以前、「魂とは情報である」という仮説
https://spockshightech.blogspot.com/2017/01/blog-post_19.html
を書いたことがある。そこから演繹していくことによって、この問題に挑んでみる。
魂とは、大雑把に言うと、脳というコンピュータに書き込まれたプログラム、及びデータのことである。ただ最近では、脳だけでなく、全身の臓器にも記憶が埋め込まれていることが分かっていて、それはいわゆるメッセージ物質の出易さや出る条件が人によって異なることだ。そういう「癖」も含め、情報は人間を形作っている。
その情報は、新しく取り込まれ消化されるとともに、体外にも出ていっている。例えば本人が揃えた本のコレクションは、その本人の個性を反映している。ブログやSNSでの発言、メールの文面、写真や動画などもそうだ。あの人ならこう言うよね、というのが他の人にも伝わっている、これも情報であり魂の一部と言える。つまり、他人にも自分の魂の一部があり、自分にも他人の魂の一部があると言える。
さてこの情報は、コンピュータの情報と違って明確に線引ができない。つまりこの情報は自分のもの、この情報は貴方のもの、という区別が難しいのだ。ファジー理論ではないが、自分90%、他人10%といったように、情報は交差している。だからよく、親しい人が死んだ時に「貴方の心の中に生きている」みたいなことが言われるのだが、これはその意味で本当と言える。
そして、人が死ぬと、体内の情報はほぼ失われるが、体外に出ている情報はまだ残っていて、それが魂である。だが例えば、体内の情報が9割だとすると、体外に出た情報は1割しかない。つまり、人が死ねば、魂のほとんどは失われるが、全部ではない。ただ、その1割が散逸していて、また自分の中にあるその人の魂の一部は感じられるが、それはその1割の、更にその何十分の1に過ぎない。だからほとんどその人を感じられず、悲しくなるわけだ。
最近中国で流行っている、SNSの発言などを基に死んだ人の仮想人格を作り出す作業は、この1割を再構成して人に分かりやすく見せているものだと言える。なのである意味、これは本物の魂であると言える。1割だけど。
体外に出している情報が多い人ほど、その再現性は高まる。だからもし、24時間365日その人を監視して、映像と音声を撮りまくり、更にその再構成を精密に行うならば、魂の4割とか6割とかを再構築することは、将来的には可能になるかもしれない。
またそもそも、人の魂の形成とは、外部からの情報の取り込みによるものである。本を読み、他人と会話し、運動や経験をするというのは全て、外部から情報を取り込んでいるのである。それを体内で咀嚼し自分なりに構成したものが魂なのであって、であれば(本人が接する)外部情報だけ取り込んだとしても、魂の再現はある程度可能になるはずなのだ。ここらへんの考え方は、やはり以前に書いた「中国語の部屋」
https://spockshightech.blogspot.com/2017/05/blog-post_26.html
と同じである。
ここで表題の「人は死んだらどこへ行くのか」を改めて考察してみると、次のようになる。
まず肉体的には消滅する。日本の場合はほとんど火葬なので骨しか残らないが、魂(情報)はその残った骨にはほとんど残っていない。手術をした関節ジョイントの跡とか歯型とか、全くないわけではないが、多くの場合それは魂と言えるようなレベルではない。そして、その他の方法で体外に出ていた情報を統合することは可能だが、その再現性はおそらく1割以下で、高くない。また、その再現性を高める工夫をすることは可能であり、それは本人が体外に出していた情報をできるだけ多く集めることだ。その統合にはAIを使うことになるのだろう。元々情報なのだから、肉体のように単一のものではなく、その集め方や分析の仕方次第で幾らでもバリエーションが生じることは考えられるし、コピーも資放題だ。
この場合「どこへ行くのか」とは、「コンピュータ上の情報になる、それ以外は散逸して何れはノイズ(雑音)に埋もれて消えてしまう」ということになる。
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