大きく考えると、まず第一に、
https://spockshightech.blogspot.com/2024/10/ai_01917150723.html
のところでもちょっと触れたのだが、「作品タダ乗り」への反感が大きい、ということが考えられる。第二に、人間が描いたものだと思ったらAIだったということに裏切りを感じている人もいるようだ。
タダ乗りへの反論は以前にしているので、ここでは後者を考えてみる。そこには二つの可能性がある。一つは、自分が知っている(贔屓にしている)特定の誰か(イラストレーター)の作品に似ているから、その人の作品だと誤解してしまった(誤解しがち)というもの。もう一つは、単純に人間の描いたものだと思っていたらAIだった、というもの。前者は著作権の問題であるが、上のように本人が承諾しているなら問題ない。そうでなければ著作権違反で、この問題ははっきりしている。問題は後者だ。
ここには一つの偏見がある。人間が描いたイラストとAIが描いたイラストではAIの方が価値が低い、というものだ。
確かにAIは、人手で描く何百倍もの速さで一定の品質のものを生み出すことができる。だからといってその絵の価値が低いわけではない。同じ質の絵は同じ質の感動を生み出すものだ。
そうではなく希少価値のことを言っているのなら、確かにその通りだ。AIは大量に高品質のものを生成できるので、絵一枚当たり幾ら、と値段を付けてしまえば、確かにイラストレーターのそれよりは大幅に安くなる。だがそれは工業製品と同じく、大衆化、普及という価値も持っているのだ。我々は毎日、大量生産によって人手では到底作り得ないモノ、あるいは人手では高価で買えないモノを、日常的に使っている。それは間違いなく「恩恵」である。
ハンドメイドにこだわりたい人は高いカネを出して買えば良いが、その人が大量生産品を否定するのは間違っている。イラストに工業的大量生産品は今まで無かったからそういう偏見も生まれるのだろうが、時代は進んでいるのだ。それは認めるべきではないか。
今後の生成AIは、イラストレーターのだれそれに似ている絵も描けるし、誰とも似ていないオリジナルの画風も作れるようになるだろう。そんな中で、従来の意味でのマンガ家やイラストレーターは姿を消していくかもしれない。でもそれは消滅するという意味ではなく、道具としてAIを使いこなす作家が増えてくるという意味だ。これからのマンガ家は、自分の手で絵を描く必要はない。AIに描かせるが、そのタネやプロンプト、AIの学習やカスタマイズで望みの絵を描くのだ。それは十分にオリジナルであり、タダ乗りなどではない。絵としての価値も十分にある。
似たようなことは、既に音楽業界で起きている。ゲームのBGM等では既に、音楽生成AIによる曲が多数蔓延っており、そのことは誰も気にしていない。従来の意味での作曲家編曲家は徐々に減り、一方で音楽生成AIを使いこなす作曲家編曲家が増えていく。その過程で音楽の質は平均的に高くなり、全体量としても増える。それを俯瞰してみれば、音楽業界は発達したと見ることができる。同じことが今イラストで起きているに過ぎない。
今後、静止画のみならず動画までがAIで生成される時代が来る。世に出る殆どの音楽、絵、動画、文学が、生成AIの作になる、という時代までが容易に予想できる。そんな中での生成AIアレルギーは、結局「ラッダイト運動」に過ぎないのではないだろうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ラッダイト運動
ラッダイト運動に参加した労働者は、結局職を失った。だが多くの労働者は、時代を見据えて頭を切り替えた。既得権にしがみつくだけの頭の硬い連中は、結局は滅びるしかないのだ。
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