費用等、市場原理のみに基づくようになる。
また、自治体としても、補助金を既存のものに限定する理屈は立たないので、現状では勿論市販前だけれども、何れは他と同じく対象になるはずだ。また、補助金が出ない場合でも、民間の保険会社などが低金利のローン商品を開発する可能性もある。
初期費用の問題を補助金やローンでクリアできるのなら、従来の太陽電池よりも面倒がない分速く普及するはずだ。特に電力会社との決別ができる点、震災に強い点などを評価する一部の層には強くアピールするだろう。デザインが目立たない分、気がついたら相当普及していた、なんてことも考えられる。

2017年6月5日月曜日

AIが人類を生き残らせる


スタートレックの時代は来るか」で考えた未来像は、結局人類のサステナビリティの成否を決めているような気がしてきている。
二酸化炭素、石油資源、原発、水収支、戦争、差別、人口爆発など、よく言われる地球規模での不具合は、究極には全て「(一部の)人類の過剰な欲」が原因である、というのが自説である。そして過剰な欲の根元を訪ねると、幸福感の欠如にたどり着く。
この「過剰な」というところが何に対して過剰なのか、というのは定義しておかなければならないが、それは地球のサステナビリティとしてよいだろう。地球の様々な資源のプライマリバランスが均衡している状態を保てないものは過剰だ、と定義する。但し、プライマリバランスがおかしくても、人類の生存に影響がないのであれば除外してよい。
その視点には様々なものがあるため、それらの視点間のバランスもまた重要であるが、あまりに複雑系に過ぎるため、人智での評価はできないはずだ。また、そこではどうしても、個々の人間の幸福感の平均値とのバランスが必要になる。ただ、ここで重要なのは、人間の幸福感を最大化することが目的であってはならない、というところだ。
プライマリバランスを重視するためにどうしても特定の種類の幸福感が減ってしまうところは、他の幸福で補うようにする。幸福感は、結局は脳内物質のバランスなので、例えば食料が少ない場合は社会欲求を満足させることで補う、などができる。子供が二人ほしいところ一人しかできなくても、その一人がとりわけ可愛くて優秀なら気も紛れるだろう。
しかしそれでも限界はある。問題なのは、サステナビリティを優先にした結果、平均的に不幸感が強い社会になってしまったらどうするか、ということ。もしこうなったら、人類そのものが地球にとっての文字通りの癌、ということが確定してしまう。
これを挽回することは多分できて、それは人類の総数を大幅に減らすことだ。以前も言った通り、人類の絶対数が大きく減ればサステナビリティは向上するからだ。戦争でも疫病でもよいから、とにかく人類の数を半分などにする。それ自体は大きな不幸だが、それ以降の人類は幸せになれる。その上で産児制限をすれば、幸せを維持することもできるだろう。
でもこれは、AIの反乱に見えるかもしれない。AIは人類を生かそうとしているのに、それに背いて人間がAIに反乱する、結果人類が勝利する、そして滅びる、という、チンケなSF小説のプロットも、そうバカにできたものではない。
もしかしたら地球上で最も幸せなのはシャチなのかもしれない。

2017年6月4日日曜日

圧電素子応用多翼羽ばたきドローン


羽ばたくロボットの類は既に存在しているが、知る限りでは2翼だ。ハエは4翼だし、ドローンなら数の制限はない。例えば8翼とか、百翼の羽ばたきドローンがあってもよいわけだ。
羽ばたき翼は、機構が回転翼より複雑になると思われがちだ。確かに翼が折れる(か、しなる)必要があるのでそこだけ見れば複雑だが、羽の駆動機構はモーターのような回転ではなく振動が使えるため、軸と軸受けを作る必要がなく、軸の摩擦を考慮した精密設計や油差しなどが不要というメリットもある。当然、軸の素材も、金属ではなくFRPなど安い素材が使える。駆動系には圧電素子を使えるため、薄く細くシンプルにできる。
例えば「木」のように、幹から枝が多数出ていて、その先に葉のような羽がある構造を作っておき、枝の一つ一つに圧電素子を配置して揺れるような構造を作ることができる。枝毎に圧電素子を配置して全てをコンピュータ制御することで、上昇加工回転などが自在にできる。
この機構では、厳密に左右対称などを考慮する必要がない。枝を多数作って振動を調整すればよいからだ。同じ理由により、加工精度も要求されない。移動するに当たって枝を折り畳んでも、広げたときの精度は要求されない。多少折れたり調子の悪い枝があっても、他が補ってくれる。必要に応じて枝を増やすこともできる。
圧電素子はエンジンやモーターに比べて圧倒的に安く、軽い。羽や枝も相当軽く作れる。このためエネルギー効率も高いはずだ。今開発されている、回転翼や固定翼による、人間が乗れるドローンよりも軽く小さいドローンが作れるかもしれない。

2017年6月3日土曜日

バイオトイレ+エネファーム+循環風呂


一時はブームになった家庭用コジェネレーションシステムだが、最近はあまり話題にならないようだ。通称エネファームは燃料電池、エコウィルは発電機を駆動し、その排熱を給湯に充てる。
調べてみれば直ぐわかるが、一般家庭で使う際には、先に給湯が一杯になってしまい、そこで発電が止まる仕掛けになっている。このため思ったほど発電ができないのが現状だ。これを改善するには発電効率の向上が必要だが、その要求量は大きく、現実問題として直ぐに解決できるものではない。
このため、これ以上に効率を上げようとするなら、排熱を給湯以外にも使う必要がある。床暖房はその一つだが、当然ながら冬にしか使えない。調理に使えるほど高温であれば良いのだが、ヒートポンプを使ってもそこまでは困難だろう。
そこで考えるのがバイオトイレだ。バイオトイレと言えば、排便を微生物の力で分解するものだが、この微生物の活性化のためには保温が必要で、結構電力を消費するのだ。その保温は給湯よりも低い30~40℃で良いので、排熱利用としては理想的だ。
バイオトイレには生ごみも投入できるし、当然ながら水を大きく節約できる。また、震災時にも使用可能である。エネファームにも震災対応オプションがあるから、両者を合わせることで、震災時にもトイレとエネルギーに困らなくなる。また、エネファームによる発電量が増えれば買電量も減るため、電気代の節約量も増える。
更に循環風呂も付け加えれば、と思ったのだが、一般のものをそのまま使うと給湯量が大きく減ってしまうため、そのままでは使えない。そこで工夫をする。循環風呂の温度維持には通常は電熱ヒーターが使われるが、これを給湯の熱で行うようにすればよい。こうすれば風呂にも困らなくなり、水道使用量は、バイオトイレの効果と合わせ、一般家庭の半分にできる。もちろん震災時にも風呂に入れる。
エネルギーが維持できれば掃除も調理もできる。洗濯だけは大量の水が必要なので困難だが、一般よりも日常生活を維持できる度合いは大きく増え、精神的健康を保つことができるだろう。

2017年6月2日金曜日

歴史は繰り返す


歴史を勉強する意味として、過去の愚かな過ちを繰り返さないため、というのは小さい頃に聞かされたことだが、現実問題としては歴史は繰り返す、つまり愚かな過ちは何回も起こっている。その最大のものは戦争だが、それ以外の思想弾圧や差別、テロなども同じだ。
なぜ歴史は繰り返すのかというと、歴史を単なる学問の一つとしてしか扱わず、上のような「過去の過ちを繰り返さないため」という思想がない人が大部分だからだろう。人は死に、新たな人は一から学び直さなければならないから、継続的に教育とその動機付けを行わないと、徐々にその意識は薄れ、同じ過ちをしても気付かず、戦争が起こり、反省して、振出しに戻る。一部の知識階層や歴史学者は分かっているけれども、大衆の流れは止められない。彼らにできることは、せいぜいその時間軸を伸ばすことくらいだ。
ただ、歴史が繰り返す仕組みというのは、大衆心理の観点から学問的には分かってきているはずなので、歴史そのものを学ばずとも、そういった理論からのアプローチは可能なはずだ。近年の技術の発達、特にAIやビッグデータ活用といった、従来では不可能だった大量データの知的視点での処理は、歴史学の歴史からみても画期的な向上である。
新聞社が定期的にアンケートをし、SNSでは日々のつぶやきから、大衆の心理を数値化できる。そこから戦争に至る心理を分析できれば、またそれを過去の戦争にあてはめて分析すれば、今どの程度危険かが客観的に分かる。そうすれば、単なる左翼の遠吠えと見捨てられることなく、多くの大衆に訴える危険性が見えてくるはずだ。

2017年6月1日木曜日

記憶はどこにあるのか


以前、魂は記憶(情報)の塊である、という仮説について述べた。これに関連して、例えば大規模な輸血を行ったときや臓器移植を受けた時などに、提供者の記憶や性格が乗り移る、という現象をよく聞くのだが、この理由について説明ができる可能性が出てきた。
記憶は脳にしかないはずだ、という前提に立てば、これは全て勘違いかウソ、ということになる。だが前提が崩れれば当然結論も変わってきておかしくない。「人間の記憶」という枠を外れて情報がどこに保存されるかというと、あらゆる物理構造にその可能性はある。
コンピュータで使う記憶装置は、電気信号で人間が扱いやすいように仕組まれたものだ。だが情報科学でいう情報とはそんな狭い範囲のものではない。意味があるかどうかはともかく、全ての分子原子素粒子の位置や方向及びその組み合わせは「情報」である。
その99.9999%は意味のない情報だろう。だがそもそもの記憶容量が天文学的であるため、細胞の塊たる臓器や血液内の細胞(赤血球、白血球など)に意味のある記憶が宿るだけの容量は十分にある。
別の投稿「ネットワークの知性」で言及したことから演繹すると、複数の細胞からなる臓器はそれ自身が細胞ネットワークを形成している。特に脳神経のようなものでなくても、細胞同士のつながりに何らかの濃淡があれば、それは記憶素子となり得る。当然それは過去の継続的な刺激によって成り立ったものなので、その生物の経験が反映されているわけだ。臓器によってその種類が異なるとしても、結局は同じ場所に移植されるのだから、記憶も一緒に移植されていることになる。
その臓器は当然他の臓器と連携して動く。脳とも連携する。ネットワークの特性が記憶であるなら、移植された途端に他の臓器とのネットワークが構築され、徐々に記憶が他の臓器(脳を含む)に移動ないしは複製されていくことは十分にあり得る。
もちろんそれは脳細胞のような効率の良いものではないだろうから、ごく一部、または曖昧な情報しか伝わらないかもしれないし、脳に行き着かない情報は言語化できなかったりするから、大部分は「何となく」で終わる。だが稀にそれがうまく適合するケースがあって、そういうものが「臓器の記憶」となる、というのがこの仮説の全容である。
これから更に演繹すると、「体が覚えている」などということも、比喩ではなく、本当に体が覚えていることになる。体を動かしながら勉強するなどというのも、非科学的とは言い切れない。

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