2017年5月21日日曜日

本は読むべきか


今時の人の情報入手手段はWebサイト、キュレーションメディア、ソーシャルメディア、などだそうだ。昔、本を読まないことは恥ずべきことだったのだが、今はそうでもないらしい。新聞を読むか読まないかというのもそうらしい。自分はどちらも読むべきだと思っているのだが、この意識のギャップを考えてみると、結構興味深い。技術論にも通じる話である。
ダイソンの羽のない扇風機が発売されたとき、その発明のきっかけが技術者の偶然の発見によるものだということが紹介された。だが実際には、その現象は何十年も前に発見されていた「コアンダ効果」というものだ。ダイソンのHPには未だにこの記述がないが、もしダイソンの技術者が最初からコアンダ効果について知っていたとしたら、この逸話は別のものになったはずだ。
発明や発見の動機となるのは「不満」だ、とよく言われる。だがベースに必要なのは知識だ。ある不満を解決しようとして、その手段について多くの引き出し(知識)をもっていればいるほど、解決はたやすくなる。そしてそれは普段からの積み上げが大事で、いざ発明しようと思ってから勉強し始めても遅い。
この場合の知識は、特定のジャンルに偏っていてはいけない。上の例の場合、作ろうとしていたのは扇風機だが、それには電気工学、電子工学、材料工学、流体力学、色彩学、人間工学、微生物学、経済学、更には芸術的センスなど、必要な知識は多岐に渡る。
これを全部学問として習おう、極めようとするのは困難だろう。だが普段から新聞を読んで、興味が出たら本を読む、ということを繰り返していけば、平均的な教養は身につく。これをWebやソーシャルメディアだけで完結させることは不可能ではないが、そのコスト及びコスト対効果、またカバレッジを考えると、相当に不利だ。
新聞や本は纏まった知識を得る手段として非常に優れていて、オンラインメディアではまだ(平均的に)対抗が困難なのが現状だと思う。その理由は以下の通り。
    1. 元々新聞は、世の中が必要とする情報を満遍なく提供することを責務としており、一通り読むことが世間の平均的な興味を網羅していると言える。これに対しWebサイトは、それがたとえ新聞社のニュースサイトだったとしても、一覧として纏まっていない。自分が見たいところだけをつまみ食いできるし、記事の重要度(ランク)付けが極めて弱く、何が世間の興味なのかを実感しにくい。
    2. 新聞には、ニュース単体だけでなく、解説記事や別の連載、投稿による意見交換、広告、紙面構成、更には入ってくるチラシなど、様々な種類の情報がある。これを総合して閲覧することで、広い意味で時代の空気を読むことができる。これに対し、キュレーションサイトやWebの最適化広告では、自分の興味に合わせて情報が選択されるため、世の中の動きとは乖離してしまう。
    3. 新聞社以外の、国や企業等のサイトは、新聞社のような平均化バイアスと無縁でいられるため、載っている情報の偏り、質、正確性にばらつきがあり、そのばらつきを見極めにくい。
    4. 有料サイトの認知度が低く、多くのWebサイトは無料で閲覧できる。これはプロによる正しい(精査された)情報と、素人が偏見で作る情報の識別をしにくくしている。
    5. 同じく有料情報への認知度が低いため、読者数が少ないが専門性のある情報が、Webサイトには載りにくい。ネットサーフィンを幾らしても見つからない情報が、本を1冊買うだけで簡単に手に入る、ということはよくある。
    6. 本は基本的に有料であるから、作る側にも一定の精査がある。情報の質、量、共に充実していることが多い。分量がある程度多い知識を載せるには本の方が有利だ。
    7. Webサイトの情報を読むには、PC、タブレット、スマホなどが必要である。これは長時間文書を読むのに適していない。これに適した機器としては電子書籍端末があるが、もちろん読めるのはWebサイトではなく、電子書籍だけだ。
    8. 本には、本屋や図書館という、本を選ぶのに適した仕掛けがある。ざっと見回すだけで相当量の情報が手に入るし、専門家(司書や店員)に聞くこともできる。一方でWebは検索が主体となるだろうが、一覧性で大きく劣る。情報にたどり着くまでの経路として、圧倒的に不利だ。
    9. 精査していないが、ニュースの類では負けるにしても、実際に頒布されいている専門知識の質×量で比較すれば、本の方が圧倒的に勝ると思う。
現状のキュレーションメディアやWebサイト、Web広告などは、パーソナライズがされている。つまり自分の興味がある情報を多く、そうでない情報を減らす工夫がされている。これは娯楽としては正解だろうが、教養というのは本来そういうものではない。
嫌いなもの含め何でも満遍なく読むことこそが教養であり、その人のベースラインを引き上げるものだ。もし今の人がそういう発想がなく、娯楽(興味本位だけで動く)を主に、教養を高めることをあまり考えていないというのであれば、今の人の考え方にも納得できる。
「低欲望社会」というのは大前研一氏の主張だが、そんな時代には教養を高めることへのモチベーションが起きないのかもしれない。だが、教養は出世のためだけではなく、自分の精神的な幸福感にもつながると思うのだが。

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