別稿「生きていくための知識の量」で、時代と共に生きていくために必要な知識の量が増えていく、という話をした。このまま行けば、何れは人のキャパシティを越えてしまい、立ち行かなくなる。だが一方でそんなはずはない、人が生きていくための知識の量なのだから、とも思える。その落としどころは、個人のキャパシティを越えた部分については機械(AIなど)に頼る、というものになるのではないか。
一人ひとりに優秀な秘書がついているようなもので、例えば国や自治体が出している補助金や助成の類がくまなく使われる、小手先の詐欺に引っかかりにくくなる、中小企業の経営が安定する、といった社会が想像できる。これは総じて言うと、平均化される、特に極端な失敗が減ることを意味している。
そして、これに人が頼るようになると、今まで何とか人の頭の中にあった知識までもがAI側で担保されるので、そもそも覚えておく必要がなくなる。つまり、知識自体の総量は増えたとしても、人間が「覚えておくべき」知識の量は、人類史上初めて減ることになる。
こうなると、色々と社会構造の変化が想像できる。
- この時代では、知識が多いことがステータスではなく、知識の使いこなしの賢さがステータスになる。これは、例えば大企業の社長のように、要点だけは理解して専門家たる部下を使いこなす感覚だろうと思われる。このため、ある程度の学問は必要であるし、それも専門家ではなくゼネラリストの才能が必要になる。
- 人間同士の対峙においてもAIの補助が入るから、これは人間をも平均化する。例えばコミュニケーション能力や問題解決能力、想像力、創造力といった類だろうか。
- これは基本的に「底上げ」として働くため、貧富の差を圧縮したり、底辺犯罪の類を減らす効果がある。
- 突出した人財は出にくくなる。これにより、突出してヒットを飛ばす企業も減る。
- 学校で教わる内容が、勉学から、こういった能力の育成に変わる。
- あらゆる場面で社会的ルールからの逸脱が減るため、社会全体の効率は向上する。締切を守る、ウソをつかないなど。
- 最先端の知識を持つ技術者や科学者は強力な武器を得て、発明発見新製品の類は加速する。
- 但し、知的所有権の類の価値は低下する。回避策の向上や類似品の多発、興味の多様化などにより。
- 実業を志す者と、発明発見を志す者とで、明確に進む道が分かれていく。恐らく、後者は前者に転換できるが、逆は困難になる。つまり後者の価値が高くなる。
- ブラック企業は減り、転職は容易になる。終身雇用が減り、起業が増える。
- 政治家はやりにくくなる。世論の操作が難しくなるからだ。ただ衆愚にはなりにくい。
- 無差別なサイバー犯罪は減り、ターゲット型が主流になる。また大規模なものは起こりにくくなる。
- 生産的でない仕事・趣味を生きがいとする人が増える。芸術、冒険、スポーツなど。
- AIを前提として省略されるものが増えてくる。商品の取説、交通標識、契約書など。
- コンピュータ障害が起きたときのダメージが大きくなる。
- 教育格差が減り、貧困の世襲化が起きにくくなる。
いわゆる「偉い人」でも、態度が悪く腹の立つ人というのは多く居るものだが、AI秘書が誰にでも就く時代においては、偉い人は例外なくそれなりに尊敬できる人になる。まあ夢想というよりは願望に近いのかもしれないが、そんな世の中になって欲しい。
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