「評価の観点(何を見るか)」と「到達レベル(どの程度できていれば何点か)」を、あらかじめ言語化して共有する“採点表”
のことである。論文や記述式テストのように「正解/不正解」だけで測りにくいものを、公平・透明・再現性のある形で評価するために使用する。チェックリストのようなものだが、Yes/Noではなく段階があるところが違う。こうすると、記述式テストを複数の人が採点するときのばらつきを抑えることができ、つまりは客観性のある評価ができる。入試や資格試験ではよく使われる手法である。
さて、今回自民党が圧勝したわけであるが、自民党の公約は各党の中でもいちばん具体性に欠ける部類に入る(ように読めた)。それでもなぜ支持が集まったのかを検証するため、生成AIに「公約のルーブリック」を作ってもらった。
これは、公約の中身自体を批判するものではなく、「公約としての体裁が整っているか」を見る指標であることはまず明らかにしておく。その基準は以下の通りだ。
ルーブリックの観点(各10点×10=100点)
A. 将来像(10)
- 10:10〜20年後の社会像が言語化され、短期政策との整合も説明
- 5:方向性はあるが、将来像が抽象的/短期の寄せ集め
- 0:スローガン中心で、将来像が不明
B. 重点・優先順位(10)
- 10:トップ優先3〜5政策、理由、トレードオフが明示
- 5:政策は多いが優先順位が曖昧
- 0:百科事典化、何が最優先か不明
C. 実施手段(10)
- 10:法改正・制度設計・所管・実施主体まで具体化
- 5:やること列挙だが実施主体が曖昧
- 0:タイトルのみ
D. 工程表(10)
- 10:いつ何をするか(法案提出・開始時期・段階導入)
- 5:期間感はあるが、マイルストーンが薄い
- 0:「検討」「会議体」止まり
E. KPI(成果指標)(10)
- 10:測れる指標(例:税収・賃金・達成期限)を複数提示
- 5:一部のみ指標あり
- 0:評価不能
F. 財源・コスト(10)
- 10:減税・給付・投資の財源を体系的に提示
- 5:一部だけ財源言及
- 0:財源に触れず「検討」中心
G. エビデンス(10)
- 10:統計・研究・過去検証・国際比較を根拠として提示
- 5:根拠はあるが限定的
- 0:根拠なし
H. リスクと副作用(10)
- 10:副作用(インフレ、金利、格差、権利制約等)と対策を記載
- 5:注意書き程度
- 0:副作用に触れない
I. 説明責任・検証(10)
- 10:実行後の検証方法、修正条件(PDCA)まで記載
- 5:検証の言及はあるが具体化が薄い
- 0:検証なし
J. 共創・意思決定プロセス(10)
- 10:国民参加・熟議・第三者監視など制度的に設計
- 5:会議体の設置は書くが、設計が薄い
- 0:プロセスなし/「国民会議」など名称のみ
一つ一つを読めば、至極当たり前のことだと思う。これをベースに、各党の公約を評価してもらった。それが以下だ。
- チームみらい:66
- 中道改革連合:62
- 国民民主党:58
- 日本共産党:56
- 日本維新の会:47
- 自由民主党:44
- れいわ新選組:41
- 参政党:39
私の感覚と概ね合っている。一応、恣意でないことの確認のため、早稲田大学デモクラシー創造研究所によるマニュフェスト比較での評価(上記ルーブリックではなく独自の評価)を貼っておくと、以下のようになっている。
自民党:30点 維新:30点 中道改革連合:45点 国民民主党:40点 参政党:30点 共産党:40点 れいわ:30点 チームみらい:70点
細かい凹凸はあるものの、チームみらいがトップ、次が中道、以下が団子で、自民党はこの団子の中にいるということが分かる。65点を合格とするなら、どちらの評価でも合格はチームみらいだけで、他はダメダメ、ということが分かる。これはあくまでも公約としての体裁を問うているものだが、それがこのレベルなのであれば、実現可能性とか効果とかを論じても仕方がない。
さて、どちらの指標にしても、チームみらい以外は自民党も含めて団子状態、しかも落第点だったわけだが、今回は自民が圧勝した。なぜそうなったのか、
これについて、早稲田大学のマニュフェスト比較「出来栄えチェック」の点数と比例投票率との相関係数を主要8党で比較したところ、相関係数は0.19(ほぼ相関なし)という結論に達した。これと同じ手法で、上記のルーブリックとの相関係数を比較してもらったところ、‐0.07と、これまた相関なし、と出た。
それでは、と、自民党の公約への賛同率を、自民党への投票者と他党への投票者で比較しようとしたのだが、データが揃わず断念した。ただ、消費税減税についてだけは出口調査があって、自民党支持者の方が現状維持比率が高かった。つまり消費税減税には反対の人が多かったわけだ。
これに関して考えられる可能性は二つある。第一は、公約は重要視されておらず、その他(イメージや直感など)で選んだ人が多かったのだろうという考え方。第二は、読む側にリテラシーがなく、公約をなんとなく(勝手に、自分の都合の良いように)解釈して、自民が良さそうに見えた、という考え方である。まあどちらにしても、公約が役に立っていないという点で変わりはない。
まあ、公約はその後の演説やSNSの元ネタになるので不要とまでは言わないが、公約の出来が悪くても国民は気にしないのだ、ということが分かり、何とも言えない気分になった次第である。

0 件のコメント:
コメントを投稿