ものの本によると、難民と言われる人たちの総数は数千万人だとか。国が幾つか作られてしまうような数だ。少々の寄付ではとても追いつかないことが分かる。
難民救済のプログラムを調べてみると、やはり圧倒的に支援規模が足りないため、初期の権利補償や生活保障などが精一杯で、難民が難民でなくなる(通常の市民になる)ことへの道のりは遠く、とても数千万人規模には追いつかない。
難民がお荷物なのは支援が必要だからだが、支援が必要な理由は自立していないからだ。つまり「働くことができない」からなのだが、そもそもなぜ働けないのか。日本では難民認定されないと働けないことになっているが、そうでない国もあるそうだ。だが都会にそういった人たちが何万人もあふれ出て職を探しても、まず見つからない。自国民でさえ失業率何%という時代だ。そう簡単に見つかるはずがない。
先進国に溶け込むような形での非難民化は、規模の点で無理がある。例えば日本なら、どんなに田舎であっても数十人が一気に来たら大いに警戒されてしまうだろう。自治体枚に1家族4人程度が毎年、と仮定すると、年間数千人が限度になる。先進国数十カ国で同様なことをしたとしても、数万~数十万人が限度だ。もう二桁足りない。
難民でキャンプを作るような方向性が今の状況ではないかと思うが、これがスラム化してしまうのは自然の理だろう。未開の地に住まわせるのなら、そこを開墾してもらうくらいの気概がないといけない。さもなくば飼い殺しだ。受け入れないより始末が悪い。
そもそも人間は、適当な広さの、適当な環境の土地さえ与えられれば、それなりに生きていけるものだ。そこで農業をすれば、当面は食べていけるからである。別稿で
「国際救助隊」
を投稿しているが、この技術は難民救済にも使える。但しこれは広大な未開の地がある場合に限られる。その地を開墾することができれば、支援は1~2年で済むことになるばかりか、その後はプラスの価値を生み出すことになる。
その地に合わせた農産物の選択と育成ノウハウ、そしてセンサがあれば、初年度からそれなりの収穫が見込めるし、必要な収穫量から逆算して耕作面積を割り出すことも可能だ。そういったハイテクの部分のみ先進国が提供することとして、未開の地を多く持つ新興国に難民を引き受けてもらえれば、新興国にとっては国力の増強になり、先進国はその技術を磨くことができる。また、紛争地域から人がいなくなれば紛争は沈静化する。これは当事国含め、どの国にとっても良いことではないか。
もちろんここまでの議論は全て定性的で、量的議論になっていない。だが難民を一気に受け入れる必要はない。少数から始めてノウハウを貯めながら拡大していけばよいだけのことだ。後は実行に情熱を燃やす人財さえあればいい。
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