2017年11月8日水曜日

私は結婚したくありません


先日、新聞で見かけた読者投稿だ。18歳の女子高生。曰く、結婚したくない、行動の自由や将来の選択肢が制約されるから。子供も儲けたくない。自由が制約され、出費もかさむから。そんな自分を大人は非難するが、どちらも個人の自由ではないか。他人に迷惑は掛けていない。何が悪いのか。

Yahoo!知恵袋などにも定期的に出てくる話題だし、それに対する回答(意見、反論)も大体は見ているつもりだ。大きくは以下のようなものだろう
  • 単純に賛成する。その通り。個人の自由。
  • 考え方には賛同しないが、結論自体には社会制度の不備や貧困化と絡めて賛成する。
  • 子供を生み育てるのは社会貢献・未来への投資であり、それをしないのは良くない(けしからん、非難されるべき、税金や控除で差をつけるべき、等)。
  • 結婚して子供を持つのは(苦しいけど)楽しいよ、今は分からないかもしれないけど。
自分の意見は、最後のものに概ね似ているが、少し異なる。それは、この人の精神はまだ十分に発達していない、というものだ。

例えばマズローの欲求段階を例にとるなら、この人が結婚や子供を拒絶する理由は何れも「安全の欲求」近辺のレベルでしかない。つまり、まだ自分自身のことしか考えが及んでいないのだ。恐らくそれだって、老後の介護や年金の問題を詳しく検討できているとは思えない(考えが甘い)。周りの人には迷惑を掛けていないと言うが、その周りの人の多くはこの人より精神的に大人であって、この人が考え及ばない迷惑(心配と言った方が適切かもしれない)をしていることだろう。その多くは、上の意見のうち「反対」の意見と似たようなものだ。

子供を持つ親なら誰でも(例外はあるだろうが多くの場合)、自分の子供が可愛いし、元気に育ってほしいし、場合によっては自らの命を掛けてでも守ってやりたいと思っている。それは自己犠牲の愛であり、慈愛である。また、社会への一定の貢献はしたいと思っている。社会制度(例えば生活保護)にぶら下がりっぱなしで何も考えない、という人はごく少数だ。

人間、自分一人で稼ぎ、生活できるようになってからしばらくすれば、身近な人の不幸や苦労を気遣い、助けてあげたいと思うものだ。その究極の姿は仏でありマザーテレサなのかもしれないが、そこまで悟りを開かずとも、血縁くらいには多少なりともそう思うだろう。

その際、自分をどの程度犠牲にできるかは(もちろん経済状態にも拠るけれども)心の高みに比例する。精神的に子供であるほどその程度は低く、大人であるほど高い。ゼロであれば立派に子供である。縁日に金魚掬いをして、結局親が世話することになってしまうのはよくあることだが、この人にとって、子供は犬よりも手間のかかるペットくらいにしか見えないのだろう。

ただ、高校生ならまだ親の保護下にあるだろうから、精神的にはまだ子供だろう。昔は18歳と言えば元服後だし、戦前くらいまでなら自分の子供どころか日本を背負って立つくらいの甲斐性はあったものだが、今の時代、大人になるのには長い時間が掛かる。18歳でこの程度か、と嘆くほどの事態ではないと思う。

それに、今の大人にしても、単純に好きになったから結婚し、子供ができてしまってから初めて自己犠牲の愛が芽生えた、なんて人も多いはずだ。情報が多すぎる今の世の中だから目立ってしまうが、さほど心配する問題ではないのではないか。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注目の投稿:

超音波モーターの原理によるVR用トレッドミル

  VRにおけるリアリティ問題の一つに、その場で動くのではなく移動する場合、つまり歩いたり走ったりすることが挙げられる。実際にはその場にいるので、歩いたかのように足場を調節してやる必要がある。 これを実現する方法として、すり鉢状の滑りやすい足場を作っておく方法と、トレッドミルを使...

人気の投稿: