NHKでは、「データで見る不寛容社会」というHPを開いている。これを見ると、投稿者(回答者)自身は決して不寛容ではないのだが、社会が不寛容になっているという意識を持っているようだ。だが自分自身は余裕がないとかイライラするとかいう回答もしている。またこの調査は経年ではないので、過去との比較ができない。
不寛容が社会問題になる一つの原因は、悪いこと・悪いと思うことのレベルが浅くなっていることと、それに対して社会が要求する謝罪の程度が厳しくなっていることだと思うが、どうも視点として抜け落ちていないだろうかと思うのは、それがどの程度悪いか(どの程度反応すべきか、どの程度謝らせるべきか)の判断基準が滅茶苦茶だ、ということだ。
一方で、昔と比べ、公権力(国会議員など)や大会社が不祥事を起こしたときに、そのトップは素直に謝らなくなった。最初は謝罪がなく、後で問題が大きくなって慌てて再度謝罪するとか、特にお上の場合は何度追及しても無視したり鼻で笑ったりと、権力をカサにきてそれを隠しもしないという横柄な態度がまかり通ってきている。きちんと統計をとった訳ではないが、感覚的にはだいぶ増えている。
この理由には分析が幾つかある。まず、世間の貧困が増し、生活に余裕がなくなってきたこと。家庭における教育が途切れたこと。知的レベルが低下したこと。お上に逆らうことの恐怖が増したこと。以下、順に説明する。
最初のアンケートの「余裕がない」「イライラする」の高得点を見ると、余裕がなくなってきていることは明らかだ。「金持ちケンカせず」という言葉もあるし(少し意味は違うが)、「衣食足りて礼節を知る」という言葉もある。生活に余裕がないと心にも余裕が生まれないだろう。正社員比率が減り、国民が貧困にあえぐようになれば、国としての礼節(≒寛容さ)は減るというものだ。
ただ、怒るにしても、容赦がなくなったというのは別の原因も考えられる。高度経済成長で急激に人が増えた時代の人たちが、今の中高年になっている。人が増えた=親の数は相対的に少ないはずだから、親から受ける教育は(平均的に見て)不十分だったのではないだろうか、と思うのだ。何を言いたいかというと、「赦す」というのは、親(や近所付き合い)から受ける重要な教育の一つで、学校から教わる学問とは性質の異なるものだが、それがこの時代は不十分だったのではないだろうか。
子供を叱るときに、どの程度で納めようとするかを、親は何時も頭の隅で考えている。友達とケンカしたときに、どの程度で赦してやるかは、親のアドバイスが重要だ。今の若者はそういった大人の子供だから、やはり寛容さに対する教育は不十分なはずだ。昔はそれでも成長していたから何とかなったが、近年そこに貧困が加わったため、不寛容が社会的問題になってしまったのではないか。
が、これだけでは上の説明(判断基準が滅茶苦茶)には足りない。これもよく言われていることだが、親の収入と子供の学力は、年収1200万円程度までは比例するそうだ。これが本当だとして、近年の年収中央値の下落を併せて考えると、平均的な学力は落ちているはずだ。
少し古いが、ホリエモンが逮捕されたのとほぼ同時期、それより遥かに大きな金額の経理操作事件があったのだが、そちらは実刑どころか逮捕すらされなかった。(ホリエモンは実刑を受けた)
この例では、警察や国の思惑も絡んでいるように思え、それなりの知識人には疑問を呈する者が多かったのだが、世間の関心は薄かったためそのままになってしまった。報道がなかったわけではないのだが、不正に関する分かりにくさ、説明のしにくさが関心を分けていたように感じる。つまりは世間の知的レベルが落ち、結果として上手に悪をする者が成功しやすい(大衆を騙しやすい)世の中になっているのではないか。
また、昔の正義には公権力への反骨精神があった。今の時代で言えば、NHK会長の発言だったり憲法改正案だったりといったものだ。こういったものは昔は真っ先に叩かれたものだ。都知事の出張費などは、これに比べれば屁のようなレベルに過ぎない。だが世間の反応は全く逆だった。騒がれたのは後者の方だ。
ここでの論点は、後者は単純な私的流用だが、前者は全国民の基本的人権に絡むもので、分かりやすさで言えば後者だろう。だが事の重大さ、影響の広さは明らかに前者だ。なのにその結果がこうだ、ということを説明するには、二つの仮説が考えられる。一つはそれを理解するに足りる知的レベルの低下。もう一つは、生活の貧困などによる「お上」へ逆らうことへの恐怖だ。
前者はつまり、一旦職を失ってしまえば急激に貧困に陥る、という恐怖が、昔より強くなっていることの裏返しだ。そのような時代では当然、上長への反抗は命取りだし、会社は会社で、国に歯向かうことができない。そういう時代では権利者は倫理観を失い、更に横暴を極めることになる。
それでもその横暴が景気回復になれば良いが、多くは私腹を肥やすことにしか繋がらない。そうでなくとも、少なくとも好き勝手にするであろうことは間違いない。これは負のスパイラルだ。全ては繋がっているのだろうが、因果関係で言うなら貧困が最初である。世知辛い世の中とは貧困社会のことでもあるのだ。そしてこの仮説が正しいなら、これを止めるには、お上には頼れない、ということも分かる。
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