これを「効く」と思い込んで人に勧めるような人は、自分で試して効いたことを実感しているはずだ。上の実験結果からするとこれはプラセボ効果であるが、本人にその自覚はない。ここが厄介の元だ。他の「効かない」という声が届かない。いわゆる「バカの壁」である。
もしその人が少しでも冷静な人なら、相手の原理の範囲での矛盾を突くというのは効果があるはずだ。例えば、
- 「水が記憶を持つ」のであれば、水は太古の昔から地球中を循環しているのだから、あらゆる毒と接している。そこまで広げずとも、過去にホメオパシーを使った多数の人の遺体や排泄物に含まれる水は当然毒と接している。それが蒸発して雨になり川に注ぎ水道水になるのだから、水道水にも既に記憶があるはずだ。それを毎日飲んでいるのだから、改めて砂糖玉を舐める必要はないはずだ。もちろん薄まり方は最強だから効果も絶大なはず(ホメオパシーでは薄めれば薄めるほど効果があるとされている)だ。
- レメディを作る際に、少なくとも砂糖玉とビーカーなどのガラスには接している。接したものの記憶を持つなら、砂糖を認識して体内から糖分をなくしてしまうはずだ。
- 毒を消すと言っても、原子レベルでは消滅するはずがないのだから、覆い隠すか分解するはずだ。だが水で覆っても覆い隠したことにはなるはずもないから分解となる。しかしホメオパシーでは、水銀のような単原子の毒も消すことになっている。通常これは放射性崩壊などでしか起こらない。もし起こるとしても、その際に大量の発熱がある。これは水より小さい量子レベルの物理法則だ。
- レメディを飲むと、当然口腔や食道と触れることになる。そこで水は新たな記憶をするのではないか。喉の粘膜や胃酸を攻撃(分解)していることになるがどうか。
- レメディは動植物から作ることが多いが、その動植物にとってその成分は毒ではない。つまり水は人間に都合のよいところしか記憶しないことになる。水が人間とだけ仲良くする法はあるのか。
- そもそもレメディが乾燥してしまったら効果はあるのか。
- 水にも水中毒という立派な病気がある。砂糖も摂取しすぎれば死ぬ。自らを毒として認識しないのはなぜか。
- 毒と一口に言っても、水銀のような単原子と病原菌の大きさは、何万倍もの開きがある。水分子は原子3個からなる、かなり小さい分子だ。病原菌とそうでない菌や生物細胞との違いを、それより遥かに小さい水分子がどうやって区別するのか。そもそも区別するための知識をどうやって持つのか。また、水銀と病原菌で分解の原理は違うのか同じなのか。違うならなぜそう都合よく変えられるのか。
- 記憶を持った水と持っていない水の違い、何の記憶を持っているのか、その記憶量や程度などをどうやって計測するのか。タダの砂糖玉と効果のある砂糖玉を、どうやって区別するのか。もちろん飲んでみて効けばOK、というのは却下だ。ダメだったときには既に遅いからだ。
- 水に記憶があるなら、情報科学で使えないか。コンピュータの素子として。水分子一つにつき、相当の情報量があるはずだ。
他にもまだまだ思いつくだろうが、何れもがその教義(?)と論理学と最低限の物理学しか使わないところがポイントだ。仮定を広げすぎると反論の隙や考えすぎができてしまう。
と学会のようなところでは、実際に資料を調べて事実関係のウソを暴くような手段とっている箇所もあるが、これは労力が掛かる。本を書く目的ならともかく、身近な人を説得するにはコストが高い。まずはこの「相手のテリトリ内での論理矛盾を突く」手法を考えてみては如何かと思う。
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