2016年12月5日月曜日

ゼッタイ


直ぐに「ゼッタイ」と「デキッコナイ」という人を、信用しないようにしている。「それはムズカシイ」「あり得ない」なども同じだ。

こういう人はあちこちにいて、決して珍しい人種ではないし、自身も口端に出かけて慌てて引っ込めるようなことがよくある。そのくらい気軽に使われる言葉なのだが、技術者としてはこれは簡単に言ってはいけない言葉だ。

それが例え相対性理論を否定する理論だったとしても、簡単には否定しない。なぜなら、これらは思考を止めてしまう言葉だからだ。別の稿に習うなら、バカの壁を自ら作る行為である。

理系の人の思考回路は、「答が一つに決まるところが面白い」ということが多く、自分もそうなのだが、実際高度な科学になってくるとそう答は簡単ではなくなる。量子論や確率論がそうだし、材料工学や原子力工学なども、かちっとした答が得られるわけではない。ある程度の幅という制限はあるが、答は無数にある。

ある人がオバケの存在を否定した(あるいは肯定した)として、それを単純に科学的に見れば反論も同意も道筋は色々あるが、実は話を聴いて欲しかったから極論を言ったとか、一時的にアルコールで混乱していたとか、何かを言い間違えていたとかの可能性は無数にある。それらを一切考慮せず言葉尻だけを捉えて議論するのは、技術者以前に人間としての思慮に欠けている。

それらを差っぴいたとしてもなお、新たな可能性についてあれこれ考えることを否定するのは勿体無いと思うのだ。ここら辺の感覚は、むしろ技術を知らない人の方が得意だ。それがどれほど難しいかについて思いを馳せることができないからだ(褒めてます)。

技術屋は、なまじ知識があるがためにその難しさを直感で感じ取ってしまい、あるいは仕事が忙しくなるのを煩わしいと思い、とりあえず「無理」と言ってみる人種である。その「無理」の程度にも色々あるのだ。大ヒットを飛ばした家電、例えばウォークマンとかカメラとか薄型コンピュータとかでは、技術者の言う「無理」を説得して乗り越えた、というような逸話が山とある。

特に文系の人に言いたいのだが、理系の人(技術屋)がこういう言葉を言っても簡単に信じないで欲しい。クラークの第1法則と似てはいるが、老練な科学者だけではなく技術者全般にこの傾向はある。何故かを論理的に説明させ、更にその論理に矛盾がないかを突き、更には他の(できれば関わりの薄い)技術者に聞いてみる。似たような例を探して突きつける。技術ではなく情熱を説く。
何かしらの突破口ができる可能性は低くはないはずだ。

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