コロナ禍ではあまり本ブログを更新しなかったが、この間は陰謀論が跋扈した時期でもあった。コロナは存在しない、ワクチンは危険、アビガン買いだめ、マスクは意味がないなど、実に様々な陰謀論が飛び交った。
この手の人は今だに存在しており、体感としてはむしろ増えている。それも、身の危険を感じるほど増えているように思う。ある程度以下であれば笑い飛ばしたり無視したりしていれば良い話なのだが、これを真面目に語っている人がある程度以上増えてくると、それが世論となってしまい、マトモなことを言っている人が逆に疎外されてしまう。さすがにこれは危険である。
一般的に言って、陰謀論の多くは誤りである。だが例えば、月着陸はウソだとかいうものについては、直接的な国民への害はない。これに対し、コロナ関連については人の命に関わるものであり、つまりは陰謀論を信じてしまうと人が死ぬため、明確に害悪である。これに危機感を感じ、私はあちこちで陰謀論者と議論をしてきた。彼らは自分の考えの誤りを認めることは無かったが、沈黙する(反論を止めて去る)ところまではいった。多くは内心では考えを改めてくれたのだろう、と勝手に信じている。
だが、コロナ発生からもう4年も経っているのに、過去に否定済みのものと全く同じ理屈で全く同じ陰謀論を唱える陰謀論者は、後から後から出てくる。これには流石に疲れる。彼らは以前の議論の記録など知らないし、読めと言っても読まないから、また一から同じ議論を進める必要がある。面倒なことこの上ない。
まあ、後から出てくる陰謀論者は言わば新人であり、彼らにとっては新発見なのだろうから仕方がないことなのだが、こちらからすれば同じことの繰り返しであり、気力の継続にも限度がある。これは個人のボランティアではなく、学校教育で何とか対処して欲しい事柄である。
情報の科目がようやく受験科目になった。そこで大学入試センターの「情報I」模擬試験を見てみたのだが、いわゆる情報リテラシーに関する問題は1問も見つからず、がっかりした。プログラミングも統計処理も大事だろうが、情報リテラシーを教える方が遥かに重要ではないだろうか。確証バイアス、フィルターバブル、エコーチェンバー、生存者バイアス、チェリーピッキング、疑似科学、敵対的メディア認知、悪魔の証明、統計情報の正しい読み方、論理学の初歩、といったものをしっかり教える方が、人生においては遥かに必要なことだと思うのだ。
プログラミングができたとしても、陰謀論を信じてワクチンを接種せず、その結果としてコロナに感染して命を落とすようでは困る。いや、困るどころの話ではなく、個人的にも国にとっても多大な損失である。そしてその陰謀論がはびこってきたのは、情報過多の時代に合わせて情報リテラシー教育をすべきところを怠ってきた、教育の責任ではないだろうか、と思うのだ。
今からでも遅くはないので、情報の教育の半分は情報リテラシーに充てるべきだ。残りの半分は、従来のものを圧縮して教えれば良い。文科省の皆様には、ぜひ検討して頂きたい。
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