日本は世界トップクラスの放蕩財政国家だ。赤字国債の残高が、物価上昇を遥かに超えるスピードで増え続けている。その規模は国家予算の十倍もある。収入に見合った支出をするというごく当たり前の原則を無視し、欲しいだけの予算を積み上げ、足りない分を借金で賄っている、という状態が、何十年も続いている。
国債は借金であり金利があるので、借りる以上に返さなければならない。2026年度の国債費(返済額)31.3兆円のうち、利払い費は13兆円もある。日本は毎年このくらいの規模の額を、国民のためではなく債権者に支払っているのだ。(このうち半分程度は日銀を通して国庫に戻って来るが、残りは民間に放出されるのだし、その日銀とて必要経費を差し引いている。何れも借金がなければ必要ないカネだ。)
ここ数十年は低金利だったからまだ良かったが、それでもこの額だった。そしてその金利が近年急上昇している。すると、同じ額を借りるのにも多く返さなければならなくなる。国債は毎年少しづつ借り換えられているから明日困るわけではないが、今後日本の財政はゆっくりと、しかし確実に悪化していく。たとえば十年後には、その利払い額は更に十兆円増えているかもしれない。これは国家予算に対して十分なインパクトのある額だ。本来は教育や福祉に向かうはずだった20兆円が、どこかに消えている。これはあまりにもバカバカしくないか。
だからこそ借金は早く返さなければならない。とはいっても千兆円もの巨額を一気に返すことは不可能であり、50年100年といったレンジで返すしかない。50年として年間20兆円だが、プライマリバランスはゼロ付近ではなく、このくらいのプラスで計算すべきである。
そんなカネがどこにあるのか、とよく言われる。政府や政党がよく減税を主張するとすぐ財源を問われるけれども、そういった眼の前の予算の重箱の隅を突くような視点では、この額を恒久的に捻出することはできない。もっと鷹の眼をもって、日本の財政構造を分析する必要がある。
よく「甘い汁を吸っている奴がいる」と言うけれども、日本を俯瞰して見た場合、その甘い汁を吸っている奴とは、実は国民自身である。官僚や上級国民にもそういう奴はいるけれども、それは俯瞰した目から見れば実は少数であり、金額も微々たるものなのだ。本当の悪は国民である。
意外に思うかもしれない。あるいはウソだと思いたいかもしれない。しかし、毎年の赤字国債の元凶は、防衛費や文教科学振興ではない。社会保障費や地方交付税交付金なのだ。これらが「身の丈に合った額」になっていないから、予算が嵩むのである。
色々と分析してみた結果として、その放蕩の中身を大雑把に三つ、主張したいと思う。第一は社会保障費、第二は地方交付税交付金、第三はゾンビ企業の生き残りである。以下、これらの詳細を解説しつつ、改善案を提示する。
第一の社会保障費だが、健康保険、(老齢)年金、介護保険、生活保護、その他各種補償・控除補助などがある。このうち大きいのは健康保険と年金である。現在の健康保険や年金の問題は、大きく分けて以下の三点である。第一に、富裕層でも一律に支給されていること。第二に、補償の範囲が広すぎること。第三に、個人ベースで規定され、積み上げ式に制度が決まっていることだ。
富裕層でも一律に支給されていることは説明しなくても分かるだろうから飛ばすとして、次に補償の範囲だが、これは海外に比べて広すぎる。例えば、市販薬と殆ど変わらないような薬が保険適用で入手可能である。風邪薬、痛み止め、湿布などに対しては、医者で処方するのではなく、ドラッグストアで自費で買え、というのが海外のスタンスである。また、リハビリやマッサージの類でも幅広く保険適用になるが、これも海外は厳しい。だが一番の問題は、総額制限をしていないことだ。要するに、総額で見て赤字であることに対してのフィードバックがないことだ。
これより考えられる社会保障費の改善案は、まず原則として個人の資産と所得を考慮した応能負担とすることである。要するに金持ちは高く払え、ということだ。次に保険適用の範囲を欧米並みに狭めること。第三に総額規制を行い、自己負担率は変動制とすることだ。
例えば、健康保険の自己負担率を一律20%にするのではなく、毎年総額から再計算して「今年の自己負担率」を発表する、といったものにする。もちろん応能負担なので、平均的所得の人を中心として上は高く、下は少なくしてやる。年金も同様で、資産と所得の平均像を中心として、上は少なく、下は厚くしてやる。但し当然、下限が生活保護以下に落ちてしまうと生きていけないので、そこは考慮する。必然的にその分、上の負担は重くなる。
少し脱線するが、現状の生活保護は線引きが分厚く、資産のほとんどを吐き出す必要があるなどと適用が難しいが、このような「なだらかな保護」であれば抵抗も少ないと思う。生活保護制度は廃止して、「困窮度に合わせた全年齢年金」にする方が良いのではないか。ベーシックインカムと言っても良いが、通常のベーシックインカムは一律同額支給なので、ここは異なる。
次の地方交付税交付金だが、ここでの問題は主にインフラ整備である。電気ガス上下水や道路などインフラは、自治体には全市民に提供をする義務があるのだが、その対価が過疎地と都市であまり変わらない。近年では水道料の高騰などが地方でニュースになったりしているが、それでもまだ応益負担にはほど遠い状況にある。そして全体として赤字になっている。これを税金で補填しているのだ。
インフラのコストパフォーマンスは、人口過疎地では極端に悪くなる。だから、過疎地ほどそういったインフラのコストは多く負担すべきだ。それは例えば上下水道の料金が十倍になるなど極端な事態を生むだろうが、実際にその費用は掛かっているのだ。
それをなだらかにしようとするのは分かるが、それは自治体の判断だとしても、総額としての費用と徴収額は一致させるべきであろう。そもそもその「なだらかにする」という行為は、都心で必要以上に徴収し、それを過疎地にバラまいているという意味なのだから、都心の住民はそれを受忍すべきである。それもイヤというから借金に逃げる、その積み重ねが今の状態なのだ。
地方交付税交付金は、県をまたいで「都心の受忍により地方を支える」という制度である。しかし、現状では東京都を除く全ての道府県が赤字であり、明らかにバランスを欠いている。総量規制が効いていないので、地方が身の丈以上に贅沢をし、それを都心が支えている状況になってしまっている。
「いや、贅沢だなんてとんでもない」と地方の人は思うだろう。実際に生活は苦しいし、都心よりも所得は少ない。だが、その感覚がこの総量規制の発想を捻じ曲げているのだ。実際には、過疎地に住む人にはもっと覚悟が必要なのに、「なだらかなインフラコスト負担」のお陰でその覚悟が弱くて済む、それが今の状態なのだ。これはいわば茹でガエル状態である。現実はもっと厳しいのに、視野が狭いのでそれが見えていないのだ。
これを解決する手段として、コンパクトシティという発想は既に存在している。要するに「都会へ住みましょう」ということだ。都会はインフラのコストパフォーマンスが高い。すなわち、同じ額でより多くの人にサービスを提供できる。だが日本では住居の自由が法律で定まっており、あくまでも「誘導」であり強制ではない。そして結果としてコンパクトシティ化は成功していないのだから、その誘導は弱すぎると言える。
だから、地方はまずコンパクトシティ化を強力に推進すべきである。これは単に、きちんと応益負担、総量規制で計算すればよいだけである。つまり、相対的に都心のインフラ負担(水道料金など)は今より安くなり、過疎地のそれは極端に高くなる。それらを全て足した額は、コストと徴収額で一致する。そうであれば、結果として住民が居座ったとしても、きちんと負担はしてもらっているので赤字にはならない。
第三のゾンビ企業だが、世界では日本とイタリアでゾンビ企業の割合が突出して高いそうだ。ゾンビ企業は利益を生み出していないので、そこで働いている人は国や自治体の補助や銀行からの借金で生き永らえている。つまり国から見れば一方的なコストになっている。だがそこで倒産すれば、一旦は失業者になるが、他に人材を募集している新しい企業に就職し、そこで利益を生み出すことができる。人材を募集している企業はそもそも人手が足りないから募集しているのであって、その理由はもちろん仕事があるからである。つまり、マクロに見ればこれは新陳代謝である。日本はこの新陳代謝が上手く行っていないのだ。
なぜ日本は新陳代謝が上手くいかないのかというと、日本では、中小では特に、オーナーが会社の借金の補償をしている(無限責任)というケースが多く、会社が潰れると即オーナー一族は地獄に落ちてしまう構造になっているからだ。だからオーナーは倒産を極端に恐れる。そこで金策に走ってとりあえず凌ごうとする。それに呼応して国や自治体も補助をするし、銀行も追加融資で生き永らえさせる。しかしそれで事業が好転するわけでもなく、結局は首が回らなくなって倒産する。その時、金策によって借金は更に嵩んでおり、オーナーの地獄「度合い」はもっと酷くなる。
こういう形態は世界でも珍しく、このためになかなか事業を整理できないのだ。ゾンビ企業を生きながらえさせるためのコストは国家予算ベースで1~2兆円だが、再就職による新たなGDP創出の機会を失っているという観点で見ると、5~10兆円規模の損失になっている。
鷹の視点で見れば、倒産は新陳代謝になるため、悪いことではない。それを阻んでいる悪しき慣習を破壊し、倒産しやすくさせてやるべきである。
ただ、倒産によって職を失う人の全てが、すぐに次の職に就けるわけではない。大まかには10%くらいがすぐに再就職できるが、残りはいわゆるリカレント教育が必要である。海外ではここも充実しているのだが、日本は弱い。だからこれを充実させることはセットで提供する。もちろん失業保険や生活保護(ないしは全年齢年金)も活用することは大前提である。
大雑把に、第一(社会保障)で10兆円、第二(地方交付税交付金)と第三(ゾンビ企業の整理)で5兆円づつ、合わせて20兆円を目標にする。こうすれば毎年の新たな国債発行は10兆円に抑えられ、10年程度掛けて国債費(返済額)を現状の30兆円から20兆円程度に減らすことができると推測できる。この時期には新規国債発行がゼロにできるだろう。これを50年続ければ、国債残高を200〜400兆円程度まで減らすことができる。
この程度までくれば必ずしもゼロを目指す必要はなく、プライマリバランスを再びゼロ近辺にしつつ、余った予算を大胆に投資に回すことができる。

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