2017年6月10日土曜日

野性の勘は不要か


AIの発達で、何でもかんでも人間よりAIの方が能力が上、という時代は来るかもしれない。従来、コンピュータの欠点として、新しいことが苦手とか突飛な発想ができない、というのはSFでも定番だったが、AIはそんなことも吹き飛ばすかもしれない。
 
人間は文明のおかげで野生の勘をずいぶん失ってきた。耳や鼻が動かないとか、腐った食べ物を嗅ぎ分けられないとか、戦いに勝てるかどうか、危険の察知、雨が降るかどうか、新製品がヒットするかどうか、などだ。
 
AIが相応に信用できるなら何でも尋ねればよい。だがそういう時代において、野生の勘を鍛えるようなことは不要になるのだろうか。
ここには、幾つかの視点がある。
  1. 本当に全ての事項についてAIに負けるのかどうか。AIにも苦手なことがあるのではないか。あるいは平均的には負けても、個人単位で見れば特定の分野ではAIに勝てる、ということはあり得るのではないか。
  2. AIが動かない、頼りにできない場面はあるのではないか。戦争動乱、天変地異、停電、電波障害、電磁パルス、経済的にスマホが買えない、料金が支払えない、生活弱者、宇宙や僻地、など。但し、もし滅多にないことなのであれば、コストパフォーマンスが重要であり、その間は我慢する、という考えもある。
  3. 実用としての野生の勘ではなく、それを鍛えることに何か別の意味があるのではないか。例えば危機を察知する能力はビジネスに応用できるのではないか。あるいは単純に、脳を鍛えることになるのではないか。
  4. 将来的に、AIを人間の脳に組み込むことができるようになる可能性。
まず1.だが、現状ではまだまだAIは頼りない。当面は安心だ。だが将来、AIが全ての面で人間を超えることは十分に考えられる。それどころか人間を遥かに超え、とても敵わない、と諦めざるを得ないほど強力になることも考えられる。
2.は、AIが動かない状況というのは恐らく生命の危機にも瀕している場合が多いと考えられる。このときだけのために勘を鍛えるというのは、人によっては価値があるだろう。だがコストパフォーマンスは悪いから、そういう人はごく少数に留まるはずだ。また、自分が使えなくても周り(の社会)のAIが全滅と言うことは考えにくいから、周り(のAI)が自分の危機に気付いてくれるような社会になるはずだ。秒速で弾を避けながら走るとか、地割れを避けながら逃げるような場面を除けば、殆どの場合はAIが一時的に動かなくても問題はないだろう。
3.は大いに考えられることだ。だがそれを補って尚余りある勘をAIが持つならば、多くの人は適当なところで妥協するだろう。とりあえず筆算は習うが実用では電卓を使う、というような感覚だ。
4.があれば、1.2.3.の問題は全て解決することになる。この時代には、野生の勘は完全に不要である、と結論付けられるだろう。AIを鍛える方が、効率もよく労力も少なく的確な勘が得られるからだ。

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