2017年3月31日金曜日

防災メガフロート


大地震が起こるたびに、客船を持っていて宿泊させる、という話が起こっている。結構なことだが、客船はそれなりに高いし、動かないのだから客船である必然性もない。メガフロートを防災用に持っておいて、その度に使ってはどうか。
ヘリポートと倉庫、接岸部、港、居住区を有するメガフロート作っておき、震災が起きたらこれを曳航して、近場の港に係留する。
現地に着くには数日~1週間程度は掛かる。これは初期避難と行方不明者捜索がひと段落し、本格復旧や仮設住宅の設営が始まる前、というタイミングである。ここでメガフロートに移る。地震からも津波からも自由になるので、余震が幾らあろうとも安心して過ごすことができる。客船より格段に揺れが少ないため、船酔いもないものと思われる。
避難所や仮設住宅と違って常設できるので、2階建てにする、集会スペース、診療所、店舗、運動場などと欲は出るだろうが、これは収容力と快適性とのバランスで考える。また、色々なバリエーションがあってもよい。居住性は高く、不足する機能も少なくできるので、被災者のストレスも少なくなる。例えば理髪店やマッサージ店などを備えておいて、被災者に運営してもらうようなこともできるはずだ。また、始めから発電機や燃料タンクを備えておけば、冷暖房煮炊きができる。広いスペースで子供が遊びまわることもできるだろうし、ボランティアも快適に寝泊りができる。
メガフロートの建築費は一平米当たり10~13万円と言われているが、これはうわものが何もない場合(ヘリポート、船着場)だ。居住区はもっと高いだろうから、30万円で計算するとして、各々1万平米(100x100m)で考えると、物流部は13億円、居住区は30億円、合わせて43億円となる。熊本地震向けの補正予算は7780億円だったそうだから、そう激しい額ではないように思う。
もっとも、ハコモノであるから維持管理費が掛かるので、死蔵するのはもったいない。普段は何かに使っておいて、非常時に持ち出すというのが常道だろう。物流倉庫、運動場、展示会場、市場、及び既存のそれらの拡張部として、という使い方が考えられる。それらがある程度ペイできるようなら、無理に予算を付けずとも運用できるだろう。

2017年3月30日木曜日

AI寿司職人は美味い寿司を握れるか


これは、上の記事への反論である。
記事の流れについては先のリンクを読んで頂ければと思うが、大きくはその結論として①AIには想像力がない(苦手)、②日本人には世界に稀に見る想像力がある、となる。どちらも賛同しかねる。
だが、もちろん世の中にはこれよりもっと無茶苦茶な説がいっぱいあるし、それらにいちいち反論するのも大人気ないことだ。この筆者に対しても蔑みも怒りも恨みもない。この記事を取り上げた理由は、AIに対する世の中の人の見方がよく現れている、と思ったからだ。
実は、これを読んだときにデジャヴがあった。それは、コンピュータが普及し始めたときによく言われたことで、「コンピュータはデジタルだから微妙な判断はできない」「イチかゼロかしか分からない」「冷たい」といった類の話だ。今ではこれを信じている人は誰もいない。
確かに、現代のコンピュータはデジタルで動く。だが、人間の網膜の解像度を超える細かさで処理ができるし、人間が認識できる限界よりも細かい色数を表現できる。ファジー関数や確率論モデルは当時からあった。りんなさんのボケに笑う自分もいる。デジタルであるかどうかとコンピュータが冷たい答えしか出さない(ように思われる)こととの間には、本質的な因果関係はない。
上の記事に見られるAIに対する誤解は、「正解がある問題では得意でも、想像力創作力を必要とする問題は苦手」というものだ。これも広く言えばコンピュータそのものに対する誤解でもあるのだが、実際問題として、AIに創作料理を作らせる実験、ショートショートを書かせる実験、作曲をさせる実験、絵を描かせる実験などは、既に行われている。創作料理の実験では、人間では思いもよらなかった料理が出てきて、実験者はびっくりしたそうだ。
AIは確かに既存のデータを使うが、そこから出てくる結論が想像力に欠けるかと言えば、そうではない。その理由は、人間が創作力の産物だと思っているもののほとんどは、冷静に判断すれば既存のものの組み合わせであるからだ。分かり易い例は音楽で、使える音階とテンポの範囲は限られているから、その組み合わせたるメロディは既に出尽くしている。今初めて聞いた新しい音楽に感動したとして、それが確かに新曲だったとしても、コンピュータに作り出せないわけではない。
いや、それが感動するかどうかは分からない、という反論もあるだろうが、人間が心地良いと思うメロディには必然的な傾向があり、音楽理論などのベースもあるから、AIとしては比較的簡単な部類だろう。むしろ、AI以前の既存の手法でもできるくらいだ。
寿司には三つの観点が挙がっている。まず鮮度の目利きだが、これは筆者もAIである程度可能になるだろうと認めている。次は、その素材をどう加工するかを見極めることが生鮮品である故に難しい、ということ。最後はスペシャリテ(創作寿司)である。確かに音楽より遥かに難しいだろうとは思う。だが、インプットとフィードバック(正解)をどうするかさえ解決できれば、何れも学習可能だ。
寿司のネタの加工は、どう切るか(厚さなど)、また場合によっては調理(煮る、酢漬け、卵焼き、味付けなど)方法だ。また創作寿司の方は、普段のメニューとは異なる寿司をその場の判断で行うことだ。だが、市場で売られている食材は無限にあるかというと、そんなことはない。調味料にしても加工方法にしても、数学的には有限だ。プロの寿司職人と言えど、その有限の組み合わせの中から一つを選んでいるに過ぎない。それが鮮度と組み合わさったとしても、有限であることに変わりはない。
上のスペシャリテの例では、「中トロに小魚の骨を煮詰めてつくったみぞれを掛けて食べる」「スルメイカの肝乗せ」が挙がっている。何れも「素材」「素材毎の加工法」「組合せ」に分解すれば、素人でも想像の範囲に充分収まるものだ。後はそれを素晴らしいと思うか食べたくないと思うかだが、こちらは学習に頼ることになる。
そんなもののデジタル化は難しい、とは限らない。例えばクックパッドのサイトに行けば、料理の写真とレシピがデジタルになって載っている。寿司のメニューは少ないが、学習は寿司に限らずともよい。評価も一緒に取得可能だ。あるいは料理本などから学習することも可能だろう。他にも、売上データを見たり、顧客の反応を音声や画像からフィードバックさせることもできるだろう。
人間が、その創造力に対して過大な自尊心を持っているのではないか、というのは、AIに対する反論を多く聞いていて思うことの一つだ。実際には有限のものの組み合わせに過ぎないのに、その組み合わせが人間の理解の限度を超えると途端に神々しい世界に飛んでいってしまって、それが素晴らしいもの、誰にも(機械にも)マネできないモノ、と思ってしまう。
組み合わせ方は、その母数が増えるほど豊かになるし、美味い組み合わせへの勘も働くだろう。それには長年の経験が必要で、つまりは苦労が伴うから、人がそこに価値を見出してしまうのはしょうがない。だがAIはそこを一瞬で終わらせてしまう。しかも、単独の人間の経験を遥かに超えて学習できるのだ。感情的には腹立たしい限りではあるが、技術論は別だ。
自分としてはむしろ、AIの方が斬新な創作寿司を出してくれる期待の方が高い。そうすれば、高級店でなくとも回転寿司で創作寿司が頼め、且つ美味しく、種類も多数出てくるとか、安い素材でも調理で工夫して美味しくしてくれるなど、様々な楽しい未来が夢想できる。
もう一つの、②日本人には世界に稀に見る想像力がある、に関しては、技術的な反論ではないので、ここでは論じないことにする。

2017年3月29日水曜日

四角推磁気免震


免震技術の一つに、「エア免震」というものがある。地震が発生すると、ホバークラフトのように地面から浮き上がる、というものだ。
なかなかよいと思うが、普段は浮いていないわけだから、例えば故障していないかどうか確認するために年に1回点検で浮かせてみる、などは必要だろう。そして「浮く」という点に注目すると、地面から虫が入ってこない、地面の熱が伝わらない、というメリットがある訳だが、非常時しか浮かないからこのメリットは生かされない。では常時浮いていれば良いのかというと、空気を噴き出すのでうるさいだろうし、停電でドシンと落ちるのも困る。消費電力も大きいだろう。
では、と考えたのが磁気免震だ。これなら常時浮上しても騒音が発生しない。強い磁気の影響が気になるが、リニアモーターカーが大丈夫なのだから対策は可能なのだろう。リニアモーターカーと根本的に違うのは、動く必要がないから永久磁石でよい、ということだ。これなら電源も不要で故障の心配もない。
だが、ただ浮いているだけではダメで、揺れを吸収してもらわなくてはならない。このためには、磁石を単純に平面に並べて上に向けるのではダメだ。ではどうするか。
基礎を逆四角錐の形状に掘り込み、この壁面に磁石を埋める。一方、住宅の下部は同じような四角推(下向き)に作り、やはり磁石を埋め込む。この際、四角錐は一つだけでなくともよい。こうすると、まず地面が揺れたとき、家に近づいた方の基礎壁面より、家は斜め上方向の力を受ける。
しかし家には相当の質量があるから、慣性によってその動きは緩慢になる。その間に揺り戻しがくれば、家は反対方向からの斜め上の力を受ける。この力の合成により、家はほぼ真上に上がることになる。揺れの振幅・周波数が激しいほど家は高く上がる。この際、周波数が指定値を上回れば、どのような周波数であっても家は揺れが減衰する。この指定値は、家の重量、四角推の角度、磁石の強度から決まる、いわゆる共振周波数である。本震の周波数を想定し、これより充分に小さくなるように設計しておく。なお、長周期振動が気になるが、こちらは本震より極端に周期が長いため、設計値はこの間にしておく。高層ビルと違って限界まで触れると四角推が地面と当たるため、それ以上の幅で揺れることはない。
円錐ではなく四角推にしたのは、円錐だと回転してしまう恐れがあるためである。また、免震でよく問題になる風(台風)への対処もまた不要で、家は(若干斜め上になるがほぼ)上方向にしか揺れない。風の場合は揺り戻しがないが、四角推に当たることで家は垂直方向に動き、風が弱まると元に戻る。
尚、エア免震でもそうだが、水平を保つためには家の重量バランスに合わせて重りを配置する必要がある。建築途中でバランスが変わるので、これも適宜調整する。四角推の場合は、その窪みに水を溜めることで重量中心を地下に持ってこれるので、これができるならあまり必要ない。
問題になりそうなのは、恐らくネオジム磁石が使われるだろうがこれは錆びに弱いこと、床下に入り込む虫や砂埃に含まれる鉄などの対策、などだろう。また、少なくとも最初に建築する際は大変だろう。強力な磁石なので、近隣の鉄製品や砂鉄を見境なくくっつけてしまうだろうからだ。
最後に実現性を考えてみる。磁石で家を支えられるかどうかは、単位面積当たりの家の重量と、その面積を持つ磁石の反発力で決まる。同じか劣ればダメだし、数cmしか浮かないのであればやはりダメだ。最低でも15cmくらいは欲しい。
一般的に、木造住宅の重さは300kg/㎡と言われているそうだ。10mm角のネオジム磁石の吸着力が大体4kgf。また、反発力は吸着力の50~70%と言われている。ここから、
  • 重量300kg、底面積1㎡の物体を15cm浮上させるために、吸着力4kgf、10mm角(10x10x10mm)のネオジム磁石を、物体と床に対向して設置するとして、ネオジム磁石が何個必要か。またその磁石の総面積は物体側・床側共1㎡以内に収まるか(個数が分かれば×1cm2で計算できる)。但し反発力は吸着力の50%と仮定する。なお、傾き誤差などにより物体が滑って落ちてしまう可能性は考慮しなくてよい。
という問題を解けばよいことになる。大丈夫そうな気もするが、詳細な計算は専門家に譲ることとする。また、実際には揺れた際に磁石がずれるから、この何割り増しという数が必要だろう。
更には値段だ。10mm角のネオジム磁石の価格は概ね百円。1㎡に千個要るとして10万円。60平米なら600万円だ。これはちょっと厳しいかもしれない。
別のアイデアもある。磁石で浮かせるのではなく、粘性流体で満たして浮かせるものだ。水銀は極端だが、シリコンシーラントのような弾性樹脂がまず考えられる。また、共振周波数の異なる複数のばねで繋ぐ、永久磁石ではなく電磁石としておいて、地震を検知してスイッチを入れる、なども考えられる。これならかなり安くなるだろうし、磁力を自由に調節できるので細かい計算をしなくてよい。

2017年3月28日火曜日

水からの伝言


科学的でないことは明らかなのだが、社会の反応の方が気になった例だ。
まず、①これを鵜呑みに信じ、更には子供に教えようとした大人(しかも教師)が少なからず居る、ということが信じられない。また、②この程度のことに目くじら立てて、科学的な視点からのみ反論する人が多く居る、というところが情けない。
これは理科の時間に教えるものではなく、道徳の時間に教えるべきものだ。そして小さな子供に対しては教えず、ある程度物心ついた(これが一目で寓話(=科学的なものではない)であると分かる)年齢になってから教えるべきだ、もちろんそれは寓話であることを明示すべきではあるが、決して教えていけないものではないと思う。
これは高度に心理学的なものなのだろうか。小学生程度ではこれを信じてしまうのだろうか。もしそうなら、教科書の作り方はもっと科学的であるべきで、特に歴史や社会の教科書でウソ(特に近代史)を教えることの方が、よほど罪作りではないか。
自分が教師で道徳の時間にこれを教えるとしたらどうするだろうか。教えさせるポイントは、
  • これはもちろん科学的に証明された話ではないし、科学的根拠はない。それでもこれが広まった理由を考えさせる。
    • 人が信じたいこと、知らしめたいこと(悪い言葉遣いをしないこと)と合致した話だから。
    • 一般大衆にはこの程度の科学的知識がないから。
    • 人が科学的根拠のない話を冷静に受け止められず、宗教やオカルトを信じる心を持っているから。
    • 無垢な子供を騙して、宗教や特定の思想を広めようとしているから。
  • この話からどんな教訓を得られるか、考えてみる。
    • よく作られた例え話として受け止め、悪い言葉遣いをしないことを心掛ける。
    • それが科学的、論理的に正しい話なのかどうかを見極める知識と知恵を持つ。
    • それがたとえ科学的、論理的にウソだからといって一意に否定するのではなく、その裏にある社会的背景や、話した人の心理を察する。
  • これを科学的に真実だと信じ込んでしまっている人へどう対処したらよいか、考えさせる。
    • 科学的な視点から反論する。
    • 無視する、メッセージだけは受け取る、バカにする、・・・
    • その相手が先生だったら、親だったら、どうするか。
では理科の時間に教えるとしたらどうだろう。
  • この話を証明するには、何が必要かを考えさせる。
    • 実験の方法論、データの取り方、思い込みや恣意が入らないようにするための工夫
    • 結果の公表の仕方、何を示せば信じてもらえるか
  • 一見もっともらしい話が真実かどうかを見抜くにはどうしたらよいか、考えさせる。
    • いわゆる「統計のウソ」の話など
  • 一見科学を装って相手を騙すにはどうしたらよいか、考えさせる。
  • 相手の科学知識レベルを知った上で適切な情報伝達をする方法について、考えさせる。
どうだろう。道徳でも理科でも立派に使える教材になったのではないか。

2017年3月27日月曜日

シネコンの危機と対抗策


4Kや8Kの登場で映画館が衰退する、というのは、誰もが考える予想だろう。特にハリウッドのシステムは巨万の富を生み出してきたこともあり、その警戒感抵抗感もさることながら、これが現実となった暁にはどんなことになるのだろう、というのも気になる。
かつて音楽がそうであったように、映画を作ることも時代と共に簡単になってきた。映画の場合は、その技術を特殊効果に使うことで延命ができてきたように思う。だが、それももう終わりに近づきつつある。モブシーンや派手な特撮、自然な合成、モーションキャプチャ、物理エンジンによる精密なCGなどは、もうすぐ民間にも降りてくる。
その先には、一本当たりの価格(コストも儲けも)の低下、嗜好の多様化、玉石混交の大量多種生産、という現象が待っている。単館の映画館が減りシネコンが増えてきたのはその前兆とも言えるわけだが、これが更に加速するというわけだ。そうなれば、座席当たりの売上げは減ることになる。映画の危機、シネコンの危機だ。
まず、例えば30人規模の館が20、30と並ぶシネコンが登場する、という未来は考えられる。また、売上げ確保の手段として、従来は飲食に制限があったところ、積極的に売り込む、ということは考えられることだ。例えばデリバリーや飲酒を許す、などだ。それをするためには大きなテーブルが必要だし、映画のように座ってじっと見るだけのコンテンツでは都合が悪い。つまり、コンテンツが映画だけではなくなる、むしろ映画以外が主流になる、ということが想像できる。
例えば、スポーツやコンサート映像の配信がそうだ。また、カラオケルームの発展系として、貸切が主体でコンテンツはオンデマンド、という方向性もあり得る。あるいは体感ゲームやマルチエンディングの映画などが出てくる可能性もある。仲間うちで見るなら、大声を出して声援したり、実際には不可能な「ちょっと止めてトイレに行く」「早送りする、飛ばす」「同じシーンを何回も見る、スローで見る、別アングルで見る」などが可能だから、そこに価値を見出す人たちもいるはずだ。
特に別アングルは興味深い。実際にスポーツ観戦やコンサートに行ったとしても見れない角度、見れない距離から見れるわけだから、むしろ生で見るよりこの方が良い、という人も多いかもしれない。また、コンサートでは困難だろうが、スポーツではライブが可能になる。スポーツチームのファンレストランが試合で盛り上がるのと同じだが、映像が強力で貸切が基本、という少し違ったファンの行動も取れるようになる。例えば同じ試合で相手チームが隣の部屋にいるとして、アングルが各々のひいきのチーム寄り、などということも考えられる。
カラオケからの発展か、シネコンからの転換か、何れにしてもそのような形態のサービスが出てくる日は近いのではないかと思う。

2017年3月26日日曜日

液体呼吸と人工心肺


映画「アビス」で紹介された液体呼吸は、その後も研究されているようだ。短期間なら呼吸できるが、肺を傷つけることが問題になっている。確かに、空気が入る前提の肺に水を満たし、更にガス交換のためにはその水が動く(行き来する)必要があるから、圧倒的な密度を持つ液体の移動エネルギーが、肺胞に強い負荷を掛けてしまうことは想像に難くない。
液体呼吸ができるようになると、高圧下での活動が可能になる。具体的には潜水や宇宙(高加速度)での活動などだ。だが、個人的には、映画「パシフィック・リム」のような巨大有人ロボットを候補として挙げたい。巨大ロボットに乗り込んで戦闘をすると凄まじいGが掛かるため、実現は不可能とされているのだが、液体に満たされた室内にいれば、圧力は均等に掛かるため、この問題が大きく軽減されるのだ。
さて、肺の目的はガス交換、即ち二酸化炭素を排出して酸素を補給することだが、上の通り、肺の中で液体を勢いよく動かすことは肺の損傷に繋がる。そこで、肺には液体を満たすだけにして、ガス交換は別の方法で行えないだろうか、と考えてみる。
その方法は既にある。人工心肺だ。心臓手術中の機能代用に使われる。しかし、人工心肺で長時間人間を生かすことは難しいとされている。その最大の問題は、血液の凝固だ。一旦血液が体の外に出ると、シリコンや塩ビのホースに触れることになる。これが血液凝固を引き起こすため、人工心肺を使う際には大量の凝固防止剤が使われる。これが体に悪いことは明らかだ。また、ガス交換のためには、肺の面積に匹敵する60平米のガス交換膜に触れさせる必要があるが、これにも同様の問題がある。
従来はここで技術的限界が来ていたわけだが、最近になって幾つか希望が持てるニュースが出てきた。それは、3Dプリンタによる人工血管の製造や、iPS細胞などによる臓器の組織が培養できるようになってきていることだ。もし血管の内壁の細胞、及び肺胞の細胞を大量に増殖できれば、既存の人工心肺のパイプ及びガス交換膜にこれを貼り付けることで、凝固防止剤が不要になるかもしれない。
そんなことがもし可能になれば、液体呼吸ではなくまず人工心肺に使われるだろうから、まずはそちらを目指してもらうとしても、最終的には巨大有人ロボットへの応用を考えて頂きたいものだと思う。

2017年3月25日土曜日

木質ファイバーブロックによるレゴ建築


市販されているおもちゃで、巨大なブロックがある。樹脂製で軽く、子供がお城や家を作って遊ぶようなものだ。もう少し大きなものでは、家具を作れるようなものもある。例えば以下のようなものだ。
これを更に大きくして、例えば50×25×25(cm)くらいのブロックを大量に作ってやると、それこそ家を作ることができる。
そこら辺の草木を突っ込んでやると破砕成型してこのサイズのブロックができる、という機械を作って被災地に持ち込み、廃材をどんどん入れてブロックを作ってやる。するとこれを組み立てて仮設住宅ができる。ブロックなので建築技術は必要ない。また木質ファイバーにまでほぐすので、少しの材料で大量に作れ、また断熱性も確保できる。
作り方だが、大量の針で引っ掻いて草木を削り、ある程度乾燥させた後、型に入れて熱する。木にはリグニンという物質が含まれていて、加圧加熱することで接着剤様の性質を示す。型には多くの空洞を作っておき、一旦固まったらその空洞に再度削れたファイバーを充填し、蓋をする。最後に表面を防水加工する(ニスや油を塗る)。これはブロックを積み上げた後でもよい。
ニスや油程度では、防水は一時的なものになる。このため塗り直しや、樹脂製シートで覆うなどの補完が必要になる。また基礎と床はこれでは作れない。強度不足や腐食・虫害に対応できないため、別に用意する必要がある。
建築基準法の目で言うと、火災に対応できないし、耐震設計ができないから、本建築としては認められない。が、万一崩れても軽い木質ブロックなので怪我は少ないだろうし、火災の際は人間の力でブチ抜いて脱出できる。また、不要になった際は粗大ゴミではなく燃えるゴミにできるし、他の災害地域への再利用も可能である。木質ファイバーは断熱性だけでなく調湿機能があるため、快適に過ごせるだろう。
窓枠や風呂場など、考えなければいけない点は幾つかある。だが、被災時の当面の住まいとしては、まず雨風を避けること、寒暖の影響を抑えることが最優先であり、大規模災害においては材料不足の懸念があるため、有用であると考える。

2017年3月24日金曜日

1号缶システムのメリット


別稿で示した「1号缶システム」だが、様々なメリットがある。いくつかを説明する。
①様々な缶バラエティ
用途により様々な缶を準備できる。例えば、
  • クッション缶:内側がクッション材(発泡ウレタン、プチプチ等)になっている。
  • 水平缶:缶を転がしても中のものが転がらないよう、二重になっていて、内側が回転する。
  • 液体缶:液体を保存できるよう、気密が確保されている。
  • 燃料缶:ガソリンなど、法的規格に沿った防爆缶。
  • 保温缶・保冷缶:断熱材を有し、一定時間内部温度を保持する。
  • 洗濯缶(後述)
②ストッカー
上から投入して下から取り出す形式のストッカーを作っておくと、受け取ったものをそのままドローンでここに投入すれば収納が完了する。例えばクリーニングの受け取りをそのまま入れておくと、着たい服がどの缶にあるかはアプリから参照できるので、そのIDの缶を探すだけでよい。自動倉庫化も簡単である。
③クリーニング、洗濯
網で作った缶に服を入れておいて、その缶のままクリーニングに出す、あるいは専用の洗濯機に入れて洗濯することができる。絡まず型崩れしないので、デリケートな服も水洗いできる。また缶単位で洗うことで、色移りを防いだり、デリケートなものも安心して洗える。クリーニングする場合でも、アイロンがけまでは缶から出すことなく自動化できる。
④保管場所の自由
缶の種類を選ぶことで、環境条件が悪いところでも中身に影響を与えず保管できる。防湿防虫などだ。また、手の届きにくいところにもドローンやロボットを使って出し入れできる。更には、気密にできるため、性質の違う複数のものを混在して保管できる。食料ストックと防虫剤入りの季節の服など。IDと合わせ、保管総量さえ気にすればよく、保管場所を気にする必要はなく、忘れても問題ない。
⑤ロボットが扱い易い
転がして動かせることは、ロボットで扱う際に大きなメリットになる。またサイズが同じことも同様のメリットになる。缶の多くは通函になるだろうが、それにも貢献する。これらは輸送前後の作業(梱包、開封、更には中身の使用など)の自動化にも繋がる。例えば燃料缶なら、受け取り後、ストーブに給油する、など。

整理の本がたびたびベストセラーになることを見ても分かる通り、人は片付けが苦手なものだ。だが荷物は全て機械が扱うことだ、という認識ができれば、その改善も期待できる。運送の便利の恩恵を受けるためにも必要なことなので、それも普及を後押しするだろう。

2017年3月23日木曜日

ドローン配送に向けた1号缶スキーム


Amazonがドローンで配達をしようと試みをしているのは有名な話だが、考えてみれば何もドローン配送はAmazonだけの話ではないはずだ。個人がコンビニにモノを買いに行くのにドローンを使っても良いはずだし、クリーニングの引き取りに使ってもよい。もっと極端な話、郵便物を郵便受けからリビングのテーブルに運ぶのだってドローンでもよいのではないか。
数km毎に物流拠点を作り、そこから先の各戸へはドローンで運ぶというスキームができれば、世の物流は一変する。配達人が大きく減る、受け取りにいちいち部屋にいなくてよい、というところまで行く可能性は充分にある。
ここで考えるのは、そんな物流に向けた容器の統一案である。それが、1号缶(内径153.3mm、高さ176.8mm、内容積3100ml)だ。1号缶は、缶詰の規格としては最大級のものであり、国内と海外でサイズが一緒、また重量がそこそこなのでドローンで運ぶのに適している。
缶詰というメタファーを使う理由は、転がせるので重力を利用した運搬ができること、またボールのようにでたらめな方向には行かないこと、そこそこ頑丈かつ防水性防汚性がある点だ。専用の投入口を玄関や窓に作っておいて、そこから転がってs室内に入る、あるいはドローンが運んできたものを上から投入して、つづら折に転がって行って取り出し口に収まるストッカー、などというスキームを作りやすい。
まず、缶にはIDを振っておき、QRコードやRFIDとして遠隔から読むことができるようにしておく。缶の受け渡し用には、窓の一角(90×90cm程度)を利用して、室内外を缶が行き来できるようにする。この置き場所にもIDを割り振る。つまり、缶IDと場所IDが必要になる。場所IDには住所(GPSデータ)も必要になる。
新しく場所を設置したユーザは、まず場所IDとGPSデータをDBに登録する。これは、場所キットのIDをスマホで読み込んで、スマホのGPSデータを送るようにすればよい。場所自体にはQRコードが印刷されていて、ドローンはGPSに基づいて付近まで飛んできて、最終的にはQRコードと画像認識でその場所に缶を投下する。逆に、その場所に缶を置いておいてアプリで集荷を依頼すると、ドローンがそれを回収する。
ドローンは配送拠点までそれを運ぶ。配送先が近所の場合は直接運ぶこともできる。拠点についたら後は通常の物流と同様に扱う。運送料はアプリからオンラインで徴収される。
このスキームが整った未来では、様々な改革が起こるはずだ。例えば
  • クリーニングの受け渡し
  • 毎日の弁当
  • 買い物
  • 郵便物、宅配(小型のもの)のラストワンマイル(出す方も受け取る方も)
  • 新聞
  • 生協などの定期宅配
  • 回覧板
  • 新聞に頼らない独自系列のチラシ配布、タウン紙
  • 診療後の薬の配達(先に問診する)
  • ごみ回収
などが全てこれに収まる。自宅に訪問する人は、友人や親戚など以外ではほぼなくなるはずだ。
さて、缶にしなくてもこれらは出来るだろう、と言えば、定性的にはその通りだ。だが缶サイズで統一することは様々なメリットがある。これは別に説明しよう。

2017年3月22日水曜日

ベーシックインカム


従来の様々な社会的救済制度は、原則として手続きが必要であり、つまりは制度そのものを知っている必要があるし、その専門性も高い。救済と言うくらいだから貧しい人たちが対象であるはずで、高度な知識など持ちようがないし、専門家に頼めばカネが掛かるから頼むこともしない。そういった本質的な矛盾を解決する可能性があるのがベーシックインカムだ。
ベーシックインカムの良い所は、生活環境や個人の事情に細かい変化があっても、いちいち制度を調べたり申請をしたりする必要がない点だが、逆に言えばきめ細かい対応は望めない。だから基本的にアクシデントには弱い。例えば大怪我や大病だ。
日本人は何かときめ細かい対応を好む人種なので、ベーシックインカムに移行するには本質的に根が悪いように思う。ただ一つ抜け穴はあって、それはそういった事情を自動で入手して、ベーシックインカムの額をきめ細かく自動で可変にする仕掛けだ。例えば、個人の収入が途絶えたり、医療費が急激に掛かったりしたことを自動で検知して勝手にカネを振り込む、というものだ。
困窮には様々なファクターがあるから、総合的な評価が必要になる。ただ収入と支出さえ見ていれば、概ね困窮度は分かるはずだ。AIに監視させて総合的困窮度を算出し、それに見合ったベーシックインカムを振り込めば解決する。ついでに納税もこれに任せてしまえば、人は何も考える必要がなくなる。
収入支出を完璧に把握する必要があること、AIが恣意的な動きをしないこと、プライバシーを守ること、総額をどう想定するかなど課題はあるが、複雑な補償制度を人が考えるよりは、よほどすっきりしたものができるのではないかと思う。

2017年3月21日火曜日

超小型核爆発炉


原発の問題の多くは、放射性廃棄物と制御(暴走の抑止)の問題に帰結する。一方で原子爆弾の問題は前者だけだ。ここで「極小規模の核爆発を連続して行うことができれば制御の問題はないのでは?」と考えるのは自然なことだ。
ここで技術的な解説をする。まず、放射性崩壊と核分裂の違いに理解が必要だ。放射性崩壊は多くの場合原子番号が殆ど変わらないが、核分裂では大胆に(例えば半分に)変わる。滲み出るのが前者、パカッと割れるのが後者だ。放射性崩壊は自然に発生するが、核分裂の場合は(多くの場合)中性子を当ててやらないと起こらない。中には自発的に核分裂をする物質も存在するが、核燃料においては極微量しか含まれない。
次は臨界だ。原発でも核爆弾でも「臨界」を発生させる必要があるが、臨界には二種類ある。遅発性臨界と即発性臨界だ。遅発臨界とは、臨界を維持するために放射性崩壊による中性子が必要な状態を意味している。一方で即発性臨界は、核分裂に伴う中性子のみで臨界を維持できる状態を意味する。ここで、放射性崩壊による中性子(遅発中性子)の量は、人間の感知できる時間(数分~数時間)で増えるので、制御可能である。一方で即発性臨界はピコ秒オーダーで鼠算的に進むので制御できない。
つまり、原発は遅発臨界を使っており、原爆は即発臨界を使っているわけだ。原発の燃料は、後者は起きないように設計されているが、熱暴走が長時間続いた場合はそれも確実とは言えない。自発的核分裂をするプルトニウム240が内部で生成されてしまうからだ。
次に、「核爆発」についても正確な理解が必要である。遅発臨界は爆発ではないし、即発臨界と核爆発も厳密には異なる。核爆発は即発臨界に伴う爆発現象だが、この爆発とは単純に言えば気体の膨張である。周りの空気や水、また核物質自体が自身の高熱によって溶けて蒸発して気体になり、更に臨界の熱で気体の温度が急激に上がり、急激に体積が増す。これが爆発だ。だから、もし充分に速く、十分に大量に、即発臨界の熱を吸収できれば、あるいは臨界が充分に小規模ならば、爆発は起きない。
核爆弾が爆発した後は大量の放射性物質がばら撒かれるが、これは「爆発」によって未反応の核物質が飛散することが原因である。飛散することで充分な熱や中性子を得ることができず、核分裂の機会を失ってしまうのだ。もし放射性物質が飛散しなければ、熱と圧力と中性子は無駄なく放射性物質に降り注ぎ、効率よく核分裂を起こすことができる。
つまり、充分に少量の核燃料を、一箇所に閉じ込め、最初から即発臨界だけを狙って設計し、更に充分に熱吸収をしてやることができれば、爆発せずに即発臨界を起こして熱を回収することができる。使用後は燃え尽きてしまうから、放射性はほぼ失っており、処理なり再利用なり、次の工程に「灰」を持っていくのも簡単になる。もし完全に燃え尽きなくても、従来に比べ廃棄物の量はずっと少なくなるはずだし、再利用するにしても小さいので扱いは簡単になる。
即発臨界を引き起こすには、高いウラン濃度と高圧が必要になる。だが即発臨界には物理的な限界があり、どこまでも小さくできるわけではない。核爆弾を前提とした場合、プルトニウムで1kg、高濃縮ウランで3kgが最小という情報があるが、これは「爆縮」と呼ばれる技法を使った場合である。現在はもっと高圧を出せる技術があり、それはズバリ「レーザー圧縮」だ。レーザー圧縮は核融合に使われる技術だが、核分裂の場合はこれよりずっと弱い出力で良い。その分、技術的には楽なはずだ。
レーザーが交差する空間を作っておき、ここに燃料球を投下する。レーザーが照射された燃料球は急激に温度が上昇し、表面から蒸発するが、それが非常に急激であるため、また球状の物質の周囲が均等に熱せられるため、その膨張力は球体の外側と同時に内側にも向かい、球体内部の圧力が急上昇する。これで核分裂が誘発される。核物質は充分に小さいので、照射の瞬間に殆ど全ての物質が臨界に達し、高熱を出して燃え尽きる。
レーザーは透明な物質を透過するから、核物質は透明な円筒を通って上から落ちるようにしておき、レーザーは円筒の外側から当ててやる。爆発の衝撃に耐えられないようなら、透明ではない物質で作っておいて、斜め上からレーザーを当て、爆発が下方向になるようにしてやる。下方向の空間を広げておけば衝撃を吸収できる。
また、円筒の周囲は水で満たしておく。この水は高圧にして気化を防いでおき、温度が上がったらパイプで誘導して低圧にすると、そこで蒸発する。この蒸気でタービンを廻す。核物質の量に対して熱吸収量と容器のサイズが充分大きければ、圧力変動で容器が破壊されることはない。
この方法の他の利点は、核物質を選ばないことだ。燃えにくい燃料でも、レーザーの出力と燃料球の設計次第で燃やすことができる。燃え残った核物質を再利用することもできる。また、原理的に暴走の危険がないし、放射線が漏れる量にも上限がある。
問題なのは、どれだけ小さく燃料球を作ることができるか、この一点である。こればかりは計算してみないと分からない。専門家のご意見を乞う。

2017年3月20日月曜日

人間はシミュレーション社会で生きている


イーロン・マスク氏が代表的な信奉者のようで、SFでもたびたびそのモチーフが出てくる。マスク氏の場合は確率まで算出しているようだが、どうもその根拠は定かではない。
さて、自分はどうかというと、信じていない。だが信じるに足りない、という意味ではない。もしそうであったとしても、自分の生き方に変わりはないからだ。
この世界がシミュレーションかどうかが自分の生き方に関わる可能性としては、次のようなものがある。まず①そのことを(否定含め)証明しようとしたり、証拠を掴もうとする行為をする。②更には実社会(シミュレーションの外)に出ようと画策する。③もっと緩く、ただ考えるだけ(楽しんだり悲観したりするため)。
スタートレック・ネクストジェネレーション(TNG)のエピソードに、モリアーティ教授(シャーロック・ホームズのライバル)が登場するエピソードがある。彼はホログラムなのだが、その天才的な頭脳で、自分がホログラムであることを自覚し、外の世界を知り、何と親たるエンタープライズ号を乗っ取ってしまう。そしてホログラムから出て、実社会に飛び出すことを要求する。上の②に当たる行為だ。
このエピソードの結末は、教授はホログラムの外に出てシャトルを奪い、宇宙に飛び出す。だが実は艦長が騙してホログラムの中でそう思い込ませた、というものだった。結局は外に出ることはできなかったわけだが、この試みが成功する可能性はあった。例えばアンドロイドを用意して、その人工知能に記憶を移すようなことができれば、シミュレーション社会から飛び出して実世界で自由に動き回れたはずだ。
さて、モリアーティ教授は、どうして自分の世界がシミュレーションだと気付いたのだろう。それは、ホロデッキ内に現れる「アーチ」と呼ばれる機器の存在を知られたからだ。アーチは、ホロデッキ内で自由に出現させられ、外部との通信やホログラムの設定に用いられるものだ。だから本来、シミュレーションたるホログラムの人間は、アーチを認識できないようになっている。だが乗員がプログラム設定を変えたことにより、モリアーティ教授にその権限が与えられてしまった、という訳だ。
逆に言えば、シミュレーションをしている側(便宜上「神」と呼ばせて頂く)が何らかのミス(ないしは意図的な操作)をしなければ、シミュレーションされている側がそのことに気付いたり、その内容を操作したりすることはできない。もしそれが意図的なものでなけば「バグ」だろうが、そのバグを自ら探すことは困難至極だろう。
人類は何十億もいるわけだから、もしかしたらそこに気づいたり、特別な権限を与えられた者もいるかも知れない。しかし常識的に考えて、その確率は宝くじよりも遥かに低いはずだ。自ら探すにしても、何をすればよいのか分からない。物理の法則の矛盾を見つけるとか、UFOを調べるとか、そんなものだろう。日常にそのきっかけが溢れているとは思えない。少なくとも、今の人間が作り出した最高のプログラムのバグ出しを一人で行うよりは難しいこと請け合いである。
要は、ます②をやるためには①が必要であり、①は「神」に選ばれるか、「神」の作りたもうたシミュレーションのバグを探し出すしか方法はなく、その確率は天文学的に低い、ということだ。宝くじならまだ夢もあるが、もしこの結果を導き出せたとしても幸せになるかどうかは分からない。本物の自分が動物実験の猿よりも惨めな存在だとして、そこから出られたとしてもやはり周りは人間だけであり、猿が一人で何ができるというのか。
本当にこの世はシミュレーションなのかも知れない。だが、自分が幸せであるためには、③より先には進まないのが賢明と言える。

2017年3月19日日曜日

レーザーポインタライン体育館


学校の体育館には、白や緑の様々なラインが引かれている。これはバスケットボール、これはバレーボール、などとややこしいことこの上ない。テニスにしても、シングルスとダブルスの線が両方引かれているのが普通だ。
その都度手で書く、テープで貼る、などの手間は大変だ、というのは分かる。また体育館で、床にLEDを埋め込んで、都度光らせるようなものも登場している。だがこれはかなりカネが掛かる。床の全張り替えと膨大な配線が必要、また競技が一つ増えるごとに作り直しになる。
これを解決するために提案するのが、レーザーポインタによるライン引きだ。競技用なので多少幅を持たせ、また人が動くことで陰になるのを避けるために複数の場所に設置する。床は蛍光剤を塗っておく。レーザーとは言っても人の目には見えないよう、紫外線にする。強度にもよるが、人の目に直接入ると有害なので、画像認識などで顔が近づいたら都度オフにする。蛍光剤があるので、長時間留まられない限りラインが消えることはない。
これなら、競技がいくら増えてもプログラム操作だけで自由にラインを引ける。それこそ相撲からトラック、各種球技、時間による切替、混んでいるときはコートの間隔を詰める、観客席枠の設定、整列のライン引き、更には絵や字を書いたり誘導したり、判定と連動して点滅させたり、とにかく床に何かを描く行為なら何でもできる。
屋外でも応用可能だが、芝生やクレイコートが必須になるなど、蛍光剤は期待できないので可視光線で、また強度も強力なものが必要になる。費用は上がり、危険度は高くなるだろう。

2017年3月18日土曜日

人生に大事なことは○○から学んだ

確か「ゆかいな数学者たち」
価格:258円
(2017/2/26 16:00時点)
感想(0件)


という本で読んだエピソードだが、数学者たちがパートナーを伴ったパーティーをするとき、数学の話をするのは禁止とすることが多い。パートナーは数学に興味がない人も多く、話についていけないからだ。しかしそこは同じ興味を持つ者同士、ついその話をしてしまう。そこで出てくるのがあるご婦人で、暫く話を聞いて話の切れ目を見つけたとき、すかさず「では、境界ではどうなりますの?」と聞くのだそうだ。そして興味深いことに、数学上の多くの問題について、この質問は適切なものになるのだそうだ。
技術でもこれは当てはまる。変数割り当ての始めと終わりでは挙動が違う、ゼロを含めるか含めないか、ウィルスを仕込む際にはメモリ境界を狙う、沸点凝固点では特別な注意が必要、といったことはよくある。だからプログラムテストにしても機械の動作確認にしても、何かしらの境界付近では注意深くテストをする。
だが、考えてみれば、これは技術に限らない話だ。結婚とか、受験とか、何かしらの大きなイベントがある場合、成人になる前後、納税や控除の適用可否など、人生にも様々な境界がある。境界付近においてはいつも以上に注意すること、というのは人生訓にもなる。
「人生に大事なことは○○から学んだ」というのはよく聞く話だが、実際にはどんなことからも学べるものだ。上の「境界」はその一例だが、これは技術が優れているからではなく、人間が学ぶ様々な知識知恵はどんな分野にもちりばめられていて、技術が得意な人は技術からそれに気付く、芸術が得意な人は芸術から気付く、というだけの話だ。
ただ、その濃淡はあるかもしれない。数学はそのベース人口が大きいから、人生訓になりうるものは多数仕込まれているだろうが、競技人口が世界中で千人しかいないスポーツで同じ量、同じ質のことが学べるか、というと怪しいものだ。つまり参加者が多い方がその濃度(あるいは数)が高く(多く)、より効率的、あるいはより高みを望める、と言えるのではないだろうか。
この原理から演繹すると、参加人数が小さい○○から学んだ人は、人間力レベルが低い可能性が高い、ということになる。スポーツなら競技人口はおおよそ推測できるから、それに比例(ないしは相関)することは期待してよいし、廃れ行く職人芸なようなものにはそういうものは少ないと推測され、他の分野の人から見たらビックリするほど非常識・非効率なことをやっているということもあり得る。
もちろん、その○○が人生の全てであるという人は少なく、一般的な社会人としても生きているはずだから、一定の基礎は含まれていて然るべきではあるが、確率論的視点からするとそうも見れる、ということだ。
これに対して、まずその世界での○○のレベルを上げるためには、別の世界との交流が必要であること、また逆に、他の世界から○○に知恵知識を取り込むことで、その世界の第一人者になれる可能性が高いこと、というのは考えられる。
趣味は一つより二つの方がいい、友達も多い方がよいし、できれば興味や人種、性別、国までも違っている方がいい。勉強にしても本を読むことにしても、好きなものだけに集中するのではなく、たまには嫌いなものにも触れてみる。知識人は概ね実践していることだろうが、ぼやっとした人生訓ではなく、技術論としても論理的な根拠はある、と言えるのではないか。

2017年3月17日金曜日

教育の無償化とタブレットの使用


自分が何か新しいことを勉強しようとするときは、本を読む。1冊ではなく何冊も買う。それこそ毎月十冊を何年、という時期もあった。そして読む。ひたすら読む。理科数学では少し手を動かす必要があるが、基本的には本を読むだけで済む。
だが、本のコストは膨大だ。1冊数千円を何冊も買えば軽く万を超える。新しいことならしょうがないが、今なら無料でWebで見られるものがあるし、YouTubeなどで学習コンテンツを無料公開しているところもある。だが、問題はそれが散逸していることだ。英語なら比較的簡単に手に入るのだが、他の教科となると探すのにばかり時間を取られてしまう。
人は、疑問と興味さえあれば、自分で学習しようと思う生き物だ。それができないのは、
  1. 学習に至るコストが高いこと
  2. 学習方法が効率的でないこと(教え方が悪く理解が進まない)
のどちらかだろう。1.には、教材への到達、教材の価格、教材の良否の見極めなどが含まれる。時代は後戻りしないから、人が生まれてから一人前になるまでに必要となる知識の量は、時代と共に増えていく。これはつまり、より速いスピードで学習していかなければならない、ということを意味している。効率的な学習法をどんどん開発しないと、社会人になるまでの時間が長く掛かってしまい、ひいては社会的コストが増大することになる。
タブレットとデジタルコンテンツは、そのための有効な手段であることは疑いない。だが、ただあるだけではダメで、無料か安価、また一定以上の質を保ち、体系的で網羅性も持っていて欲しいし、解説だけでなく到達度テストや再テスト(忘れ防止)まで含んだ学習システムであって欲しい。解説にしても複数の視点で用意し、つまづいたら別の視点でリカバーできるようなものにしてほしい。
一通りの説明で理解できない子供に対して、その子供にどう分からないか聞いて、別の説明方法を提供する、ということは、教師の力量に頼る部分が大きく、従来の(紙含め)学習コンテンツでもあまりできていないところだと思う。デジタルならそこを補強できる。これが、特に低学年の子供の理解を促進する。
例えば算数。図形の認識において、積み木の隠れたところまでの数を数えるとか、さいころの展開図を当てる、などというものにおいて、子供は実に様々な解釈をしては間違えるものだ。この場合、異なった膨大な例題を与えてやることで、理解ができるようになる。だが紙面でやるとスペースが限られているから、大した数の例題を揃えられない。デジタルならそれができる。だから一度正解を示してやった後で、直ぐに別の問題を出して理解度を確認できる。
人によって引っ掛かるポイントは違うから、こういった学習コンテンツの総量は、年間授業時間の何十倍にもなる可能性がある。だが、デジタルの場合はアダプティブテストの手法があるから、理解できるところはどんどん進んでいくことで、トータルでの学習時間は大幅に抑えられる。
学校や教師の役割がこれで大きく変わるわけではない。学校は座学だけの場ではないからだ。体育、美術といった手や体を動かすこと、協調やリーダーシップ(遊びやクラスルーム、友達との関係、イベント(体育祭文化祭など)、部活、・・・)といった要素はそのままで、また座学とて全てタブレットで済むわけではない。これは座学の「単純労働部分」を減らし、教師をサポートするものとして位置付ければよい。
無論、教育そのものがビジネスであることは否定しない。だが少なくとも義務教育に関しては、自己学習が無料でできる環境が整っているべきだと思う。その間、学習塾などはコンテンツの質で勝負すればよい。
ベースとなる教育コンテンツは、ネットに幾らでも転がっているし、有償のものを含めればより取り見取りだろう。だが、①無償公開を前提とする、②学習指導要領の改訂に合わせて期限までに修正する、③膨大な「引っ掛かりポイント」の推定と補完コンテンツの充実、④再学習や③への対応を含めた教育管理システムまで準備する、⑤全国規模の人数のアクセスに耐える性能を保持する、となると、単独の学校や学習塾、地域の教育委員会、といった規模では無理で、国レベルでの予算化と運営が必要になる。

2017年3月16日木曜日

ハイテク時代の新楽器


新楽器の全てをフォローしているわけではないので、もしかしたら似たようなものが出ているかもしれない、という前提でのお話とさせていただく。
まず、それはタブレット上のソフトである。楽譜の表示と編集機能があり、MIDIファイルを読み込むこともできる。演奏は基本的に楽譜の再生であり、個別の音を直接指定して出すものではない。
何だ、MIDIの再生マシン(音源)か、というとさにあらず。この楽器の特徴は、再生速度や音量、ビブラートなどを制御できる点にある。これはタッチパネルで行う。それは主旋律、副旋律、和音、リズム、ベース程度に別れ、各々をある程度独立に操作できる。これがこの楽器の概要である。
何も触らずにスタートすると、最初の楽譜の設定通りに再生する。それ自体にピッチ調整や音量制御などが書き込まれていればその通りに再生するが、それに加えてタッチパネルでリアルタイムに補正するのだ。こうすることで、テンポやピッチを合わせて複数の仲間と合奏することもできるし、気分によって鳴らし方を変えることができる。
思い通りに鳴らすためにはそれなりの練習が必要であるが、どう失敗しても音程を間違えることはないし、バイオリンの初期のように醜い音を出すこともないから、周りから煙たがられる心配はないし、一方で自由に操れれば高度な音楽性を醸し出せる。
素人の楽器演奏とプロのそれとの違いは、音を間違えないといった単純なレベルの話ではなく、細かい表現にこだわり、個人の持つ音楽センスを音に反映させるところにある。前半部分をすっ飛ばしていきなり後者に近づけるなら、楽器演奏の敷居はぐっと低くなることになる。これは最終的に出来上がる音楽の質を向上させ、楽器演奏のすそ野を広げることにもつながるはずだ。
音を直接出せない楽器なんて楽器じゃない、というのは、もしかしたらもう古い考えなのかもしれない。

2017年3月15日水曜日

著作権ビジネスの終焉


人工知能が絵画や音楽を作り上げるような時代になってきている。このような場合、その著作権は誰に属するべきか。ソフトの開発者か、ビッグデータの提供者か、学習作業をさせた者か、スポンサーか、・・・ という問題が話題になっている。
個人的には、この問題には決着が着いてしまっているので興味がない。それどころか、将来的にはこういったコンテンツは全て無償で手に入るようになり、ビジネス自体終焉するのではないかとすら思っている。
つまり、人間が絵を1枚描く間に人工知能は百万枚描き、その全てに著作権を主張できるわけだ。人間が描いた1枚は、既に著作権がある百万枚の絵のどれかに似ているから、人間は著作権を主張できない。人工知能の絵に事実上の創作性がないとして著作権を認めないなら、人間のそれも認められないことになる。著作権のない絵に類似しているからだ。人間にだけ認める、というのも難しい。それが本当に人間が描いたものかどうかを判断するのは、時代と共に困難になるはずだ。
百万枚の絵に創作性がないとは一概には言い切れない。それは百万人の人間の個性に合わせて創作されている、ということもあり得る。つまりバックボーンにはビッグデータによる人間の好みの解析があって、それに基づいて描くのであれば、創作性が認められる可能性はある、というわけだ。
インディーズ音楽が容易に手に入るようになって、音楽は世に溢れている。わざわざカネを出して聴くものよりも、自分の好みに合わせてそれらからチョイスした、あるいは人工知能が作った音楽の方が心地良い、となってしまえば、いわゆるヒット曲のようなものはなくなり、人は好き勝手に(無料の)自分の音楽を聴くことになる。
文章や映画でも安泰とは言えない。何れは同様のことが起きるはずだ。総じて、人が芸術の領域で著作権を主張することは敵わなくなり、あるいはできたとしてもその権利料は大きく減る。プロとしてその権利料だけで生きていく人は大きく減少するはずだ。
更には、意匠権や特許のような知的所有権に関しても同様の危険がある。そういったもの(一度に百万件も申請するようなもの)が出てくれば当然特許庁はパンクだから、意図的にそうすることもあるだろうし、あるいは公開してしまって他が主張できないようにする、という戦略も可能だ。そうなるとそこで稼ぐことはできず、「考えたもの勝ち」ではなく「作ったもの(売ったもの)勝ち」の世界に逆戻りする。
コピービジネスが復活するとも言えるが、流行りモノは無くなるので、何を作るべきかのセンスはむしろ重要になる。大量生産もできないから、一つ一つのモノの値段はむしろ上がるかもしれない。
もっとも、知的所有権ではない権利(地権、水利権など)は残るから、権利ビジネス自体が消滅するわけではない。

2017年3月14日火曜日

フラットレンズカメラ応用


近年、レンズを持たないカメラの研究を多く見かけるようになった。レンズの代わりにナノ構造を用いたり、回折を利用したり、デジタル演算でそれを補助するようなものだ。撮影後にピントを自由に合わせることもできるようになってきている。
従来、カメラと言えばある程度の奥行きが必要だったものだが、この技術があればおおよそカメラが置けない場所というのはなくなる。それこそドア壁天井、持ち物置物全てに搭載可能となる。また、Googleが低解像度画像から高解像度画像を類推で作成する技術を開発しているので、監視カメラのような用途でなければ低解像度でもよい、となると、通信量や記憶容量の問題もある程度解決できる。
もう一つの注目は、撮像素子とレンズの物理的位置調整が不要になることだ。恐らくは印刷技術などで一体に作るか、素子に作り付けにできるからだ。これはカメラ自体のコスト低減、また利用する側の使いやすさに貢献する。同じ理由で、例えば防水や高耐圧にもしやすいし、保護や光学的補正のためのフィルタも安価に作れる。
そうするとどんな応用が考えられるか。
  • 水泳選手のゴーグルに着けて、選手の視点で撮影する。
  • ダイバーが体の各所に着け、全体をくまなく撮影する。また画像解析により、サメや海草(絡まると危険)などの接近を警告できる。
  • 潜水ラジコンに付けて、深いところまで撮影する。(通常のレンズは空気を多数含むので機械的強度が必要だが、これなら殆ど不要)
  • 色々なものの「内部」を撮影する。水筒の中とかカバンの中とか湯飲みの中とか、一見意味のないようなものでも、人によっては使いたいと思うだろう。他にも、真空凍結乾燥の進み具合とか、鰹節のカビ付けとか、職人の経験と勘に頼っていたところをある程度客観的に評価できる。
  • 新しいセンサとして使う。画像解析や光学フィルタと組み合わせることで、従来は不可能だった様々なセンシングが可能となる。例えば遠隔温度センサとしてなら、熱い物がある方向や距離、面積まで分かる。他にも、ガラスの向こうのものの動体検知ができる、など。
大量にばら撒いてセンサネットとして使うようなことができれば、おおよそこの世の出来事は全てコンピュータで把握可能になる。それはそれで気味の悪い世界ではあるが、例えば犯罪発生率が減ったり検挙率が上がったり、ということは期待できるし、事故事件などの適切な警告も可能になるだろう。

2017年3月13日月曜日

吊るす家具


家具は高い。一度買うと動かさないから置くのも慎重になるし、買うのは更に慎重になる。裏にゴミが溜まったりカビが生えたりするのも心配だ。要らなくなっても捨てるのが大変だ。デザインも一度決めたら変えられない。そういった心配を吹き飛ばすアイデアが、「吊るす家具」である。
話は単純で、天井から
のようなものを吊るすだけだ。さすがに本などを入れるには強度が足りないだろうから、ワイヤーを通したり棚板を強化するなどは必要だろうが、吊るすことを前提に作る、というのが大きなポイントだ。
一方で重要なメリットは多数あり、まず本質的に転倒しないので地震に強いこと。次に天井いっぱいまで収納でき、スペース効率がよいこと。床が空くので掃除が楽になること。不要になればその分を畳めるので部屋を広く使えること。荷物に合わせて各棚の高さを調節できること。側板が不要(布や不織布でよい)ため軽く、また廃棄の際にもゴミが少ないこと。
DIYにも向く。棚をワイヤーの任意の位置で止める冶具さえあれば、棚板などはそこら辺のベニヤ板でもよいので、非常に安く作れる。
一方で、硬い扉が作れない、透明な扉を使えない(見せる収納)、重量バランスの配慮が必要、揺れやすいので壊れ物を置き辛い、などの注意点もある。
このためには天井をそれなりに強化する必要がある他、金具などの設置も必要だろう。既存の家や賃貸の場合は、壁の左右に柱を立てればよい。例えば
あるいは
のようなものが使えるはずだ。天井ツッパリにしないと「地震に強い」というメリットが出ないので、そうすべきだろう。
適当なキットを開発すれば非常に重宝するように思う。誰か作ってくれないか。

2017年3月12日日曜日

AIによる産業の変化


現在の日本では、農業から工業、サービス業へとGDPの主流が移っていて、農業は壊滅の危機といってもよい状態だ。だが、技術の発達が変曲点を迎え、この方向は変わるかもしれない。そういうお話だ。
いくらサービス業が主流だとは言っても、食べ物を食べないわけにはいかないし、服も着なければならない。今、サービス業が主流なのは、それに人が価値を見出しているからだが、食べ物の価値がゼロな訳ではないし、ゼロに限りなく近づくということもない。
その比率は需要と供給で決まるが、技術の希少性は時代と共に変遷する。ここで問題になるのはAIの存在で、例えば医療技術の希少性は膨大な知識とその組み合わせ、経験にあるわけだが、AIが医者と同等の診断をできるようになってしまうと、人間の医者の相対的価値は低下する。
これはあらゆる職種に起こることだが、AIが技術の希少性を下げることでその職種が衰退しても、その職種が提供していたサービスはAIが更に安い価格で提供することができるため困らない。むしろ詐欺や知識不足の心配が減り、世の中は安定する。例えば医療過誤、違法建築、設計上の欠陥などが減り、人は安心してモノやサービスの提供を受けることになる。
コンピュータリソースはもちろん必要だしAI技術者の需要もあるにしても、大きな問題にはならないはずだ。費用対効果が高いところから導入され、技術が進歩し価格が低下し、更に適用範囲が広がっていく。
そういう技術の影響をどこが受け易いのかと考えると、もちろん全産業がその影響を受けるのだが、知恵の割合が高いところほど影響を受け易い。また、適用の容易さのみならず市場の大きさが重要であるから、サービス業に向かうと考えるのが自然だ。
センサ農業や野菜工場で収益が倍になるということはあるだろうが、サービスの価値はもっと劇的に下がるかもしれない。例えばテレワークで交通費が激減したり、AI対応で電話オペレータや窓口対応者が不要になったり、端末注文やロボットでレストランの接客係がいなくなったり、ということは大いにあり得ることだ。そうなれば、全産業におけるサービス業の売上げの比率は低下してもおかしくない。
すると、相対的にモノの価値が上昇する、という未来が見える。工業生産品、農地、地下資源、水利権などだ。モノをもっている人(企業)の価値が相対的に上昇し、知恵だけで生きている企業はAIに潰される。人間でも同じコトで、知識に頼っていた人ほど収入の減りが激しくなる。
従来の価値感とは逆で、努力しても報われない。医者よりも農家の方が収入がよい、なんて未来も、もしかしたらあるかもしれない。

2017年3月11日土曜日

配偶者控除、子供手当


国の制度をどう設計するかは、国や国民の思想を反映していて興味深い。海外では同性婚を認めているところが増えているが、日本はまだその雰囲気がないし、夫婦別姓も、海外では当たり前だが日本では認められていない。教育無料化、税や控除・手当などもそうだ。国によって随分違う。
夫婦別姓などは、改姓により手続きが増え社会が混乱するマイナスの要素も見るべきだが、信念的な話ばかりでそういった損得の話が出てこないのが不思議だ。控除にしても、なぜ控除するのか、それが妥当な額なのか、というところで説明がなければ、その先の議論が噛み合わない。
心情的なものを根拠にすると、その時点で「人によって異なって当たり前」になってしまう。ではどんな視点で見るべきかというと、長期的な国の繁栄に貢献するか、というものになるのだろう。単純に言えば、税収の向上やGDPの向上に、(個別にではなく全体として)貢献するかどうかが判断基準になる。
その観点で言えば、夫婦別姓は特に関係ないからどちらでもよい。子供手当・児童手当、国民健康保険や年金等は、生涯に渡って稼げる額と生活コストが平準化できるので有効。教育無料化は国の知識レベルを底上げし、将来的なGDP向上に貢献するのでやはり有効だと言える。
同性カップルは、「密接な相互補助による公的支援低減」の効果はあるが、「子供を産み育てることで将来の労働力を育む」期待は(あまり)できないから、多少は控除を減じてもよいかもしれないし、子供を持つことに対しての控除を分離して設ければ良い、と言える。教育無料化や子供手当が充実していれば不要だろう。
相続の問題が残るが、そもそも相続税を払えるほど多額の相続が発生する同性カップルは殆ど居ないだろうし、(旧来の意味での)血縁は(上しか)いないのだから、遺言さえしておけば殆ど問題ない。また「法的に認められたい」というのは税収とは関係ない理由なので、同じくどちらでもよい、となる。

2017年3月10日金曜日

ブタン白金バイナリ発電機


ブタンは比較的低圧で液体になる。これを燃料とバイナリ発電の両方に使う、というのが今回のアイデアである。
ブタンを常温常圧にしてやると蒸発する。これを誘導して白金触媒に充て、空気(酸素)を混ぜて加熱してやると、白金触媒反応により発熱する。ハクキンカイロの原理である。
この熱を、常温加圧の液体ブタンに当ててやると沸騰する(ように圧力を調節する)。この蒸気で発電機を廻した後、空冷で冷却して液体に戻す。これを繰り返す。
この二つは一見関係ないように見えるが、リザーブタンクを共有することができる。発電機構側のブタンは、リザーブタンクまで含めて閉路である必要があるのだが、その理由は加圧しないと液体にならないからだ。ではその加圧の原理とは何かというと、ブタンをその閉路に詰め込むことにある。
幾ら閉路とは言っても全く抜けないわけではなく、時間と共に少しづつ抜けていくので、補充のための機構は必要である。それを燃料タンクと共用できれば、供給するものが一つでよい、というメリットができる。
発電機と言ったが、要はエンジンである。燃焼ではなく沸騰を原理とする、昔ながらの蒸気エンジンだ。白金触媒の原理を使うため、燃焼ほど高温にはならない。ブタン自体は燃焼性ガスだから注意は必要だが、ガソリンエンジンよりは遥かに安全だ。また点火プラグやディーゼル圧縮のようなものもないため、機構は単純で、加工精度も低くてよく、故障も少ないだろう。

2017年3月9日木曜日

農業はなくなる


非常に極論ではあるが、可能性として考えておくべきことだ。だがそれほど悲惨な未来ではない。
それは、「職業としての農業の規模が、今より更に大幅に減る」ということだ。逆に言うと、「職業ではない農業の規模が増える」ということでもある。単純な話、自家栽培・自給される農作物が増える、というのがこの予測だ。
植物工場の進化がこれをもたらす。現状ではサニーレタスなど葉野菜が中心だが、豆や芋が自家栽培できるようになると、主に低所得者層でこれが普及する可能性がある。芋はカロリーベースになるので、急速に栄養事情が改善するポテンシャルがある。
一方で、中所得者層では葉野菜が主に栽培される。これは費用対効果が高いからだ。これらにより、栽培が簡単な芋豆・葉野菜の、職業としての生産量が減少する。残るのは栽培が難しい果実や根菜類、葉野菜でも大きいもの、穀類などとなる。但し穀類は、芋豆類がカロリーベースで進出してくるので、全体生産量としては減る可能性がある。
穀類が植物工場ベースになることは考えづらい。このためには低背化が不可欠で、要は大幅の品種改良が必要であり、数十年規模で時間が掛かる。樹木に至っては不可能に近いだろう。だが培養化や遺伝子操作など、可能性がないわけではない。たとえ六畳間一つ潰したとしても、家族四人の食料の、年間の半分の量でも作れるならば、そうする家庭は多くなるはずだ。
現状でも、日本のGDPに対する農業生産の規模はごく僅かしかないのだが、これが普及することによって、更に大幅に減少することも考えられる。また、大規模な畑が減り、田舎が過疎化する未来も想像できる。

2017年3月8日水曜日

なくなるのは物流拠点ばかりではない


別項で示したように、ロボットカーの普及により大規模な物流拠点がなくなると、同じ意味を持つ問屋や商社、農協漁協などにも同じ運命が待ち受けている。
代わりに出てきそうなのが、オークションサイトないしは電子市場だ。これらの細る業種の役割として、量の確保や値付け(相場の形成)、品質の保証(個々の不良対応ではなく品質表記の信頼性確保)があるのだが、これが単純になくなってしまうと売買で混乱が出る。大規模小売業者ならその機能を担えるだろうが、商店などでは無理だろうからだ。その代わりとなる、且つそれが電子空間で完結するシステムが必要で、それが電子市場である。
電子市場の最も一般的な形は、Amazonのような販売元評価システムである。個々の製品や生鮮品の実物をチェックすることは敵わずとも、販売元が誠実に対応しているかどうかが評価されれば、品質を重視するところは高評価のところを、ただ安ければよいのであればそれなりのところを選ぶことができる。
輸送は通販で可能、品質保証は電子市場で可能、となると、後は許可認可に関する権利集約だけが機能として残る。漁協は漁業権、農協は水利権がそれなりに機能するだろうが、これすらもオークションなど電子化される危険があり、最悪機能別に分割解体、ということもあるのではないか。

2017年3月7日火曜日

CGの時代のVR端末


いわゆる「ゲームエンジン」が発達してきたお陰で、実写と変わりない精密なCGをリアルタイムで作ることが可能になってきている。映画のそれには及ばないにしても、プログラム等で使うにはもう充分な出来だと思う。従来の用途は主にゲームだったが、エンジン化(ライブラリ化、モジュール化)によって、他の分野にも使えるようになってきている。
業務プログラムにゲームのCGなんて使わないよ、と思うなかれ。既に多くの分野で使われている。例えば医療、建築、自動車設計、教育・研究、自動運転、製造業、ライブアート、など等。更には裁判所(証拠資料作成)、旅行業(体験)、不動産業(VR)など。ゲーム以外でも用途は色々あるものだ。
単に書類で閉じる役所仕事なら不要だろうか。そこで考えるのが、OSとしてそれを使うことはあるのか、ということだ。
昔、ウィンドウの次は3D空間だ、ということで、OSに載せる3D-UIが幾つか作られたことがある。まあ、ウィンドウが斜めに見えたり、重なりに奥行きが見えたりというものだったのだが、何れも流行らなかった。その原因は幾つか考えられるが、エンジンが貧弱だったこと、CPUが貧弱だったことは言えるだろう。今なら再度考え直してもよいと思う。
その中でも、デスクトップ(本当の意味での机の上)を模したモデルは再考に値する。机の上に書類箱があり、壁にはカレンダーがあり、・・・というのを模したものだ。VRゴーグルを付けてこの空間に入り、必要ならその空間を移動して情報を探し、テレビ電話を掛けたり、Webページをそこ等辺に浮かべておいて、参照しながら仕事を進める、という形態はあり得ると思う。マイクロソフトのHololensは、空中にウィンドウを幾つも配するUIを作っているが、まあこれもありだろう。競って淘汰されていけばよい。
だが実際のところ、仕事中にVRゴーグルを着けるのはかなり違和感があるので、ノートPCを立体視にするのがよいと思う。テレビで使われる3D技術と同じようなものをノートPCに入れた上で、それを前提としたOSを動かすというわけだ。画角が足りないと思えば、もっと視点を近づけた上で、レンズで焦点距離を補正してやる。例えば顔の前5~10cmまで近づけてやれば、7インチでも充分に広い空間を見られるだろう。そのためのスタンドも用意してやる。
この場合、キーボードやマウスのようなUIは端末に接続できないので、別に用意して無線でつなげてやるか、ジェスチャーやトラッキングパッドのようなものを使うことになるだろう。
遠い先の未来には、違和感がないほど小さいメガネ型のHMDができるのかもしれない。だが現在のところ、そこまで小さくできるかどうかは分からない。どちらが主流になるのか、今から注目している。

2017年3月6日月曜日

建築資材の自由化


海外に比べ、日本の建築基準は厳しく、単価も高い割に、耐用年数は短いらしい。
この「基準が厳しい」というのは、建材にも適用される。構造計算はまあしょうがないとして、例えば新しい素材が開発されたとしても、それが構造材(荷重を支える材)として認められるには長い年月が掛かる。日本では木材、鉄骨、鉄筋コンクリート(RC)以外の建物は殆どないが、これはそのせいだ。
耐震基準があるからしょうがないじゃないか、というのは早計だ。ならば建てて揺らしてみてOKならいいじゃん、ということになる。実際はそうではなく、建築許可のレベルで下りない。耐火基準はさすがに燃やしてみて、とはいかないから分かるのだけれど。
多角形を組み合わせた木材製ドームハウス、発泡スチロールによるドームハウスは、その中でも企業努力で認可を受けた例だ。他、アルミニウムを構造材とした家もあるが、こちらは実験的なものが多い。石積みや泥煉瓦などは無論認可されない。基礎に関しても同様で、鉄筋コンクリート以外の基礎は殆ど見られない。
ここまでは前振り。では何が認可されるべきかというと、エンジニアリングウッドやCNF(セルロースナノファイバー)、グラスファイバー、カーボンファイバーなどだ。このうち、エンジニアリングウッドは以前説明したので省略。
ファイバー類には二つの使い方がある。まず、鉄筋コンクリートで言う鉄筋の代わりにこれらのファイバーを使うもの。鉄筋コンクリートの寿命(劣化)の原因の一つは、コンクリートの中性化による鉄筋の錆びだ。錆びることにより膨張し、コンクリートが割れる。だがグラスファイバーやカーボンファイバーは錆びないから、そこから割れる心配がない。
現在ファイバー筋コンクリートが認可されていない理由は分からない。他にもコンクリートとの温度膨張係数の違いや食い付きの違いなど、細かい検討項目はあるが、致命的(対応不可能)なものはないと思う。(まあ高いというのはある)
もう一つはドームだ。海外には、ファイバー(鉄筋材が多いようだ)コンクリートのドームが多くある。面白い作り方があって、まず風船を膨らませておき、この上にコンクリートを吹き付ける。その上に鉄筋を組み、更にコンクリートを吹き付け、最後に風船を撤去する。その後窓を開けるなどをする。
日本では耐震基準があるのでDIYは難しいだろうが、プロが作るのなら文句あるまい。また、殆どをファイバーで作るということも考えられる。例えば籐編みのカゴのようにグラスファイバーを編んで作る、というのはどうだろう。あるいは、ガラスドームの多くは鉄骨を支持材として使っているが、それをグラスファイバーに置き換えることができる。錆びる心配がないのでメンテナンスが楽になるだろう。
細かいことを言えば色々あるだろうが、既存の構造材に錆び、腐りといった致命的な問題があることは分かっているのだから、こういった新素材の開発にはもっと目を向けて欲しいものだ。耐用年数数百年の家ができれば、それだけで充分に魅力的なはずだ。

2017年3月5日日曜日

google道案内


Googleマップで店の情報を入れるとポイントが溜まるようなボランティアの制度がある。写真を撮ったりアンケートに答えることでレベルが上がっていくようなものだ。恐らくこれは統計処理と人手による確認を経て反映されるのだろうが、間違っている情報は常に存在する訳で、それを自動で訂正するようなものにはまだなっていないようだ。
例えば閉店情報。臨時の営業時間。混雑時間。こういったものは、例えばチェックインやAndroid Payの支払など、他の情報から類推可能だ。ある日突然店に人が来なくなったら怪しい、というようなものだ。これぞビッグデータの使い道と言える。人間は(その場に居れば)そういった情報処理を無意識にするものだが、このような「常識」ソフトをスマホに入れておくと、その時の「ソフト的気付き」がネットに溜まっていく。あるいはネット側にあってもよい。
上の制度で言うなら、「車椅子対応の入口はありますか?」などという質問がよくあるのだが、車椅子の人が実際に入れているかどうかを追跡する方がよほど信頼性が高いなずだ。プライバシーの問題もあるだろうから簡単ではないだろうが、そういった目に見えない情報は多数存在しているはずで、自動で収集しないと追いつかないはずだ。
逆に言えば、そういった情報が揃った社会は極端に効率が高いことになる。朝の通勤に何分余裕を見るか、友達との待ち合わせを何時に何処にするかなど、全てをGoogle先生に聞いた上で行動すれば間違いない、という時代になるかもしれない。

2017年3月4日土曜日

ブロックチェーンマルチアプリケーションモデル①


ブロックチェーンの特徴は改竄の困難性だが、これには条件があって、独立して相互に利害関係のない多数のオーナーからなるネットワークに繋がっており、且つその数が相当に大きく、取引量も相応に大きく且つ取引量の波が少ないことだ。この条件がないと改竄可能になってしまう。
これを防ぐには、初期にはBitCoinのように単純な(用途を問わない)換金・送金というアプリケーションを置くのがよい。一方で、用途が限られるアプリケーションはこれに載りにくくなる。用途が狭まれば狭まるほど不利になる。例えば官庁向けの一品モノのソフトなどは、まるで恩恵がない。
ここは勘違いされやすいと思うところだろう。これを防ぐ、つまり用途が少ないアプリでもブロックチェーンの恩恵を受けたいと思うなら、何らかの工夫が必要である。つまり、充分にノードが大きく取引頻度が高い既存のブロックチェーンに相乗りするのだ。
例えば、納税システムの最下部は当然送金を伴っているはずだから、まずは銀行間送金ネットワークを作っておいて、その上に構築する。すると、「A市納税システムの財布」として抽象化できる。つまり送金の意味(誰が何処にどんな法律を持って納税したか)はシステムの都合としてシステム固有の域に、送金自体の証跡は銀行間送金ネットワークに委ねる、というシステムにする。
更には、請求や受領の記録をこれに載せるには、また別の財布を用意しておいて、業務フローのトークンを擬似的な通貨として割り当ててやる。具体的にどの財布からどの財布にカネ(トークン)が動いたかは下部ブロックチェーンに委ね、その意味を各々の(財布を持つ)システムが解釈するようにすればよい。
このブロックチェーンは一つでなくてもよいが、カネの流れを通貨ごとに、また取引の流れをもう一つに、位にしておいて、数は少ない方がよい。これを国主導で作っておいて国内のシステムには全て開放する、というような政策を立てておけば、DB廻りをこれに委ねることで、システムの価格や構成を大きく軽減することができるかもしれない。

2017年3月3日金曜日

紙による電子申告


何ともむちゃくちゃなタイトルだが、以下ご説明する。
Webレター
というサービスがある。WordやPDFと宛先をオンラインで送ると、印刷封緘して郵便物として送ることができるサービスだ。
確定申告のシーズンだが、確定申告は電子申告と郵送の2種類がある。確定申告作成コーナー
でオンラインで作ったとしても、電子申告せず印刷して郵送することは可能だ。ここで作っておいて且つ電子申告しない人の心理を考えると、大きくは二種類あろう。
①どうせ添付書類を郵送で送らなくてはいけない、あるいは添付省略できる書類であっても保管義務があるので無駄、ないしはその区別が面倒だから全部送ってしまえ、と考える。
②ICカードリーダが必要、Javaインストールが面倒、ブラウザの制限など、電子証明書周りの面倒。
このうち②については、本質的な矛盾がある。そもそも郵送を受け付けているのに、それより遥かに高いセキュリティを要求することに合理性はあるのだろうか。極端な話、上のWebレターで送ったとしても、税務署は受け付けてくれることになるのだ。
将来的には、添付書類のスキャンが認められたり、スマホでカードを読み込んでカメラで書類を撮って、などということも考えられる。そうすれば全部電子で済ませる人は急増するだろう。それまでの繋ぎとして、税務署内にWebレター相当の受信施設を作ってはどうだろう、というのがこの提案だ。
つまり、必要書類は全てPDFで作ってしまい、それを指定URLにアップすれば、自動的に税務署庁舎内で印刷されて郵便物相当として受け付けてくれる、というものだ。この際、印刷は実際にはやる必要はなく、仮想的に印刷したとみなして全部電子で閉じていてもよい。どうせ税務署ではそれをOCRでスキャンして、以後全て電子で処理するのだから、紙に印刷する手間は無駄でしかない。
Webレターは確定申告には不向きなほど料金が高いが、これならコストゼロないしは普通郵便相当レベルの低料金で処理できるのではないだろうか。そしてそうなったとしても、②は解決できるが①は解決できないので、将来的に更なる電子化を促進するモチベーションが途絶えることにはならない。

2017年3月2日木曜日

技術で難民救済


ものの本によると、難民と言われる人たちの総数は数千万人だとか。国が幾つか作られてしまうような数だ。少々の寄付ではとても追いつかないことが分かる。
難民救済のプログラムを調べてみると、やはり圧倒的に支援規模が足りないため、初期の権利補償や生活保障などが精一杯で、難民が難民でなくなる(通常の市民になる)ことへの道のりは遠く、とても数千万人規模には追いつかない。
難民がお荷物なのは支援が必要だからだが、支援が必要な理由は自立していないからだ。つまり「働くことができない」からなのだが、そもそもなぜ働けないのか。日本では難民認定されないと働けないことになっているが、そうでない国もあるそうだ。だが都会にそういった人たちが何万人もあふれ出て職を探しても、まず見つからない。自国民でさえ失業率何%という時代だ。そう簡単に見つかるはずがない。
先進国に溶け込むような形での非難民化は、規模の点で無理がある。例えば日本なら、どんなに田舎であっても数十人が一気に来たら大いに警戒されてしまうだろう。自治体枚に1家族4人程度が毎年、と仮定すると、年間数千人が限度になる。先進国数十カ国で同様なことをしたとしても、数万~数十万人が限度だ。もう二桁足りない。
難民でキャンプを作るような方向性が今の状況ではないかと思うが、これがスラム化してしまうのは自然の理だろう。未開の地に住まわせるのなら、そこを開墾してもらうくらいの気概がないといけない。さもなくば飼い殺しだ。受け入れないより始末が悪い。
そもそも人間は、適当な広さの、適当な環境の土地さえ与えられれば、それなりに生きていけるものだ。そこで農業をすれば、当面は食べていけるからである。別稿で
を投稿しているが、この技術は難民救済にも使える。但しこれは広大な未開の地がある場合に限られる。その地を開墾することができれば、支援は1~2年で済むことになるばかりか、その後はプラスの価値を生み出すことになる。
その地に合わせた農産物の選択と育成ノウハウ、そしてセンサがあれば、初年度からそれなりの収穫が見込めるし、必要な収穫量から逆算して耕作面積を割り出すことも可能だ。そういったハイテクの部分のみ先進国が提供することとして、未開の地を多く持つ新興国に難民を引き受けてもらえれば、新興国にとっては国力の増強になり、先進国はその技術を磨くことができる。また、紛争地域から人がいなくなれば紛争は沈静化する。これは当事国含め、どの国にとっても良いことではないか。
もちろんここまでの議論は全て定性的で、量的議論になっていない。だが難民を一気に受け入れる必要はない。少数から始めてノウハウを貯めながら拡大していけばよいだけのことだ。後は実行に情熱を燃やす人財さえあればいい。

注目の投稿:

ダイナミック租税とその指標

今の法律では、税率は一定の計算式で表されるが、そのパラメータは固定である。需要と供給のバランスによって商品の価格を変えるダイナミックプライシングというのがあるが、あれを租税にも適用してはどうかと考えてみた。 納税者の声をベースにして様々な租税や補助金を自動調節して、どこか一箇所...

人気の投稿: