「スタートレックの時代は来るか」で考えた未来像は、結局人類のサステナビリティの成否を決めているような気がしてきている。
二酸化炭素、石油資源、原発、水収支、戦争、差別、人口爆発など、よく言われる地球規模での不具合は、究極には全て「(一部の)人類の過剰な欲」が原因である、というのが自説である。そして過剰な欲の根元を訪ねると、幸福感の欠如にたどり着く。
この「過剰な」というところが何に対して過剰なのか、というのは定義しておかなければならないが、それは地球のサステナビリティとしてよいだろう。地球の様々な資源のプライマリバランスが均衡している状態を保てないものは過剰だ、と定義する。但し、プライマリバランスがおかしくても、人類の生存に影響がないのであれば除外してよい。
その視点には様々なものがあるため、それらの視点間のバランスもまた重要であるが、あまりに複雑系に過ぎるため、人智での評価はできないはずだ。また、そこではどうしても、個々の人間の幸福感の平均値とのバランスが必要になる。ただ、ここで重要なのは、人間の幸福感を最大化することが目的であってはならない、というところだ。
プライマリバランスを重視するためにどうしても特定の種類の幸福感が減ってしまうところは、他の幸福で補うようにする。幸福感は、結局は脳内物質のバランスなので、例えば食料が少ない場合は社会欲求を満足させることで補う、などができる。子供が二人ほしいところ一人しかできなくても、その一人がとりわけ可愛くて優秀なら気も紛れるだろう。
しかしそれでも限界はある。問題なのは、サステナビリティを優先にした結果、平均的に不幸感が強い社会になってしまったらどうするか、ということ。もしこうなったら、人類そのものが地球にとっての文字通りの癌、ということが確定してしまう。
これを挽回することは多分できて、それは人類の総数を大幅に減らすことだ。以前も言った通り、人類の絶対数が大きく減ればサステナビリティは向上するからだ。戦争でも疫病でもよいから、とにかく人類の数を半分などにする。それ自体は大きな不幸だが、それ以降の人類は幸せになれる。その上で産児制限をすれば、幸せを維持することもできるだろう。
でもこれは、AIの反乱に見えるかもしれない。AIは人類を生かそうとしているのに、それに背いて人間がAIに反乱する、結果人類が勝利する、そして滅びる、という、チンケなSF小説のプロットも、そうバカにできたものではない。
もしかしたら地球上で最も幸せなのはシャチなのかもしれない。
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