2024年10月17日木曜日

AIと著作権

 


AIの学習に関する著作権の問題は、実は日本が一番先進的だったのだが、欧米の動きを受けて後退している。学習のためにオープンな著作物を使うことに許諾や対価は必要ない、というのが従来の立場だったところ、オプトアウト(許諾制)にして対価も払うべき、という方向に変わりつつある。

個人的には、対価は不要と考えている。つまり文化庁の旧来の見解が正しいと思っている。なので今の動きは残念に思う。なぜかについて、以下に説明しよう。

文化庁の基本的な考え方は、学習段階ではAIはまだ何もしていないのだから不要、というものだった。AIは学習の段階では何も出力していない。もし何か出力したものがあるのなら、更にそれが既存の著作物に似ているなら、当然これは著作権侵害の対象になりうるのだが、何も出していないのに許諾や対価を得る根拠はない。AIの内部に情報は確かに溜まっているが、溜まっている(だろう)から対価が必要という理屈にはならない。そしてもちろん、出力に対してはいちいち著作権侵害の確認は必要であり、場合によっては対価は発生する。自分としてはこの考えに賛成である。

これに対し、米国脚本家組合のようなところが強硬な反対をしていて、米国では学習の段階で対価を発生させる潮流ができている。日本がこれに倣って見解を変えようとしているのだ。また日本でも作家等が同様の見解を出していて、それに同調するという意味もある。

彼らが言うには、AIの学習は「知識知見等へのタダ乗り」だそうなのだが、繰り返すがそれは出力に対して権利行使すべきである。学習の段階で主張するのは根拠がない。

なぜなら、人間の学習だってAIのそれと同じだと考えるからだ。つまり、人は生まれてから今までの間、絶え間なく大量の著作物に接してきた。自分が書いているこの文章はあくまでも自分の考えで書いているが、これだって過去の大量の著作物を学習した結果として出力しているのである。であるなら、彼らは(著作物には触れた)全人類に対して対価を要求すべきではないだろうか。

人間の学習では対価を要求されず、出力でのみ要求されるのに、AIで学習に対価を要求するのは整合性が取れない。これが自分の考え方である。

ただ、これは一方で、DVDレコーダーにあった私的録音録画補償金を彷彿とさせる。つまり、録画行為はそれだけでは著作権侵害とは言えず、しかし個々の録画の著作権侵害をいちいちチェックするのは事実上不可能だから、広く浅く補償金として徴収する、という発想だ。AIは何れ出力をするが、それをいちいちチェックするのは不可能だから、学習したことが確認できた段階で補償金として徴収する方が簡単ではあり、こちらにはそれなりの道理がある。

だから、私的録音録画と同様の「補償金だ」と言うならまだ理屈は通る。だが「タダ乗り」という今の言い方ではとても納得できるものではない。

学習の段階で課金すると、学習自体にコストが生まれる。これは端的に言えば技術の発展を阻害するものだ。研究段階で、つまり世に出ず世間から料金を回収する目処がない状態で課金されてしまうことになるからだ。これだけで日本が世界に遅れる要因になりかねない。

もう流れは止まらないのではあろうが、自分としては学習段階での課金には断固反対である。

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