2017年3月30日木曜日

AI寿司職人は美味い寿司を握れるか


これは、上の記事への反論である。
記事の流れについては先のリンクを読んで頂ければと思うが、大きくはその結論として①AIには想像力がない(苦手)、②日本人には世界に稀に見る想像力がある、となる。どちらも賛同しかねる。
だが、もちろん世の中にはこれよりもっと無茶苦茶な説がいっぱいあるし、それらにいちいち反論するのも大人気ないことだ。この筆者に対しても蔑みも怒りも恨みもない。この記事を取り上げた理由は、AIに対する世の中の人の見方がよく現れている、と思ったからだ。
実は、これを読んだときにデジャヴがあった。それは、コンピュータが普及し始めたときによく言われたことで、「コンピュータはデジタルだから微妙な判断はできない」「イチかゼロかしか分からない」「冷たい」といった類の話だ。今ではこれを信じている人は誰もいない。
確かに、現代のコンピュータはデジタルで動く。だが、人間の網膜の解像度を超える細かさで処理ができるし、人間が認識できる限界よりも細かい色数を表現できる。ファジー関数や確率論モデルは当時からあった。りんなさんのボケに笑う自分もいる。デジタルであるかどうかとコンピュータが冷たい答えしか出さない(ように思われる)こととの間には、本質的な因果関係はない。
上の記事に見られるAIに対する誤解は、「正解がある問題では得意でも、想像力創作力を必要とする問題は苦手」というものだ。これも広く言えばコンピュータそのものに対する誤解でもあるのだが、実際問題として、AIに創作料理を作らせる実験、ショートショートを書かせる実験、作曲をさせる実験、絵を描かせる実験などは、既に行われている。創作料理の実験では、人間では思いもよらなかった料理が出てきて、実験者はびっくりしたそうだ。
AIは確かに既存のデータを使うが、そこから出てくる結論が想像力に欠けるかと言えば、そうではない。その理由は、人間が創作力の産物だと思っているもののほとんどは、冷静に判断すれば既存のものの組み合わせであるからだ。分かり易い例は音楽で、使える音階とテンポの範囲は限られているから、その組み合わせたるメロディは既に出尽くしている。今初めて聞いた新しい音楽に感動したとして、それが確かに新曲だったとしても、コンピュータに作り出せないわけではない。
いや、それが感動するかどうかは分からない、という反論もあるだろうが、人間が心地良いと思うメロディには必然的な傾向があり、音楽理論などのベースもあるから、AIとしては比較的簡単な部類だろう。むしろ、AI以前の既存の手法でもできるくらいだ。
寿司には三つの観点が挙がっている。まず鮮度の目利きだが、これは筆者もAIである程度可能になるだろうと認めている。次は、その素材をどう加工するかを見極めることが生鮮品である故に難しい、ということ。最後はスペシャリテ(創作寿司)である。確かに音楽より遥かに難しいだろうとは思う。だが、インプットとフィードバック(正解)をどうするかさえ解決できれば、何れも学習可能だ。
寿司のネタの加工は、どう切るか(厚さなど)、また場合によっては調理(煮る、酢漬け、卵焼き、味付けなど)方法だ。また創作寿司の方は、普段のメニューとは異なる寿司をその場の判断で行うことだ。だが、市場で売られている食材は無限にあるかというと、そんなことはない。調味料にしても加工方法にしても、数学的には有限だ。プロの寿司職人と言えど、その有限の組み合わせの中から一つを選んでいるに過ぎない。それが鮮度と組み合わさったとしても、有限であることに変わりはない。
上のスペシャリテの例では、「中トロに小魚の骨を煮詰めてつくったみぞれを掛けて食べる」「スルメイカの肝乗せ」が挙がっている。何れも「素材」「素材毎の加工法」「組合せ」に分解すれば、素人でも想像の範囲に充分収まるものだ。後はそれを素晴らしいと思うか食べたくないと思うかだが、こちらは学習に頼ることになる。
そんなもののデジタル化は難しい、とは限らない。例えばクックパッドのサイトに行けば、料理の写真とレシピがデジタルになって載っている。寿司のメニューは少ないが、学習は寿司に限らずともよい。評価も一緒に取得可能だ。あるいは料理本などから学習することも可能だろう。他にも、売上データを見たり、顧客の反応を音声や画像からフィードバックさせることもできるだろう。
人間が、その創造力に対して過大な自尊心を持っているのではないか、というのは、AIに対する反論を多く聞いていて思うことの一つだ。実際には有限のものの組み合わせに過ぎないのに、その組み合わせが人間の理解の限度を超えると途端に神々しい世界に飛んでいってしまって、それが素晴らしいもの、誰にも(機械にも)マネできないモノ、と思ってしまう。
組み合わせ方は、その母数が増えるほど豊かになるし、美味い組み合わせへの勘も働くだろう。それには長年の経験が必要で、つまりは苦労が伴うから、人がそこに価値を見出してしまうのはしょうがない。だがAIはそこを一瞬で終わらせてしまう。しかも、単独の人間の経験を遥かに超えて学習できるのだ。感情的には腹立たしい限りではあるが、技術論は別だ。
自分としてはむしろ、AIの方が斬新な創作寿司を出してくれる期待の方が高い。そうすれば、高級店でなくとも回転寿司で創作寿司が頼め、且つ美味しく、種類も多数出てくるとか、安い素材でも調理で工夫して美味しくしてくれるなど、様々な楽しい未来が夢想できる。
もう一つの、②日本人には世界に稀に見る想像力がある、に関しては、技術的な反論ではないので、ここでは論じないことにする。

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