2017年3月15日水曜日

著作権ビジネスの終焉


人工知能が絵画や音楽を作り上げるような時代になってきている。このような場合、その著作権は誰に属するべきか。ソフトの開発者か、ビッグデータの提供者か、学習作業をさせた者か、スポンサーか、・・・ という問題が話題になっている。
個人的には、この問題には決着が着いてしまっているので興味がない。それどころか、将来的にはこういったコンテンツは全て無償で手に入るようになり、ビジネス自体終焉するのではないかとすら思っている。
つまり、人間が絵を1枚描く間に人工知能は百万枚描き、その全てに著作権を主張できるわけだ。人間が描いた1枚は、既に著作権がある百万枚の絵のどれかに似ているから、人間は著作権を主張できない。人工知能の絵に事実上の創作性がないとして著作権を認めないなら、人間のそれも認められないことになる。著作権のない絵に類似しているからだ。人間にだけ認める、というのも難しい。それが本当に人間が描いたものかどうかを判断するのは、時代と共に困難になるはずだ。
百万枚の絵に創作性がないとは一概には言い切れない。それは百万人の人間の個性に合わせて創作されている、ということもあり得る。つまりバックボーンにはビッグデータによる人間の好みの解析があって、それに基づいて描くのであれば、創作性が認められる可能性はある、というわけだ。
インディーズ音楽が容易に手に入るようになって、音楽は世に溢れている。わざわざカネを出して聴くものよりも、自分の好みに合わせてそれらからチョイスした、あるいは人工知能が作った音楽の方が心地良い、となってしまえば、いわゆるヒット曲のようなものはなくなり、人は好き勝手に(無料の)自分の音楽を聴くことになる。
文章や映画でも安泰とは言えない。何れは同様のことが起きるはずだ。総じて、人が芸術の領域で著作権を主張することは敵わなくなり、あるいはできたとしてもその権利料は大きく減る。プロとしてその権利料だけで生きていく人は大きく減少するはずだ。
更には、意匠権や特許のような知的所有権に関しても同様の危険がある。そういったもの(一度に百万件も申請するようなもの)が出てくれば当然特許庁はパンクだから、意図的にそうすることもあるだろうし、あるいは公開してしまって他が主張できないようにする、という戦略も可能だ。そうなるとそこで稼ぐことはできず、「考えたもの勝ち」ではなく「作ったもの(売ったもの)勝ち」の世界に逆戻りする。
コピービジネスが復活するとも言えるが、流行りモノは無くなるので、何を作るべきかのセンスはむしろ重要になる。大量生産もできないから、一つ一つのモノの値段はむしろ上がるかもしれない。
もっとも、知的所有権ではない権利(地権、水利権など)は残るから、権利ビジネス自体が消滅するわけではない。

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