AIが職を奪う云々の話の中で、「職業」そのものが総量として減っていく、ということは真剣に考えられているのだろうか、と思う。
言うまでもなく、AIやロボットが進化した際の究極の姿は、映画「ウォーリー」の如く、全てをロボットに任せて人間は何もしない、というものだ。で、ロボットやAIを誰が動かすのか、故障したときはどうするのか、そのコストを誰が負担しているのかと考えると、故障は自分自身で直し、AIが自分で考え、コスト(エネルギー)も自らが生み出す。つまり、本当に人間は何もしなくても生きていける。
その途中過程は無論存在する。
- さまざまな職業がAIとロボットで置き換わり、その従事者は失業するけれども、その職業自体は低コストで運用可能になるため、あちこちで色々なものが安くなる。これは物質だけでなくサービスも含まれる。
- 人間の能力はAIやロボットに大きく劣るため、生活保護層から抜け出るための難易度は上昇する。これにより生活保護比率は上昇する。
- 生活保護層の比率が拡大するということは、すなわち生産層(非生活保護層)の人数や比率は減る、つまり職業を持っている人の数そのものは減っていく、ということになる。
- 食料生産、エネルギー生産にロボットが大きく進出してくることで、生産層の生活保護層への負担が減る。また、ロボットによるロボットの生産や修理が本格化することで、ロボット自体のコストも安くなる。
- ある組織体(例えば会社とその家族)の中だけで計算すれば、その構成員が生活するためのコストがマイナスになる、という現象が起こる。つまり、ロボットが使うエネルギー生産、ロボットの修理が全て組織体内で収支し、更に食料や衣料の生産が十分にでき、また余った生産物やエネルギーを売ることで、その組織体内ではできない残りのこと(例えば医療)ができるようになる。
- ロボットの進化によって、組織体内ではできないことはどんどん減っていき、また組織体の必要規模も小さくなっていく。まずは国レベルで収支が取れれば、世界のいかなる国からも独立して過ごすことができるようになる。この時点で国際的な紛争は大きく減少する。資源争いの観点ではなくなり、宗教的対立も豊富な経済が心情を緩和する。
- 最終的に、組織体のサイズは家族レベルにまで落ちる。この時代には生活保護者は徐々に組織体に取り込まれていき、生活保護の概念自体がなくなる。
この過程では、変化の狭間に取り残される人が出る。最先端の技術者や経営者として生き残る覚悟がない大部分の人は、どこかで失業して生活保護層に落ちることになる。だが、それとても必ずしも好ましくない未来ではない。
生活保護層が少ないうちはまだ肩身が狭いだろうが、例えばその層が30%になったら、50%になったらと考えると、そちらの方が有権者の数が多いわけだから、政策がそちら寄りになると考えるのは自然だ。生産層の所得税を95%にするとか相続税を100%にするとかといった事態が発生することは十分に考えられることだ。
更に時代が進むと、本当に生産層はゼロになってしまうかもしれない。ここで「ウォーリー」の世界が完結することになる。
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