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(2016/10/26 18:15時点) 感想(72件) |
養老孟司氏の名書だ。
いちばんキライなタイプが、以前も言った「中途半端な科学万能主義者」なのだが、この類の人の「バカの壁」が一番厚い。多くの場合説得は無駄で、諦めて黙って去るしかない。 養老氏の結論も「説得は不可能」であるので、まあ良いのだけれど。
実際に遭った経験だが、ゴミの焼却処分について、焼却ではなく冷凍で処分すべき、という主張をしている人がいた。液体窒素レベルまで冷やせば毒物は分解される、という話らしいのだが、これに対して経済性がない(高くつきすぎる)という反論をしたところ、怒ったこと怒ったこと。散々誹謗中傷を受けた挙句、「あなたとは話さない」と口を閉ざされてしまった。その間、論理的な反論は一切無し。
世の中にはこのように、「技術的には可能でも、費用が折り合わないので普及しない」ということは結構ある。だがこの人は、最初のアイデアがよほど輝いて見えたのだろう。そこで論理的に反論するのではなく、「怒る」という手段で壁を作ってしまったのだ。
技術には色々な段階がある。実験室レベルではできても量産に問題があるとか、量産はできるが価格が折り合わないとか、価格まで折り合うが慣習的・政治的に無理だとか。その全てをクリアしなければ世に出てくることはない。情熱で進めることはある程度できるにしても、ごり押しにも限度がある。ダメなものはダメだ。
技術に限らず、新興宗教や超常現象にのめり込む人なども同じ思考回路を持つように思える。以前も書いた電波恐怖症(電波アレルギーではなく)とか放射能恐怖症とか食品添加物恐怖症とかにもその匂いがする。逆に、それらを執拗に否定する人も同じだ。
最近の自分の中の仮説なのだが、そういった人に共通するのは、心理的なバランスがうまくいっていないのではないか、ということ。自分より頭が良い人が世の中には多くいることを知っている、人の批判やアドバイスを受け入れる素直さを持っている、うわべの過激な文句は無視して発言の本質を受け取る、反論のために(自分を守るために)反論するのではなく、自分の意見も含めて両者を冷静に考える、自分の意見と人の意見の違いを論理的に見つける、テクニックとしてしゃべり方への配慮を行う、ということができない。一言で言えば「不寛容な性格」だ。
不寛容な性格は、子供の「わがまま」の延長線上にある。年齢的には2才~10才くらいだろうか。この時期に、人は上に挙げたような寛容さを学ぶ。程度問題ではあるが、バカの壁が厚い人は幼児期の教育が上手くいっていなかったのではないか。
この教育は、学校ではなく、親の領分である。親が十分に親として育っていないと子供にも教えられない。また、こういう人たちは為政者のコントロールを受けやすいから、周りが気を付けてやらなければならない。そしてそのレベルは、あまり笑えない状況にまで来てしまっているように感じる。
一昔前に流行った「自己責任」はそのいい例だ。
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