2017年6月12日月曜日

遺伝子操作の果て①


映画「ガタカ」は、以前NASAの「現実的なSF映画」で1位に選ばれたそうだ。実際に見た感想としては、ちょっと検査が行き過ぎのような気がする。また、適正者同士であっても競争はあるはずだし、非適正者との差がそれほど隔絶しているとも思えない。恐らく適正化には多くの段階があり、料金もアナログ的に異なるはずだ。更にはその技術レベルも進化し、時代と共に古い人間の遺伝子的な価値は徐々に下がってきてもおかしくない。
ゲノム操作など遺伝子操作は、受精卵に適用しなければならないから、一度育ってしまえばその恩恵には授かれない。もちろん将来的に育ってしまった個体のゲノムを書き換えることもできるようになるかもしれないが、その難易度はゲノム操作とは比較にならないから時間もカネも掛かるだろう。
もし遺伝子操作が安全にできるような社会になったとしたら、どのような操作をしたいと思うだろうか。大きく分けると次のようになるだろう。
  1. 病気になりにくい体。遺伝子病に限らず、あらゆる病原菌、ウィルス、プリオンなどに対抗できる。また、不快害虫を寄せ付けない、刺されても咬まれても平気、など。
  2. 老化しない体。寿命を長く、また年齢を重ねても健康でいられる。
  3. 高い運動能力。スポーツ選手や山登りなど。更には他の動物との格闘で勝てる(アフリカで暮らせる)、体が頑丈、など。
  4. 高い生体再生能力。腕を切られても生えてくる、怪我が直ぐ治る、など。
  5. 環境適応力。暑さ寒さ、強い日射、文明的な悪環境(高二酸化炭素、PM2.5など)、更には高山深海、水の少ない環境、少ない食料、宇宙(火星移住、真空・放射線)など。
  6. 高度な知能、交渉力、統率力など、社会的行動への適応性が高い性格。
映画「エイリアン」に出てきたエイリアンの生体能力は非常に高かったが、知能はそれほどでもないように見えた。もし生体能力が十分に高かったら、知能もあまり必要ないように思える。人里離れた山奥でも十分に暮らせるなら、わざわざ都心に出てきて、汚い空気を我慢して、覚えたくもない知識を覚えて、したくもない仕事を続けることもない。
もちろん遺伝子的には両立することはあり得るので、後はどちらを好むか、という性格の問題になる。大人しく平穏に生きたい人と、(人を押しのけてでも)成長しようとする人の差だ。当然ながら、新たに得た能力を活用して、後者が前者を圧迫する図が生まれる。
で、これを考えてみると、「今でもそうじゃん」と思えるのだ。欧米を中心とする拡大指向の人が(いわゆる)新興国の生活圏を侵食している図が、そのまま当てはまる。北アメリカ、オセアニアはもはや白人の国になってしまったし、南アフリカや西アジアもだいぶ侵食されている。東南アジアでも思想的にはだいぶ染まってきた感がある。つまり、これを以ってしても、拡大指向の人がそれ以外の人を侵食する構図は変わらない。
結局、技術が地球を救うことはない。何時の時代でも、問われるのは科学者の良心ではなく、総体としての人類の良心である。

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