2018年9月21日金曜日

弁護士のくせに


https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/series/taniguchi/201808/557521.html
https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/series/tanabe/201808/557487.html

日経メディカルの同じ日の記事に、先日の医大の女子一律減点問題について、賛否両方の意見が載っていた。「減点是」(正確には「直ちに違法とはいえない」との主張)としている記事は、弁護士(且つ医師)によって書かれていた。

違法かどうかについて、複数の観点から、何れも違法とは言い切れないとする主張なのだが、その内容が、とても弁護士が書いたものとは思えなかったのが少々ショックだった。この話をさせて頂く。

この記事は、三つの論点がある。最初の論点は、私立大学が試験の成績以外に「男女」という基準で差異を設けることの可否。次の論点は、男女で差異を設けるなら、事前に告示をするべきであり、一種の受験詐欺ではないかという議論。最後の論点は、今回の騒動で、医師になった後の女性の就労環境の問題が公のものになったこと。このうち問題なのは二つ目の論点だ。

まず、「例えば一次試験を筆記で行うことを公示したからと言って、その筆記試験の成績だけで採否を決めなければいけないという理屈は成り立たない。」としている。更に、これに続くマスコミ批判にまで多く文を割いている。

そしてこの次の「様々なコネクションが採否に影響することなど、国際的にも常識であり、ペーパーテストなどは参考程度であろう。」と続く。つまり、試験以外で受験者の属性を判断材料にすることは是である、と言っている。

しかし、これは第一の視点(差をつけること自体が許されるのか)である。第二の視点ではない。第二の視点とは、「それを明らかにすべきかどうか」のはずなのだ。

あえて筆者に寄り添って考えるなら、コネクションが公になることはないのだから、であろう。しかし、今回だって発覚しなければ分からなかったことだ。コネクションだって、明確に分かってしまえば同様に問題になった可能性はあるのだ。

続けて、「つまり、「一切女子を入学させないのに募集していた」というのならともかく、何点かハードルをあげたこと自体は大学の裁量の範囲内であるとして、司法審査で許容される可能性もあろう。」というのも、その後の「試験を行ったとしても、その採点基準やどの科目を重視するかは、採用側の裁量が広範に認められると考えられる(同級生で数学の試験で字が汚くて落第した者もいた)。」というのも、第一の論点であり、第二の論点ではない。

つまり、せっかく第二の視点を挙げておきながら、その記述には第二の視点が一つも出てこないのだ。更に言えば、法的な視点も弱い。実態がこうだから(かつてこうだったから)、ばかりで、法的な裏づけに関して何も言及していない。

もったいないので、この人の代わりに第二の視点「男女やコネクション(や寄付金等)による差別(差異)が実際には存在している場合、それを明らかにすべきかどうか」を考えてみる。

男女(医者にならない人、なっても将来的に辞める人が多い)、コネクション(病院への採用に有利)、寄付金(大学への有利)は、何れもそれなりの合理性はある。

であればそれ自体の存在が全て認められない、ということにはならないだろうが、そこに恣意がないかどうか(必要以上に優遇差別していないか、その程度は適切か、例えば賄賂や、離職率を大きく超える差別)は問題になって然るべきだ。

例えば、幾らカネを積まれても、どうしようもないドラ息子を入学させるのは拒むべきであろう。コネクションも、学内の力関係ではなく、病院とのコネクションの力を公平に見るべきであろう。

従来はそれを「裁量」という曖昧な基準でなあなあにしてきたのだと言える。裁判所も、裁量という言葉には弱いらしい。しかし今回は明確に、点数で一律何点、という基準で運用してきたことがバレてしまい、これはもう裁量ではないでしょ、受験基準でしょ、ということになってしまった。

幾ら「幅広い裁量」とは言っても、何でも許されるわけではない。本来はそれは意欲や性格など、試験では計れないものを対象にすべきであって、例えば差別感情からくるものなら、その中身まで調べられ、場合によっては許されなくなるべきではないか。

男女別学校の場合は、女子校がそれなりに多くあることを考えれば違和感はない。しかし世の中が男子校ばかりだったとしたら、十分におかしい、対処が必要だ、となるだろう。職業学校の場合は、需要に合わせることがあるのでそういうことはあるだろうが、それとて実態と大きく離れていれば問題になるはずだ。

つまり、何でも裁量です、で逃げられる時代ではなくなってきているのではないか、裁量の中身にまで踏み込んで恣意や差別(=法律違反)の有無について法的判断をすべき時代なのではないか、裁量の範囲は従来の認識より狭まってきているのではないか、というのが、第二の視点における結論となるのではないか。要は「あるなら明らかにせよ、男女以外にも。そこに恣意がないかどうか見てやる」だ。

恐らく、件の医大の実態には恣意はないのだろう。そうだとすれば明示してしまえば済むことだ。世間の評判はともかく、法的にどうこう、ということはなくなるはずだ。逆に、世間の評判を気にして隠せば、バレた時のダメージは大きくなるだろう。

具体的には、採用枠を作ればよい。男女各々一般、プラス特別枠(裁量枠)だ。裁量枠の基準は曖昧(コネクションや寄付金、本人の人格意欲その他を考慮し云々)、でよい。(但し、あまりにアホでは困るから、試験での最低点取得は必要だろう)

各々の人数が適正であるかは世間のチェックが入るだろうが、そのこと自体は健全化のために必要なことだ。私立校には普通にある枠であるから、堂々と行えばよい。

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